「見ろ」
と言って難波さんは、片手を車のハンドルから離し、係留されている軍艦を指さした。海面が朝日でキラキラ光って、寝不足の目にはプッスプス刺さってとってもまぶしい。
僕とみなもは今、これから乗艦する船まで、軍港の中を難波さんのジープで移動中だった。横須賀にもたくさん船はあったけど、ニライカナイも相当な規模だ。それだけ重要な拠点ってことなんだろう。僕はこんなすごい基地の最終兵器なのか――。ん~やっぱ自信ない。僕が敵を倒す! なんて勢いで言っちゃったけど、正直、やっぱ並んでる船のみなさんの方が強いと思います。いやマジで。
「あっちのやつが、はつしおで……」と難波さんが続けた。
え? あの、漢字で書くと初潮……? あばばばば……
「でな、あれが、のりしお、うすしお――」
おいおい、ポテチかよ! 最近の船はどうなってんだ?
車はさらに進み、「でもってこっちが、ごましお、あじしお、あらしお」と難波さん。
え? ポテチ通り越してそれ調味料だよね? いろいろ混ざってる塩だよね!
「で、お前等が乗るのがこの、うずしおだ」と言って、難波さんは車を駐めた。
最早調味料でもないよね! それ家電だよね! 洗・濯・機!
難波さんはくるりと振り向いて言った。「オマエ……今、洗濯機だとか思っただろ」
「あはは……バレました?」
「今どき二層式もないと思うよ、威」と、みなもにまで言われる始末。
「いや、まだまだだなお嬢。インドではヨーグルトを作るのに使ってるんだぜ」
「「へぇー」」とみなもと僕。難波さんは物知りだな。今度ゆっくり話を聞いてみたい。
駆逐艦うずしおに乗り込んだ僕らは、早速船室に通された。うずしおって昔は潜水艦につけられた名前だそうだけど、ぐるぐる回って沈みそうだから縁起が悪いって、潜水艦には使わなくなったそうだ。なら、他の船にも使うなよ。ったく。
昨日、三島さんにムリを言って乗せてもらうことになったけど、退院したばかりのみなもも来るとは思わなかった。てっきり明日香ちゃんが来ると思ってたのにな。明日香ちゃんのレーダーがあれば……。って、ないものねだりをしても仕方ない。自力で双眼鏡で探すしか。僕とみなもはド素人で、船の中じゃ、ぶっちゃけお客さんだから、乗ってもいいけどジャマだけはするな、って難波さんにクギを刺されたばかりだ。
レーダーや無線というものが役に立たないということが、どれだけ不便なことなのか、歴史の授業では知っていたけど、何の手がかりもなく広い海を右往左往していると、バビロンの黄昏は、いかに人類にとって大迷惑な災害だったのか、少し分かった気がする。
軍港を出港してから早三日、被害にあった別の船 (クラスメートんちの貨物船)とか、密漁船とか、はぐれた海洋生物だとかには遭遇しても、肝心の諏訪丸の姿はどこにもなくて、僕は朝から晩まで、双眼鏡で海を見つめる日が続いた。正直、つらい。時間が経てば経つほどおじさんの生存率は下がるし、島に残してきた伊緒里ちゃんの事も心配だ。海に出ればすぐ見つかると思ってた。絶対おじさんは助かると思ってた。怪物もやっつけられると思ってた。――でも、全部ちがってた。やっぱり僕は、ただのお荷物だった。
「威、一昨日から寝てないよね。せめてごはんだけでも食べようよ。ほら」
艦橋のベランダみたいなとこで僕が海を見ていると、みなもがおにぎりを持ってやってきた。確かに、ここんとこロクに寝ていない。寝ろと言われても、自室の窓から外を見てた。正直食欲もあまりないし、ずっと双眼鏡を覗いているから、目もなんかおかしくなってきていた。でも何もしないではいられなかった。とにかく手がかりが欲しかったんだ。
「ほーら! 食べな!」と言って、みなもが僕の双眼鏡をひったくった。
「何すんのさ!」突っかかってみたけど、これは僕の方が悪い。ただの八つ当たりだ。
「食え! みなもさんの手作りなんだぞ! 食え! 食ーえー! 口開けろ!」みなもは強引に僕の口におにぎりをネジ込もうとしている。が、ラップがついたままなので、僕は必死に抵抗した。おねがいだから、せめて剥いてから食わせてください、みなもさん!
数分の攻防の後、ラップの存在にようやく気付いたみなもは、耳まで真っ赤になってはずかしそうにソレを剥くと、僕の口の前におずおずと差し出した。僕は背後からの興味津々な視線の束をガラス越しに感じつつ、しかし彼女の気持ちを汲んでガブリと食らいついた。なんかすごく嬉しそうなみなも。僕はみなもの指を囓りそうになりながら無心に全部食べた。食べ終わると、みなもはペットボトルのお茶を僕に飲ませ、また新しいおにぎりを僕に食べさせる。一つ食い終わるとお茶、の繰り返しで最終的に七個も食わされた。
「ふう、これで満足か?」僕はふくれた腹を撫でながら、僕の代わりに双眼鏡で海を眺め始めたみなもに言った。ストラップが僕の首にかかったままなので、正直うっとおしい。
「おいしかった?」と、みなもは、つま先で床をトントン叩きながら言った。
「ありがと。うまかった。お前の作ったもん食うの、どんくらいぶりだろう」
「二ヶ月と十三日よ」と、即答するみなも。はて、何かの記念日だったっけ?
「あのさ……」とみなもは続けた。「いろいろ、ごめん」
「何が」
「……いろいろ」双眼鏡を覗きながら、みなもは呟いた。
「そりゃ、こっちがだろ」と言って僕は、みなもの肩を抱こうとして、やめた。ブリッジの連中が見てるからじゃない。みなもに拒絶されるのが怖かったからだ。
僕は手すりに背を預けて空を仰ぎ、みなもは双眼鏡を覗いたまま海を見つめていた。
今の二人をつなぐものは、この双眼鏡のストラップ一本だけ。ひどく、心許ない。