山内理絵という女性に関して、鷹羽が知っている事は驚く程に少ない。
ただ同期入社であり別の部署に配属されているという事がハッキリと知っている事であり、他に知っている事といえば彼女には年の離れた妹が居るという事と、その妹の事で彼女は頻繁に困らされているという事くらいだろうか。
真面目そうな風貌だった山内理絵に反して遅く産まれたお姫様だった妹は奔放な性格で、今で言うギャルという奴だった、らしい。
鷹羽としても同期の飲み会の中でなんとなく聞いていた程度の知識でしかないし、その年の離れた妹が実際に何歳なのかという事も、実際にその妹とどういう関係であったのかも、そもそも妹の名前も知らない。
この年齢になれば妹の話なんか飲み会でする事もないと思うが、覚えていたのは山内が飲み会のたびに「妹は性格が過激すぎる」「合わない」「親は妹のことばかり可愛がっている」なんて愚痴を聞いていたからだ。
同じ卓でなくても聞こえてくるような愚痴に、大変そうだなぁ、なんて思っていた鷹羽だったが勿論完全に他人事だ。
山内本人に「大変だね」なんて声をかけるほどの親しかったわけではないし、彼女とは飲み会で同期の卓につくかつかないか程度の仲でしかない。
恋愛面ではどうかと言われれば、まぁ「同期ですね」くらいの感覚でしかなく外見は特に好みでもそうでなくもなかった。
鷹羽は相手が男だろうが女だろうが好み的にはそこそこ面食いだろうなと自覚をしているが、恋人にそれが適用されるかと言われればそうでもない。
マスターみたいな美形と仲良く出来ているのは嬉しい事ではあるものの、過去の彼女は美人ばかりだったかと言えばそうでもないから、きっと山内理絵に関しても「声をかけられたら意識をするかも?」くらいの程度でしかない。
彼女は内気で、愚痴も声が小さくて、妹に関しての愚痴を言う事すらも申し訳ないと思っているのか年齢の近い女性社員たちに酒を飲まされてやっと愚痴を言うような女性だったのだ。
そういう控えめな面は、まぁ嫌いではなかったかもしれない。
「その妹さんの名前とかはご存知ではないんですね?」
「いや知らないな……。オレと同じ部署に小金井っていう女の人が居るんですけど、その人はよく相談に乗ってるって言ってたような」
「結構破天荒な妹さんって事ですね」
「飲み会じゃ毎回愚痴ってたんで、そうなんだろうなぁ」
年が離れた家族、と言うと、鷹羽にとっては姪っ子あたりがそれに当たるだろうか。まだ小学生だけれど、まだ小さかった頃は可愛くて可愛くて、姉の娘だというのにひたすら貢いで呆れられていた記憶がある。
姪っ子が「将来はゆきおにーちゃんとけっこんする!」と言ってくれた時には感激してぎゅーっと抱きしめてしまったものだったけれど、彼女がそこそこに成長してくると「犯罪」の二文字が頭に過って最近の接触は少なめだ。
あぁ、それこそ彼女が千百合くらいの年齢だった時には目に入れても痛くないと思っていたというのに。
「もしその子が高校生くらいだったら、この黒い部屋の発生源は妹さんかもしれませんね」
「……本当に?」
「破天荒な性格で姉に対して当たりが強かった、という辺りで姉妹に確執があったものと考えられますので、そのまま過激な性格だとしたら高校生くらいの短絡的な思考で噂に聞いた儀式を敢行してもおかしくはありません。こういう呪いの類は、
「元々の性格はそこまででもないけど、壁をぶっ壊させてしまうとかそういう感じスか」
「ですね。普段のままであれば我慢出来る所も我慢出来なくなってしまうんですよ」
黒い廊下を歩きながらも、マスターは淡々としている。
壁や天井から手を伸ばしてきている人影はマスターに触れようとするとビクリと一瞬手を止めてそこから溶けるようにぼたぼたと床に落ちていって、鷹羽はマスターの半歩後ろを歩きながらそれを踏まないようにぎこちなく歩いていた。
