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第15話 一つ

【ねぇ、黒い部屋って、知ってる?】


 目が潰れてしまいそうなくらいに見続けたその言葉をコピーしてペーストをして、鷹羽は深夜まで淡々とモニターとにらめっこを続けていた。

 本当はゲームをするために接続した2枚のモニターをそこそこいいデスクトップのタワー型パソコンは仕事の忙しさでサッパリ稼働していなかったが、今日に限ってはいい仕事をしてくれている。

 あの喫茶店での話し合いは、結局鷹羽が示したSNSの更新速度を見てマスターが解散を宣言した。

 まだ何も解決していないし状況もわかっていないのに、とは思ったが、高校生2人の携帯にも友人から「ねぇ、黒い部屋って知ってる?」と通知が届き始めたので鷹羽も反論する事は出来なかった。

 マスターは即座に2人の携帯の電源を切るように指示をすると、キクと犬飼は今日自分の家に泊めると言った。

「本当なら鷹羽さんも泊まって欲しい所なんですが……明日もお仕事ですよね?」

「ははぁ……はい」

「また、昼と夜に来られます? 食事代はこちらが持ちますから」

「いやそこは支払わせて下さいよ」

「こちらからお願いしている事ですから。そこは持たせて頂かないと」

 マスターの圧に負けて頷いた鷹羽は、用意されていたのだろう夕飯用の弁当まで頂いて帰宅した。

 多分マスターが自分を必要としているのは、彼がキクの手の黒さをる事が出来ないから、だろう。まさかマスターがあの手をる事が出来ないとは思わなかったが、誰にも得手不得手があるように「そういうもの」なんだと思うようにする。

 実際鷹羽は視ることが出来たとしても対処方法なんかは思いつかないし、今だってSNSで次々と更新され続けている【黒い部屋】の噂をコピー&ペーストして一覧にしていく事しか出来ない。

 これが何の役に立つのかと言われればわからないが、何もしないで眠る事なんかは出来そうになかった。

 幸いにして明日は金曜日だ。

 学生たちは夏休みだが犬飼は部活があったらしく泊まる事に躊躇をしているようだったが、次々と通知の増えていった携帯を見て青い顔で「休む」と言っていたし、キクは最初からそのつもりだっただろう、と、思う。

 あの子に関してはなんだか何もわからないな。

 そう思いながら、鷹羽が別のファイルに高校生2人の記録を始める。

 犬飼景一朗。高校1年生男子。濃い茶色の髪で、コンタクトレンズを着用。身長は180ちょっとで、高校1年の最初の測定から計測はしていないが伸びていると思う、との事。キクとの出会いは高校からで、偶然同じクラスだった事で顔見知りだったという。

 キク。本名不明。高校1年生は確定。真っ黒い髪で、少しクセのある紙質。目の色は薄いようだがじっと見つめられると何かを見透かされているようで快でも不快でもない変な気持ちにさせられる。猫には懐かれるタイプ。両手の指先から肘下までは少なくとも黒くなっている。

 そこまで記録した所で、そういえば最初に手を見せて貰った時よりも少しだけ……ほんの少しだけあの黒の範囲が広がっているようにも見えたなと、PCにつなげたタブレットにペンを滑らせて軽く手の黒い範囲のイラストを作る。

 画力? そんなものは二の次だ。流石に指らしきものが5本ある細長いものが腕だとは認識してもらえるだろう。

 キクは、どういう子なのだろうか。まだ顔つきも子供っぽくて、犬飼のものだろうダボダボのジャージを着ているせいか「女の子だよね?」とか、「男の子かな?」と確認するのも憚られた。

 正直男でも女でもどちらでもいいのだが、間違った性別を聞いてしまった時の気まずさったらご近所さんの赤ちゃんレベルの比ではないと思うので言及を避けた自分はいい判断をした、と、思う。

 身長は、当然だが犬飼よりは小さい。と言ってしまえばあの中で上背で犬飼に並べるのはマスターくらいだったと思うのでまぁ、判断材料にはなるまい。

 そう言い聞かせながら時計を見ると、時間はもうそこそこいい時間で流石にSNSの更新も鈍くなっている。最後の投稿が30分前になっているので、そろそろ学生たちは寝落ちの時間という事だろうか。

