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第35話 呪い

「山内さんがオレを助けに……? いやぁないでしょ、それは……」

「そう関係のない人だったんですか?」

 鷹羽に案内されて先ほどの「山内理絵」の人形と遭遇したという部屋に向かうと、そこは驚くほどあっさりと扉を開いた。

 こんなにも不可解にループをしている場所なのだから、入ろうとした時に何か抵抗でもあっておかしくはないと思ったのだけれど、あの黒い変な人影はマスターが近付けば勝手に溶けて消えたらしいし入るのにも何の問題もなかった。

 部屋の中は、鷹羽は言うには「ウチの部署とまったく同じ感じです」という事で、違いと言えば棚の位置だとか部署の人数の違いで起こる机の配置の差くらいだろうか。

 人が座っているデスクにはノートパソコンが置かれていて、そのどれもが今は触れても何の反応もしない。鷹羽はマスターが無言でノートパソコンに触れたことにも驚いていたけれど、マスターとしてはとりあえず見て、触れて、感じて判断するタイプだ。

 人は見かけによらない、なんてたまに言われたりもするが、性分だから仕方がないと自分では思っている。

「山内さんのデスクはどれですか?」

「えーと……そこの、椅子がちょっとズレてるやつだと思います」

「あ、これですか」

 椅子がズレている、と聞いて、マスターは即座にズレている椅子をどけて机の引き出しをガバっと開けた。

 鷹羽が引きつったような悲鳴をあげているが、気にしないで水のペットボトルを片手に下から順番に引き出しを開けていく。

 これは先代マスターから教えられた「ゲームで使える知識」だそうなのだが、机の引き出しを全部開く必要がある時にはしたから開けたほうが中の確認がスムーズ、なのだそうだ。

 なんでですか、と半分どうでも良いと思いつつ聞いたマスターは、先代がドヤ顔をしながら「上から見ていくといちいち上の引き出しを戻してからじゃないと、下の引き出しの中を見れないだろ」という事だったので一応納得はしたものだった。

 が、今こうして実際にその技を使ってみると「空き巣の手口なのでは?」と思わないでもない。

 マスターも若い頃にはゲームをしていた事があるが、こんな技術が必要なタイプのゲームはしてこなかったので今初めて使った技だ。でも多分、もう一生使わないと思う。

「うーん……空っぽですね。元の空間ではあるんでしょうけれど」

「ていうか、元の机だったら真ん中の引き出しは鍵付きのハズなんで……スルッと開いてる段階でちょっとやっぱり、ズレがあるんじゃないですかね」

「なるほど、鍵ですか」

 真ん中、というのは、よくある人間が座る空間の右手にあったりする細・中・大サイズの三種類の大きさの机の事だろう。

 順番で言えば、マスターは2番目にそこを開いているが勿論鍵なんかはかかっていなかった。もしかかっていたらちょっと、イラッとしたかもしれない。

「それにしては、机の上には色々ありますね」

「ほんとに。消しゴムとかなんでわざわざ」

「……その消しゴム、なんかケースの下に文字書いてません?」

「え?」

 あ、ほんとだ、なんて言いながら、鷹羽は机の上にぽつんと置かれていたよく見るメーカーの消しゴムに躊躇なく触れ、遠慮なく紙のケースから消しゴムを引っこ抜いた。

 なんでそういう所だけは度胸があるんだろう、なんて思いながらマスターはもう一度机の引き出しの中を漁る。目で見て何もなかったら、次は触れて探せばいいだけだ。

「……あの、マスター……」

「はい?」

「これ……」

「…………………………はい?」

 一番下の大きな引き出しを引っ張り出してゴソゴソと手を突っ込んでいたマスターは、鷹羽が恐る恐る差し出してきた消しゴムを受け取って、見て、言葉が出てこなかった。

 消しゴムのサイズは、よくある「100円サイズ」という感じだ。今では値段は上がっているかもしれないが、このよく消えると評判の黒と青と白のケースに入っている消しゴムは手のひらにぽんと乗る大きさをしていて……