さっきまでと、廊下の黒さの度合いは圧倒的だ。少しは見えていた自動販売機の商品のパッケージもすっかり見えなくなり、じっと見ているとその黒い部分が人間の形に浮かび上がってきて鷹羽にも手を伸ばしてくる。
それも、マスターの近くに戻ればボタボタと溶けていってしまうのだけれど、それはそれでいい気分ではない。
人間が溶けていく様を見せられているのと同じようなものなのだ、気分がいいわけがない。溶けていく瞬間には腕の中に骨だとか筋繊維だとかがわかるような溶け方をされるのだ。気分が悪いことこの上ない。
だがマスターの所に戻ったら戻ったで、彼が手に持っているものがやっぱりどうにも気味が悪いのでため息が出てしまう。
マスターがしれっとした顔で手にしているのは、先程の「山内理絵」人形の残った方の腕、だ。
手首に力がなくぶらんぶらんと動いている木の人形の手を持っているマスターは今の状況の異様さはどうでもいいかのような顔をしていて、先程必死こいて山内理絵の腕を踏んで引き剥がした身としては微妙な気分になることこの上ない。
なんでそんなものを? と聞いたら
「後悔があるのなら、これが案内してくれるかもしれないと思って」
なんて言うのだから頭痛がする。
後悔がある、ということは、山内理絵はもう死んでいる、ということ、だろうか。聞きたいような聞きたくないような、複雑な気持ちだ。
山内理絵に関して鷹羽は特に重い感情を持ってはいない。ただの同期入社の一人。それも複数人居る中の「彼ら」の一人だ。
彼女がエレベーターに突進してきて身体が半分に引きちぎれた時には動揺したし恐怖もしたものだけれど、それ以上でもそれ以下でもない。
知っているからこそ微妙な気持ちになるし、知っているからこそ複雑な気持ちになるというだけの話で、まるでテレビのニュースで報じられている事故で知人が死んだ、くらいの感覚でしかないのは本音だ。
けれど、なんで彼女が、なんで避けられなかったんだ、という気持ちは当然ある。だって、知っている人なのだ。何度か二階に足を運ぶたびに声をかけられたこともある人なのだ。「彼ら」の一人でしかなくっても居なくていい人だとは、殺されてもいい人だとは、思えない。
「……なんで山内さんは、オレに攻撃してきたんだろ。嫌われてたのかな」
「攻撃?」
「あぁえぇと……なんか、木の人形の状態で遭遇してめちゃくちゃ追い掛けられて……エレベーターに逃げたら閉じる直前に凄い勢いで走ってきて身体ねじ込んできて、なんていうか凄い、怖かったなぁっていうか」
「……山内さんが、ですか?」
「はい」
ピタリと足を止めて、マスターが顎に手を当てて考え込む。その間も山内人形の手をプラプラさせるのはやめないので、もしかしたらちょっと気に入ったのだろうか? なんて思いつつ、鷹羽はマスターの反応を待った。
廊下は先程鷹羽が歩いていた時と変わらず真っ直ぐ進むとそのまま廊下が続き、気がつくとエレベーターホールに戻って来るようになってしまっている。途中で溶けた黒い人間はそのままだが、振り返ればエレベーターの中にはまだ木の人形の半身があるのでさっきのようにエレベーターに乗り込んでしまうヘマはおかさないだろう。
「鷹羽さん、あの木の人形に出会ったのはどこですか? 行ける範囲にありますか」
「あ、はい。そこの扉を入った部屋です」
「そこから追い掛けられて……エレベーターに?」
「ですね」
「……鷹羽さん、もしかしてなんですが」
山内さんは貴方を助けようとして近づいてきたってことはありませんか?
マスターのその言葉に、鷹羽は「は?」なんて間抜け過ぎる声を返すことしか、出来なかった。