黒猫という存在は、不吉の象徴であると言われる事が多い。
例えば眼の前を横切られたら不運が起きるとか、病に臥せっている時に黒猫が来ると死期が近いだとか、とにかく凶兆であるという見方が強いのが黒猫だった。
大体にして理由は、かつて海外であった魔女狩りという文化のせいだろうと考えられている。死者の魂を運ぶだの、死者を選ぶだのといった迷信は魔女という存在への畏れから来るものなのだろうと。
しかしこと日本においては、黒猫は幸運の使者であるという見方が強かった。
有名な運送会社のシンボルに選ばれているというのも、そういった日本独自の文化における考え方の違いが強いだろう。
それでも、眼の前を横切ると不運が起きる、といった話はどうしてか誰が言い出したのかもわからないままに根付いているし、黒猫が5匹も居ればオカルトちっくな喫茶店であるのかと黒猫茶屋も言われてきた。
黒猫茶屋に黒猫しかいないのは単純に先代の好みでしかないのだが、猫が居ると聞いて来た客が黒猫だけと聞くと不思議そうな顔をするのを、何度も見てきた。名前が黒猫茶屋だというのに、他にどんな猫が居ると思っていたのだろうか。
黒猫茶屋の黒猫たちは賢い。
自分たちが歓迎されていないと気付けば人間から距離を取り、好まれているとわかれば適切な距離に近づき、求められているとわかれば自分から人間を迎えに行く。
そういった黒猫茶屋の猫たちの性質が、あの「四匹の黒猫」の都市伝説を産んだのだろう。
【ひとつ、そこに行って黒猫に出会ったらお前はおかしなものを見ている】
【ひとつ、2匹目の黒猫が出てきたらお前は疲れている】
【ひとつ、3匹目の黒猫が出てきたら、お前は追い詰められている】
【最後に、4匹目の黒猫はお前をそこに導くだろう】
誰が言い出したのかは知らないが、その都市伝説はひっそりと、しかし確かに存在して沢山の人を黒猫茶屋に導いてきた。勿論のこと、黒猫たちが自分から言いふらしたものではないし、現在のマスターが言いふらしたものでもない。
どうやってか黒猫茶屋に足を踏み入れた誰かがそっと流した噂話が、こうしてひっそりと裏側で根付いて伝わっているのだ。
それで救われた人間が居るのかどうかは問題ではない。大事なのは、疲れて追い詰められているのだろう誰かが救われたと言っているという現実と、そうして救われた誰かがそれを別の誰かに伝えたいと思ったという事実だろう。
そうやって黒猫茶屋は、立派に都市伝説として成立したのだ。
そもそもの話、「都市伝説」というものは怖い話、という側面が強い。人間を害する存在であったり、そこに入り込んだら死ぬ、といったものであったり、殆どの場合はマイナスイメージのある怖い存在が出現して怖がらせるものだ。
そして不思議と、必ずそういった存在には「撃退方法」も存在している。ポマードと何度も言ったり、手のひらに犬と書いて見せたり、そういう簡単なものばかりだが「出会ったら死ぬ」のになんでそんな方法があるのだろうか、という疑問を抱く余地もなく撃退方法もまた実しやかに噂されている。
一体誰がどうやってそんな撃退方法を見つけたのか。
なんでその撃退方法が有効であるのか。
そもそも都市伝説の細かい設定は何故伝えられているのか。
そういったものを気にするのは野暮、と言われてしまうくらいに都市伝説というのは軽いもので、ふんわりとしたものであるのがほとんどだ。
しかしその都市伝説の中でも共通点はいくつも存在している。
赤いこと、青いこと、黒いこと。この3つは、都市伝説の中ではかなりの確率で語られる。
色がどこで登場するのかもバラバラだし、色が何を意味するのかもその都市伝説によってバラバラであることが多いけれどこの三色はほとんどの都市伝説の中で登場していた。
ほとんど、だ。必ずではない。
一説によれば「日中」「夕方」「夜」の象徴であると言う。あるいは、血液と、血液を失った死体と、その死体の末路の色であるとも言う。
どこが出どころかは分からないが、それらもまた中々イメージしやすくわかりやすい象徴だろう。
黒猫茶屋と【黒い部屋】にも、「黒」と「赤」が存在している。
そして【黒い部屋】の中で最も印象的に語られる言葉は「末路」という単語だ。これも誰が話しだしたものやら分からないが、【黒い部屋】の中で出現する「黒い人影」は黒い部屋で殺された人間の末路なのだと言う。