 頑張って使っていたのだろうその消しゴムの一面に、でっかく「鷹羽雪糸」と書かれていた。

 思わず二人で顔を見合わせて、無言で目を逸らしてしまう。

 多分この消しゴムには元々「鷹羽雪緒」と書かれていて、その文字のうち「者」がなんとか消えたところだった、のだろう。

 マスターはこのおまじないを知っている。

 以前千百合が図書館で「これを借りたい」と持ってきた「女の子専用☆おまじないブック」という本にこういうおまじないが書かれていた。

 その本には「何か物を失くしてしまった時には大きな声で"にんにく"と叫びながら探してみよう!」とか「好きな人の誕生日当日に前髪を切ると恋が叶う」だとかなんか愉快なものが色々書かれていたけれど、この消しゴムを使った恋のおまじないは恐らく、マスターや鷹羽が小学生の頃からの現役選手なんじゃないだろうか。

 好きな人の名前をこっそり消しゴムに書いて、誰にも触られないうちに使い切る事ができれば恋が叶う、とかなんか、そんな感じだったはずだが、小学生に消しゴムを使い切れというのは中々ハードルが高いのじゃないかと思ったことが、実は何度かある。

 大人になってからだってそうそう消しゴムを丸々一個使い切る事なんか出来ないのに、まして失くし物の多い小学生だ。一体どれだけの名前入り消しゴムが失せ物として回収された事だろうか。

「……やっぱ好かれてたんじゃないですか」

「いや知らないんだって! マジで知らなかったんですって!」

「あー……そういえばその山内さんって指に絆創膏とかつけてました?」

「え? そういや、カッター使うのが下手らしくってよく左手の親指に絆創膏つけてましたね」

「ッハーーーーーー……」

「なんだその顔……」

 確定じゃないですか……とは流石にこの空気の中では言えなくって、マスターは手にしていた山内理絵人形の手をブラブラさせながら一先ず考えに入る事にした。

 これは、山内理絵女史が鷹羽に懸想をしていたのは確定だ。まさかこんな幼稚なおまじないをしているなんて思わなかったが、はっきりと証拠を残してくれているのは有難い。

 うーん、と唸りながら、マスターは無言で人形の手をデスクに置いて、デスク周辺をビタビタに濡らすようにペットボトルの水でぐるっと円を描いていく。

 これで恐らく、犯人が山内理絵「ではない」のは確定だ。でも、犯人は確実に山内理絵の恋心の事は知っていた、はず。

 マスターが知っている【黒い部屋】の原動力は誰かへの執着が一番強くって、その気持ちを利用して部屋を呼ぶ事が多いはずだ。だから、強い強い執着を持っている人間を知っていればそれだけで準備がとても楽になる。

 山内理絵の恋心を知っていた人間、となると、やはり同僚とかその類だろうか……?

「山内さんと仲の良い同僚さんとかって……さっき仰っていた鷹羽さんと同じ部署の?」

「あぁ、小金井さんは仲良かったと思いますけどね」

「ふーむ……その小金井さんが誰かに懸想してるとかそういう情報は」

「流石に知りませんよそんなん……女性のそういう話には首を突っ込むなってのが鷹羽家の家訓なんで」

「とってもいい家訓ですね。ウチも真似しようかな」

「オススメですよ。マジで」

 山内理絵は鷹羽にとっては本当に印象が薄い人だったのだなと思うと、ちょっとだけ可哀想な気持ちにならないでもない。

 少なくとも社内でも使える恋のおまじないを2個も実行している彼女の気持ちなんか、鷹羽は髪の毛一本も気付いていなかったのだ。モテ男は天然なものなのか。残酷だ。

 だが、同じ部署の鷹羽がその小金井という女性の異変に気付かないというのは少し無理があるので、山内を使っての【黒い部屋の儀式】は他の人間がしたと考える方が間違いなさそうだ。

 マスターは円形に水をビタビタに撒いてから、その中に鷹羽を引っ張り込む。

 ちょっと円形が小さくって狭かったが、まぁ仕方がない。ペットボトルが小さかったし、この先も何があるかわからないのにそう何本も使ってはいられない。

「妹さんとかについては?」

「えーと、マジで知らないスね……仲が悪いって事くらいしか」

「名前とかも?」

「あぁ名前は……えーと確か、名前の文字がちょっと近いとかなんか……」

 うーん、と考え込んだ鷹羽は、少し考え込んでからすぐに指を鳴らして一人で頷く。


「ユミです。山内由美」


 ユミ、とマスターが口の中で反芻するようにその名前を呼ぶと、足元の水がパチャリと波紋を浮かべた。

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