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【15】イオリとチギリ 2

 伊緒里ちゃんが気丈なのは性格もあるだろうけど、やっぱり環境の方が大きいかなって思うんだ。だって、血の繋がらない三人の弟を育ててきたんだから、そりゃあしっかりせざるを得ない。

 八坂のおじさんはああいう人だから、きっと困ってる人がいると見捨てることが出来ないんだろう。だから、漁に出た先で見つけたあの子たちを、救ってやりたかったんだ。


 僕だって、おじさんの気持ちだけは分かる。兄貴はちゃらんぽらんな性格だけど人を見る目くらいはある男だった。その兄貴が友人として認めた人なんだから、多分いい人なんだ。

 でも……、島の外から来た部外者が口出しするようなことじゃないけど、思春期の女の子への仕打ちとしては、あまりにひどい。

 彼女の父親には甚だ遺憾の意を表明したいよ。


 だって、誰にも相談出来ずに一人で苦しんで、ただただ島の外に進学して、あいつから逃れることだけを望みに生きてきたなんて、叶いもしない夢を手帳に書きためる日々を送っていたなんて――――あんまりじゃないか。

 だからこれからは、僕が伊緒里ちゃんに楽しい思いを一杯させてあげたい。

 とにかく今は、無防備に甘えてくる伊緒里ちゃんが、無性に可愛くてたまらんのです。


「伊緒里ちゃん、大丈夫?」

 僕は夢見心地な伊緒里ちゃんの髪を撫で付けながら尋ねた。


「もう……威くん、何度も何度も聞かないでよ。……心配しすぎよ?」

「だって心配じゃん。あの……けっこう痛がってたし……」

「も、もうぜんぜん平気だもんっ。心配してもらわなくて結構ですっ」


 ちょ、なんで怒られるのよ、僕。


「ったく……。ねえ、なんでそんなに嬉しそうなの? その……初めてなのに」

「……これでちゃんと威くんの彼女になれたから。……私、威くんのもの、だよね?」

「うん。そうだよ。伊緒里ちゃんは、僕の彼女だから。大丈夫。誰にも渡さないから」

「ありがと……。わがまま言って……ごめんなさい。ホントに……ごめんなさい」


 伊緒里ちゃんが悲しそうな顔で言った。

 いろいろあって、まだ気持ちの整理がつかないのかもしれない。


「ううん。彼女なんだから、もっとわがまま言ってよ。ね?」


 僕は、伊緒里ちゃんがこんなに追い詰められてたってことが、すごく悲しくて、胸が苦しくなった。あの時保健室で僕を救ってくれた彼女が、こんなに苦しんでいたなんて。

 どうしたら彼女をもっと楽にさせてあげられるのか、安心させられるのか、護られるばかりだった僕には、うまい方法もセリフも思いつかなくて、今は強く抱き締めることしか出来なかった。


「それより……。今更みなもちゃんのところに戻るとか、絶対言わないでよね」

「うん、言わないよ。ずっと一緒にいる。ちゃんと責任取るから、安心して」

「うん。……絶対よ」


 そう言って、伊緒里ちゃんは指切りをした。

 その時、僕は自分自身に自由なんかなかったんだってことを失念していた。



「そろそろ帰ろう。さすがにお泊まりはマズいよ……」

「……うん……」


 時計を見ると、バイトの終了時間を大分回っている。

 伊緒里ちゃんの顔には『帰りたくない』とでっかく書いてあるけど、それはダメだ。

 僕が彼女を夜の街に連れ出したことは、淳吾さんを始め、店長や空くん海くんの知るところだし、僕自身がゆるーく監視されているから、いきなり捜索願が出されるなんてことは発生しないだろうけど、日付をまたぐのはさすがに……。


 僕はちょっとした趣向を思いついて、伊緒里ちゃんをホテルの離れに連れて行った。廊下に出ると伊緒里ちゃんが微妙な顔をしながら、ひょこひょこ歩きでついてくるから、僕はお姫様だっこをして人気のない館内を歩き、あの場所に連れていったんだ。


 この僕に最大級の供物をくれた伊緒里ちゃんに、男としては最上級の返礼をすべきじゃないか。……とか思うわけで。



「着いたよ」


 僕は伊緒里ちゃんをそっと降ろすと、無人のその部屋のドアを開け、伊緒里ちゃんを中に促した。

 窓から月明かりが差し込んで、小ぶりなステンドグラスが淡く輝いていて、とても幻想的だ。

 僕は一旦部屋の外に出ると、廊下に並んでいるマネキンから、あるモノを拝借し、それを持って伊緒里ちゃんの所に戻った。


「ねえ、威くん……ここって………………」


 伊緒里ちゃんは、すっかりこの部屋の雰囲気に飲まれているようだ。


「はい。これ」


 僕はそう言って伊緒里ちゃんの頭にソレを被せた。――花嫁のベールだ。


「……え? うそ」


 伊緒里ちゃんが大きく目を見開いて、ひどく驚いている。

 僕は再び伊緒里ちゃんを抱き上げると、無人の薄暗いチャペルのバージンロードをゆっくりと歩いた。


 一番奥まで着いた僕は、花嫁さんを静かに降ろして言った。


「予行練習。大人になったら本番をやろう、伊緒里ちゃん。……ずっと一緒にいようね」


 伊緒里ちゃんが頷くのを確認してから、ベールを上げて軽いキスをした。


 そして、指輪はないから、時計屋で買ったばかりのペアウォッチをお互い交換して、腕につけたんだ。

 伊緒里ちゃんは感極まって泣いてしまった。リハーサルだってのに。


 この時計、正直あんまり趣味じゃないデザインだったけど、僕の一生の宝物確定だ。傷付けたらイヤだから、やっぱり普段用はPXで売ってる軍の時計を買わないとな。でもこの時計が、みなもを狂わせるトリガーになるなんて夢にも思わなかった。


 ☆


 伊緒里ちゃんを家まで送る間、僕はずっと彼女をお姫様だっこしてたんだ。


 自分で歩かせると家に着くのが朝になっちゃうからってのは口実で、本当は夢心地な伊緒里ちゃんの顔をずっと見ていたかったんだ。


 最初のうちは恥ずかしがってハンカチで顔を隠してたんだけど、僕が何度も咥えてひっぺがそうとするので、そのうち伊緒里ちゃんは隠すのを諦めた。



 八坂家に到着すると、普段あまり家にいないおじさんが、家の前で仁王立ちし、娘を待ち構えているからさあ大変、いきなり僕ピンチです。


「あ……あの……」


 僕はブルブル震えながら言葉を探した。

 娘の帰宅に気付いたおじさんは、手にした懐中電灯で僕らを照らした。


『怒られる!』

 ……と思った瞬間、


「なんだ、威君か」


 おじさんは相手が僕だと知るや、懐中電灯のスイッチを切った。


「これまた……名誉な話じゃないか、伊緒里」

 といって破顔した。


 伊緒里ちゃんは怖がって僕の後ろに隠れていたけど、おじさんの声を聞くと恐る恐る顔を出してきた。


 結局、「末永く可愛がってやって下さい」なんて言われてしまった。この島の人たちはなんで同じことばっか言うのかな。

 先生も同じこと言ってたし。


 本土なら、異種間恋愛なんて普通は止められるよ。


 保健室で伊緒里ちゃんが言ってたのは本当なんだな。この島には人外差別などないって。


 僕は、「ちゃんと責任は取らせてもらいます」っておじさんに言った。


 もちろん五〇〇%ほど本気だ。これで僕らは、晴れて八坂家公認だ。


 さて、残る問題は――――。

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