つまりは、【黒い部屋】の中で中身を全て抜かれ、外側を人形として利用された残りカス。死にゆくことの出来ない人間の残った魂が「末路」だ。
末路は、人間を求めると言われている。理由としては、まだそうやって存在出来る間に新たな肉体を見つけてその中に入り込めば自分の体にすることが出来るからだとか、自分だけじゃなくて道連れが欲しいだとか色々とあるが、とにかく末路は生きている人間を見つけたら襲って、殺して、外側を使うのだ。
それが、【黒い部屋】の都市伝説の中にある「バケモノに乗っ取られて別人みたいになってしまう」という部分の真実だ。実際に別人が中に入り込むのだから、別人みたいになるのは当たり前だろう。
その真実を知っている者は、まだそう居るわけではないけれど。
「おそいなー」
氷をたっぷり入れた細長いグラスの中にとぽとぽとリンゴジュースを注ぎながら、千百合は退屈そうに咥えたストローをモゴモゴと動かした。
ブンブンと前後に振られている足元には、三匹の黒猫が思い思いにうずくまったり鼻をひくひくさせたりと、興味深げに千百合の様子を見守っている。
マスターがなにかバタバタしているのには千百合も気付いていたけれど、明らかに良くないものがお店の中にぐるぐるしていたので「千百合はあんまり気にしなくていいんだよ」と言われていた。
その言葉の意図は良くわからないけれど、多分マスターが自分を呼ぶ余裕がなかったか接触させたくなかったか、そのどちらかだろうと千百合は思っていた。
首輪は交換されているが黒猫たちもお店に居るし、もしかしたら余裕がなかったのかもしれない。
それにしたって、まだ幼い少女を一人でお店に残しているというのは不用心この上ないだろうが、千百合本人はそんなことはあまり気にしてはいなかった。
この家に来てから、千百合は比較的自由にウロウロしている。
マスターも千百合と一緒に行動することが多いが彼女の行動に物申すこともなく自由意志に任せてくれているし、そんなこのお店が千百合は好きだった。
でも不思議と、鷹羽がこの店に来るようになってから不思議なことが多いと千百合は認識していた。
不思議なこと、の中身は千百合には分からない。でも、鷹羽が連れてきているのは確定だろうとも思っている。
これを直感ということと、千百合は知らない。直感というものがどういうものかも分からない幼い少女は、ただマスターが一緒に居てくれる時間が短くなってしまっていることだけをとても惜しんでいた。
千百合はマスターが大好きだ。
頭を撫でてくれる大きな手も、細いけれどしっかりしている身体も、自分を腹の上に乗っけて眠っている時の彼の寝顔も、千百合と呼んでくれるあの声も全部大好きだ。
ひとりぽっちになってしまった時に差し出された手を、千百合は忘れることはないだろう。なくことも叫ぶこともしなかった彼女を見つけて、抱き上げて、「千百合」という名前をくれた彼という存在は千百合の中では何より大きなもので、きっときっと、世界で一番大事なものだ。
だから、マスターが気にかけて、マスターを連れ出してしまう鷹羽のことは、正直あまり好きではない。
いつも一緒のお昼寝の時間にマスターが居ないことは、千百合にとってはとってもさみしいことなのだ。
でも、マスターはきっと鷹羽のことが好きなのだろう。久しぶりに何度も黒猫茶屋に足を運んでくれる、同じくらいの年齢の人間。
千百合はちょっと嫉妬してしまうけれど、マスターが彼のことを気に入っていて、お友達だと思っているというのは知っている。ずるい。今までは自分だけのものだったのに。
でもきっと、鷹羽が死ねば彼はとても落ち込むだろう。
かつて先代がこの店に来なくなった時のように、おうちの奥にある大きくて黒くて写真が置いてあるあの家具の前に座っている時みたいに、悲しい顔をするのだろう。
それはだめだ。それはいけない。
千百合は、彼のそんな顔を見たくなくって彼の嫌いなものを近づけないって決めたのだから、ずるいという気持ちだけで鷹羽を無視するのは、きっと違う。
千百合の身長にはちょっと高い椅子から飛び降りて、使っていたグラスをキッチンに置いて氷をガラガラと捨ててお水をいっぱいに汲んで置いておく。
それから、千百合はさっきまで足元にいた黒猫たちを見て、お出かけバッグの中にいつもマスターが入れておいてくれるキッズ携帯を手に取った。