「おねぇちゃん、大丈夫!?」
セリオンが駆けてくる。
「私は全然大丈夫。それより蛇女が……マズいかも?」
ソリスは、ピクリとも動かなくなってしまった、そのすりガラスのような幻想的なつくりの身体を不安げに見つめた。
「このくらい大丈夫だよ。彼女は水の精霊王、水系の精霊の女王なんだ」
「へっ!? 精霊王!? これが?」
ソリスは目を丸くする。精霊王と言えばこの世界の精霊の頂点に立つ魔法生物である。彼女の声が響くとき、精霊の大群が動き、時には天災さえ引き起こすという。確かに身体は神秘的で独特の質感を持ち、ただものではない造形をしているが、世界の頂点の一つと言われるとなんとも微妙な感じがした。
「随分前にね『この湖が気に入ったから住まわせてくれ』っていうから『いいよ』って言ったんだよ。でも、段々我が物顔でふるまうようになって困ってたんだ」
セリオンはのびている
「おーい、起きろー」
しかし白目をむいてしまっている
「精霊王怒らしちゃったかも……。マズいかな……?」
ソリスは恐る恐る
「ははっ、大丈夫だよ。たまには痛い目に遭わせておかないと図に乗ってくるからね」
「そ、そういうもん……なの……?」
ソリスが心配そうに様子を見ていると、
「気がついた? 悪さするからだよ? いつも言ってるでしょ?」
セリオンは子供をたしなめるように声をかける。
「ははっ! おねぇちゃんはいい人だから悪さしなきゃ怖くないよ」
セリオンは陽気に笑った。
「ちょっとやりすぎちゃったかしら? ごめんなさいね」
ソリスは苦笑しながら頭を下げる。
「あなた……、何なの? ただの人間じゃない……、女神の
「え? おねぇちゃん女神様の知り合い?」
セリオンはキョトンとしながらソリスに聞いた。
「ち、違うわよ! ただちょっとギフト持ちな……だけ……」
ソリスは両手を振りながら慌てて否定する。呪いのかかった不吉なギフトのことはあまり口外したくなかったのだ。
「ふぅん、ギフトねぇ……」
「そ、それよりお魚を返してよ! 今晩のディナーにするはずだったんだから」
ソリスは
「ふぅ……。ちょっとからかっただけなのに、あんた達大人げないわね! いいわよ。後で持っていってあげる」
「やったぁ! これで今晩はごちそうだね」
満面に笑みを浮かべて、ピョンと跳び上がるセリオン。
「うわぁい! ごちそう!」
ソリスも楽しみになってセリオンと微笑みあった。
「その代わり! 美味しく料理しなさいよ……?」
何をするのかと思ったら、
うわぁ!
いきなりの輝きに焦るソリス。
「いっちゃった……」
精霊王の不思議な変身に見とれていたソリスは、消えて行った方をじっと見つめる――――。
やはり精霊王とはかなりの術者なのだ。勝てたのはたまたま肉弾戦になったからだけに違いない。途中繰り出そうとしていた、腕を光らせる不思議な技を放たれていたら、何歳も若返らせられてしまっていたかもしれない。ソリスはブルっと身体を震わせた。
その後、釣りを再開したものの、小さな
◇
お昼になり、二人は湖畔の岩に腰かけてランチバスケットを取り出す。
「はい、パンですよー。ちょっと焼きすぎちゃったけど……」
セリオンは少し恥ずかしそうに、表面が少し焦げてしまった丸くて大きなパンをソリスに渡した。
「ありがとう! もうお腹ペコペコなのっ!」
ソリスはニコニコしながら受け取った。
「はい、チーズだよ!」
セリオンはナイフで削ったチーズをソリスのパンの上に乗せる。
「うわぁ! 美味しそう……。いただきまーす!」
満面の笑みで一気にパクリと行くソリス。
香ばしいパンの香りに芳醇なチーズの濃厚な旨味が追いかけてきて、ソリスの脳髄を揺らした。
うほぉ……。
恍惚とした表情で宙を仰ぐソリス。
それは今まで食べたどんなランチより美味しかったのだ。
「はい、お茶ね」
セリオンは甲斐甲斐しく石で作ったかまどで沸かしていたお湯で、お茶を入れたのだ。
「何から何までごめんね、ありがとう!」
ソリスは手を合わせ、カップを受け取ると、立ちのぼるかぐわしいハーブの香りを深く吸い込む。甘酸っぱいバラ系の香りが鼻腔をくすぐり、ソリスは思わずうっとりとため息をついた。
「いやいや、おねぇちゃんがいてくれて僕も嬉しいんだ。やっぱり食事はね、一人だと美味しくないんだよ」
セリオンはニッコリと笑う。
「そうよね……」
ソリスは仲間が亡くなってからの食事を思い出し、深いため息をつくと、その味気無い記憶に首を振った。
見上げれば青空にゆったりと白い雲が流れていく――――。
亡くなった仲間が今の自分を見たらどう思うだろう? 少女になって可愛い男の子と一緒に魚釣りにピクニック。とても説明できない。
『ソリス殿! ズルいでゴザルよ!』『ダメ……ズルい……』
二人の声が聞こえてきそうである。
でも、自分でもなぜこんなことになっているのか説明できない。まるで運命に導かれたかのように今、天国のように美しい湖畔で最高のランチを頬張っているのだ。
『ごめんね、忘れた訳じゃないよ』
ぽっかりと浮かんだおいしそうな雲に向けて、ソリスは切ない想いを送り、寂しげな笑みを浮かべた。