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21. 翠蛟仙

 セリオンはウキウキとしながら、物置から釣竿を二本取り出してくると肩に担いだ。

「じゃぁ、しゅっぱーつ!」

 セリオンは輝く笑顔でソリスの手を取り、お花畑の中を歩き出す。ナチュラルに手をつながれて一瞬焦ったソリスだったが、

「しゅっぱーつ!」

 と、ソリスも嬉しそうに真似をして、つないだ手を振り、歩き出した。

 二人はお互いの顔を見つめあい、ニッコリと笑って同じ歩幅で歩いていく。

「お日さま ぽっかぽか~♪ 手つなぐ ぼくときみ~♪」

 上機嫌にセリオンが歌い出す。ちょっと調子っぱずれだが、のびやかな歌声にはワクワクとした楽しさがたくさん詰まっていた。

「え? 何の歌なの?」

「今、思いついたまま歌ってるんだよ。一緒に歌お?」

 セリオンは小首をかしげてソリスの顔をのぞきこむ。その可愛らしさにソリスはクラクラしてしまう。

「いいよ! お日さま ぽっかぽか~♪ 手つなぐ ぼくときみ~♪」「ぼくときみ~♪」

「お花畑 乗り越えて~♪ 湖まで ぴょんぴょんぴょん~♪」「ぴょんぴょんぴょん~♪ きゃははは!」

 温かい春の日差がさんさんと降り注ぐ花畑を、二人は即興の歌を歌いながら楽しく進んでいく。

 孤児院を出てから不本意に冒険者をやり、命のやり取りをしながらギリギリの暮らしをしてきたソリスにとって、こんな楽しい時間は生まれて初めてだった。もちろん、フィリアやイヴィットとの時間も楽しかったが、それは大人の楽しさなのだ。こんな童心に帰って伸び伸びとした楽しさに触れるなんてことは全く記憶になかった。

『あぁ、人生ってこんなに楽しいものだったのね!』

 ソリスは心の底から湧き上がる喜びに身を任せ、セリオンとの笑顔が交わされるその瞬間を心から楽しんだ。

 辛く厳しい時間の連続で凍り付き、ささくれだったソリスの心はこうしてゆっくりと溶かされていくのだった。

     ◇

 しばらく森を歩いた時だった。いきなりパアッと視界が開け、息を呑むほどの美しい湖が目の前に広がった――――。

「うわぁ。素敵……」

 湖の水面は太陽の光を受けてキラキラと輝き、その光が雲の影に映え、まるで夢の中のような景色である。周囲を濃い緑の森が囲み、静かで美しい自然の劇場となっていた。

「綺麗でしょ? 僕のお気に入りの場所なんだ」

 セリオンは自慢げに胸を張る。

「うん! とっても綺麗で……なんだか空気も清々しく美味しいわ」

 ソリスは両手を空に伸ばし、大きく息を吸った。

「ふふっ、良かった。それじゃ、今晩のおかずを釣ろう」

 セリオンはそう言うと靴を脱ぎ、湖に入って岩をひっくり返した。

 ソリスが不思議に思っていると、セリオンは何かを捕まえている様子である。

「何……してるの……?」

 ソリスがのぞきこむと、セリオンが何かを顔の前に突き出した。

「釣り餌だよ! 川虫」

 つままれた細長い虫はうねうねと身体をねじらせ、逃げようともがいている。

 キャァァァ!!

 ソリスはその不気味な動きに耐えられず、黄色い悲鳴を上げ、逃げだしてしまう。

「おりょ?」

 セリオンは何が起こったのか分からず、首をかしげて木の裏に隠れるソリスを見ていた。

       ◇

「虫が苦手だったんだね。ごめんね」

 セリオンはソリスの仕掛けに、代わりに川虫をつけてあげる。

「ご、ごめんなさい……。わたし、虫がダメなの……」

 アラフォーにもなって虫がダメとは情けないと思いつつ、ソリスは少女の姿で目をギュッとつぶって震えていた。

「いいよ、誰にも苦手はあるからね。はい、できたよ」

 セリオンは少し深くなっているポイントに仕掛けを投げると、竿をソリスに渡した。

「あ、ありがとう。わたし……釣りは初めてなの。これは待ってればいいの?」

「うん、魚が食いつくと浮きがね、ギューって沈むから、そうしたら引き上げるだけだよ」

「わ、分かったわ……」

 ソリスは胸に手を当て、何度か大きく息をつくと、水面でゆらゆらと揺れている黄色く長細い浮きを見つめた。

 湖面を渡るさわやかな風にあおられて浮きは揺らめき、湖面に同心円の波紋を描く。波紋は陽の光をキラキラと反射して水面に美しいアートを描いていく。

 ピリリ、ピーチュリ……。

 森の奥から小鳥のさえずりが響いてきた。

 見上げれば青空に白い雲がぽっかりと浮かんでいる。

「はぁ……、なんだか癒されるわ……」

 大きく息をつくソリス。

 仲間を殺され、自分も何度も殺されながら、最後にはこんな少女になってしまって街を逃げ出した最近の波乱に満ちた日々が、ソリスにははるかなる異世界の幻のように感じられてしまう。

 二十数年間、あくせくダンジョンで魔物を狩っていた日々は一体なんだったんだろう? ソリスは首をひねってしまう。こうやって毎日魚釣りして暮らせばよかったんじゃないだろうか? 命懸けで魔物と戦うストレスフルな毎日に意味なんてあったのだろうか?

 ソリスは今までの人生に自信が持てなくなってきてため息をつき、うなだれて足元で揺れる水面を見つめた。

「引いてる! 引いてるよ!」

 セリオンの声で慌てて顔を上げるソリス。

 黄色い浮きはすでに水中に引き込まれ、荒れる水面がキラキラと光っている。

 うわぁ!

 慌てて竿を立てるソリス。

 グングンと強烈な引きが竿をしならせた。見れば水面下でキラリとうろこを輝かせながら大きな魚が暴れている。

「おぉ、これはオーロラトラウト! 脂がのって美味しい魚だよ! 頑張って!」

 セリオンはニコニコしながらこぶしをギュッと握り、応援する。

「お、美味しいの!? ゆ、夕飯は豪華に行くわよぉ!」

 美味しいと聞いて俄然がぜんやる気になったソリスは、絶対逃がすまいと全神経をオーロラトラウトに集中させた――――。

 その時だった、沖の方から水面下をボウッと青く輝く何かがたくさんやってきて、暴れるオーロラトラウトを包んだ。

 え……?

 直後、プツン! と糸は切れ、オーロラトラウトは逃げて行ってしまった。

 あ……。

 いきなりやってきたあっけない終焉しゅうえんに、ソリスは呆然と立ち尽くす。

「な、何……あれ……?」

翠蛟仙アクィネルの奴ぅ……」

 セリオンはプクッとほおを膨らますと、少し沖の岩にピョンと跳びうつり、パァンと水面を力いっぱい叩いた。

 ヴゥン……。

 不思議な音がしてきらめく蒼い光が同心円状に、水中を沖の方まで広がっていく――――。

翠蛟仙アクィネル! 出てこい!」

 プンプンと怒りながらセリオンはこぶしを突き上げ、叫ぶ。

 ソリスはその見たこともない不思議な技に驚き、セリオンがまだ語っていない秘密の一端に触れた気がして、思わず息を呑んだ。

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