 それはそれでありがたいので、鷹羽もササッとシャワーを浴びて眠る準備をしてみることにした。

 あとは、自前のノートパソコンで噂のまとめをまとめ直せばいい。流石に2枚のモニターは明るすぎて眠る前に見ていると眠れなくなりそうだ。

 鷹羽が調べた限りでは、【黒い部屋】の条件に共通項はいくつかある。それらが本当に【黒い部屋】を決定づけるものかは分からないが、共通しているものが多いという事は噂が浸透しているという事でもあると思うから、まとめて置いても損はない、はずだ。


 ひとつ、普段生活している街のどこかに黒い扉の小部屋が唐突に増えている。

 ひとつ、その扉は酷く魅力的で開けずにはいられない。

 ひとつ――中に入った者は、決して出てくる事はない。


「……………」

 朝、出社前に送ってくれたのだろう鷹羽が送ってくれた【黒い部屋】についての資料を、マスターは無言で見つめていた。

 プリントアウトされたそれを何度も何度も、繰り返し噛みしめるように読んでいるその表情に邪魔してはいけない雰囲気を感じて、犬飼とキクは黙って朝ご飯のホットサンドに齧りついた。

 2人のとなりにはもうひとり。ラジオ体操を終えてまだ額に汗を滲ませている千百合が並んでいる。

 猫たちは二匹はマスターの足元に、二匹は大人しく千百合の足元へ。

 犬飼は正直あのマスターに子供がいるとは思わなかったので眠たげな千百合が階段を降りてきた時には大層びっくりしたが、千百合は少しも驚いていない顔で「おかくさんだ!」と子供らしい舌っ足らずさで喜んでいた。

 朝のラジオ体操にはキクと犬飼も参加して、普段はマスターしか居ないからだろうかとってもご機嫌な様子だ。マスターがさっきから黙り込んでいるのも気にしていないらしく、齧りついたホットサンドからスライストマトが落ちてしまった方に気を取られている。

 ――さっき彼女は、普通にキクと手を繋いでいた。

「おてて、いたい?」

 そう言ってキクの手をとって、驚いているこちらの事なんかは何も気にしないようにラジオ体操に連れて行かれたのだ。

 帰ってきた時には流石にマスターに勝手に出ていった事を叱られたものの、面倒を見てくれたお礼にと朝から甘いシェイクを飲ませてもらえたのは高校生たちにはちょっと嬉しいサプライズだった。

 千百合にはこの手の黒さが見えている。

 それはわかったけれど、その意味は犬飼には分からない。

 昨日は流されてここに泊めてもらったが、今日はどうすればいいのかも、わからない。

「キクさん、ちょっと聞いていいかな」

「は、はい」

「君、扉は結局開けたんだっけ? 部屋の中は見た?」

「いや……開けようとしたら、止められたので」

「中は見ていないね?」

「はい……」

 しかし、甘いバニラシェイクに舌鼓を打っていたキクは唐突に飛ばされたマスターの質問に座ったまま飛び上がりそうになってから応じる。

 寝起きで髪の準備もしていないマスターは今日はちょっと楽そうな浴衣姿だ。髪はまだセットしていないのか眼鏡をかけたあ目にかかりそうなくらいに降りていて、それがちょっとばかり男の色気を醸し出している。

 イケメンはずるい。

 犬飼はストローを齧りつつ、己も年を取れば少しは今より大人っぽくなれるだろうかと当たり前のことを考えた。年を取れば外見年齢も上がるのは当たり前なのだが。


 ひとつ、黒い扉の中には黒い部屋がある

 ひとつ、黒い部屋の中は【身体】であり、黒い部屋に入ると血管に絡み取られる

 ひとつ、血管に絡み取られれば、身体の全てを抜き取られる


 眼鏡をとって、マスターが「ふぅ」とため息を吐きつつ眉間を揉む。

 その様子にあまり良いものを感じなくって、犬飼は食べていたホットサンドの最後のひとくちをたいして味わわずに飲み込んでしまった。


「どうやらこれは、思っていたよりも厄介な呪詛のようだ」

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