仕上げに低めのパンプスを履いて待ち合わせの駅前に向かうと、銅像の前にキャンディさんの姿があった。
キャンディさんは白の涼やかなリネン生地のシャツに、黒の細身のパンツを合わせていて、脇には濃い茶色のチェック柄のジャケットを抱えていた。スタイルがいいから、ただ立っているだけでもとても絵になる。
人混みの中でも目立つ容姿。でも、彼の容姿は万人受けするタイプの美しさで、異質な私とはまったく違う部類だ。
キャンディさんは時折周囲へ視線をやりながら、スマホをいじっていた。私は少し離れたところで立ちどまり、その姿にぼうっと見惚れる。同じように、すれ違う女子もちらちらと彼を見ていた。
さすが、王子様。
今さらだけど、クラスの女子が騒ぐのもものすごくよく分かる。涼やかで清潔で、完璧だ。私とは、とても――。
「うわ、すごい髪色」
「日本人じゃないだろ?」
すぐそばをすれ違った二人組の男性の視線が刺さった。思わず俯いて、顔を隠す。数人が私を見て立ち止まったようだった。
「……なぁ、あの子って」
「あぁ、だよな? レイヤーのAMにそっくり」
突然、周囲のボリュームがマックスになったようだった。それらの視線から逃れるように、後退る。ありのままの自分で来たことを後悔した。
やっぱり、偽ってくればよかったのだ。注目されたくないってずっと思っていたはずなのに、私はなにをやっているのだろう――。
呆然と立ち尽くしていたそのとき、
「あみ!」
立ち尽くしていると、名前を呼ばれた。ハッと顔を上げる。視線の先に、キャンディさんがいる。目が合うと、キャンディさんは嬉しそうに微笑んだ。いつもと変わらないその笑みに、胸がぎゅっと苦しくなる。
私は一度深呼吸をして、キャンディさんの元へ足を踏み出した。
「あみ、その髪って」
キャンディさんの視線から流れるように、私は俯いた。
「……変だよね。ごめん、私……」
「まさか。すごく綺麗だよ。でも、知らなかったな。AMって、コスプレじゃなくてありのままのあみだったんだ」
「う……やっぱりわかる?」
「うん。どう見ても鬘じゃない。きれいな髪だな」
ぽん、と頭にキャンディさんの大きな手のひらが乗る。その手はさらりと下に落ちて、自然に私の手を取った。
「さて、行こ」
私の手を引くキャンディさんの手は、大きくてあたたかくて、私はその手にすごく安心した。
キャンディさんに
「わ……水族館なんて久しぶり」
「だよね。俺も。小学校の遠足以来だと思う」
闇と水の青で支配された幻想的な空間。館内は親子連れやカップルで賑わっていたけれど、暗いからあまり気にならない。
人の顔もあまり見えないし、視線も気にならない。
もしかして、と思う。
「ねぇ、キャンディさん」
「ん?」
大水槽の前で、私はキャンディさんを見上げた。
「もしかして……私が人の目を気にしなくていいように、ここを選んでくれたの?」
キャンディさんは驚いたように私を見て、ふっと笑った。
「べつに。ただ海の生き物を見たかっただけだよ」
「……そっか」
頷きながらも、絶対嘘だな、と思う。
すると。
「あ、でもそうだよって言った方が株上がったかな?」
「……そうかもね。あ、でももう遅いけどね?」
「あー。惜しいことしたな」
からりと笑うキャンディさんに、私はつられたように笑う。
「…………」
笑っていると、キャンディさんは黙り込んで私を見た。
「……あ、ごめん」
ハッとして口を押さえる。すると、キャンディさんはくすっと肩を揺らして笑った。
「な、なに?」
「ううん……ただ、あみはそうやって笑うんだなって思って」
「え」
「笑ってるとこ、初めて見た」
「……そ、そうだった?」
「うん。あみ、俺にはいつも怒ってたから」
「……それは、ずっと嘘ついてたキャンディさんが悪いもん」
「だね。あ、でもお互いさまじゃない?」
にやりとキャンディさんが笑う。
いや、お互い様ではないだろう。
「ふんっ!」
キャンディさんは肩を竦め、水槽に視線を戻した。
私はしばらくその横顔を見つめてから大水槽に視線を流した。
しばらくしてから、意を決して口を開いた。
「……私ね、いじめに遭ってから……人と違う容姿に自信が持てなくて、ずっと家に閉じこもってたんだ。そしたら、すれ違いのキセキっていう漫画が人気だってこと知って、主人公のキセキが私とすごく似た容姿をしてて、驚いたの」
『すれ違いのキセキ』のヒロインであるキセキは、主人公の男の子が密かに想いを寄せる女の子だ。
キセキは私と同じ瞳の色と髪を持つ女の子。明るくて素直な高校一年生。いつも周りにいい顔して本心を誤魔化して生きる八方美人の主人公を、無邪気に振り回すのだ。
「漫画を見て、私もキセキみたいになりたいなって思った。自分に自信を持って、自分を好きになって……誰かに愛されたい。それで、キセキに勇気を借りるつもりで、キセキに似せた写真をRe:STARTに投稿した。そうしたらみんなが褒めてくれて……それでようやく息ができたの」
そのときはじめて、私は生きていていいんだって思えた。大袈裟なんかじゃない。本気で。
視線を感じて視線を流すと、キャンディさんは悲しげに眉を下げて私を見つめている。
「……じゃあ、AMが生まれたのはキセキのおかげ……?」
私は、「うん」と頷く。
キャンディさんは少し言い淀んで、そして口を開いた。けれどなにも言わないまま、きゅっと口を閉じた。
「キャンディさん?」
どうしたのだろう、と私は首を傾げる。
「……あのさ、あみはなんで俺にこんなこと話してくれるの?」
息が詰まった。
「……それは」
沈黙が落ちる。視界の端に、大きなエイが水の中をゆったりと泳ぐ姿が映った。
「……それはね。キャンディさんなら、私のこと受け入れてくれるかもって思ったから」
静まり返った空間に、キャンディさんがごくりと息を呑む音が響いた。
「それって……」
「や、違うかな。たぶん、信じたかったの。私が。ずっと私を支えてくれたキャンディさんなら受け入れてくれるって」
「そっか……」
キャンディさんは少しトーンを下げて呟き、黙り込んだ。
「……特別だって、思ってもいいかな」
顔を上げると、キャンディさんはまっすぐに私を見ていた。
暗い、海の底のような水族館の中で、周囲の音がすっと波が引くように消える。
青白いライトの下に立つキャンディさんの瞳に光はない。
「実は、俺もあみに話したいことがあるんだ」
「話したいこと?」