コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
「そろそろ時間だよ。帰りなさい」
淳吾さんが僕らに声をかけた。
彼女とイチャつく時間はあっという間に過ぎるもので、気付けば日付が変わりそうな時刻になっていた。インターホンを使わなかったのは淳吾さんの気遣いだろう。
「おつかれさまでした」
「お休みなさい」
僕らは淳吾さんに挨拶をして、人気のない店を後にした。
◇◇◇
夜の県道を二人で歩いていると、背後から数台の車が乱暴な運転で僕らを追い越していった。危ないなあ、なんて言いながら八坂家まで行くと、家の周りに人だかりが出来ていた。
「どうしたんだろ……うちの前に人が」
「何かあったのかな」
「陸、何話してるのかしら」
伊緒里ちゃんの弟の陸くんが大人の人と話をしている。とても慌てている様子だ。何だろう?
「ただいま。何かあったの?」伊緒里ちゃんが陸くんに声をかけた。
「姉ちゃん大変だ、父さんの船がいなくなったんだ!」
「……うそ」
伊緒里ちゃんは、膝から崩れ落ちた。
「伊緒里ちゃん、しっかり」
僕は伊緒里ちゃんが地面に落ちる直前に体を抱きかかえた。
「威様だ!」
「何で威様が?」
「威様がいるぞ」
僕に気付いた周りの大人の人は一瞬驚いた様子だったけど、すぐに説明を始めた。
「実は、八坂さんちの諏訪丸という漁船が行方不明になったんです」
「なんだって!」
この人たちは、おじさんと入れ替わりに港に戻ってきた別の船の人らしい。話してる最中にも、伊緒里ちゃんのおばさんと漁協の人も車でやってきた。
やはり怪獣の仕業かも……、という声が。
夜中に叩き起こされたパジャマ姿の空くんが、おばさんに抱きついて泣いている。海くんと陸くんは、おじさんたちの話を真剣に聞いている。
そして伊緒里ちゃんは、ショックで我を失っていて、僕が支えていないとその場に倒れてしまいそうだった。
ひときわ空ちゃんの泣き声が大きくなったとき、伊緒里ちゃんが我に帰った。ひきつった顔で僕を見て、ひしとしがみついてきた。腕に伊緒里ちゃんの爪が深く食い込んでいく。
「ど、どうしよう、どうしよう! お父さん、怪物にやられちゃったの? ねえ、威くん、お父さん食べられちゃったの? ねえ! お父さんを助けて! お父さんを――」
その先の言葉は、嗚咽で何を言っているのか分からなかった。
さっきまであんなに幸せそうだったのに、何でこんなことになったんだ?
それもこれも、怪物に遭遇しておきながら、ちゃんと退治しなかった琢磨のせいじゃないのか?
あのクソ兄貴が敵前逃亡なんてしなければ、おじさんはあんなことにならなかったんだ。伊緒里ちゃんやみんなを悲しませることにならなかったんだ!
クソッタレ! クソッタレが!
「陸!」
僕は長男を呼んだ。
いきなり名前を呼ばれてビクッとしていたが、すぐ僕のところにやってきた。さすがに緊急時だからか、悪態をつくようなマネはしてこない。
「なんだ」
「おじさんは、僕が見つける。そして、怪物を倒してみせる」
「ホントか?」
陸くんがうめくように言った。
「伊緒里ちゃんを頼む」
僕は陸くんに伊緒里ちゃんを預けた。
「貴様に言われなくても命をかけて護ってやる」と言いながら、彼は伊緒里ちゃんを抱き上げた。
伊緒里ちゃんはしくしくと泣きながら、陸くんの胸に抱かれている。
本心では自分で慰めたいけど、でも僕は、僕にしか出来ないことをしようと思った。慰めるだけなら、弟たちでも事足りる。
兄貴でも逃げ出すような敵がどんなものか分からないけど、多分今僕が行くしかない。策なんか全くないけど、とにかく捜索の船を出してもらわなくちゃ。
これ以上の被害を出さないために。そしておじさんを救うために。
◇
僕は漁協のおじさんの車で八坂家を後にした。ゲートの前で車を駐めると、おじさんは中野さんと話を始めた。
事故の原因が一向に分からないことを責めているみたいだ。
「ごめんなさい、おじさん。多分悪いのは、ウチの兄貴です。僕が島の人たちの仇を取りに行ってくるので、あまり中野さんをいじめないで下さい」と言うと、おじさんは、
「威様、琢磨様のせいなんてことはないよ。船を沈めてるバケモノが悪い、そんでバケモノをいつまでたっても見つけない軍が悪いんだから」と腕組みをしながら言った。
「とにかく、僕が探しにいくんで、中野さんいじめないで下さい。警備の係だからいつもここにいるでしょ? 探す係じゃないんです。だから、お願いします」
僕は頭を下げた。
「ううむ……。威様に頭を下げられては、もう何も言うまいよ」
おじさんは、おとなしく帰っていってくれた。
漁協の車を見送ったあと、中野さんは少し困った笑顔で言った。
「威くん、かばってくれたのは嬉しいけど、ああやって怒られて、島の人の溜飲を下げるのも僕の役目なんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。……じゃないと基地の他の人まで怒られちゃうからね」
「僕……余計なこと言ってごめんなさい」
「気にしなくていいんだよ。それが大人の仕事だから」
ふうむ。大人はいろいろ大変らしい。