「の……呪い?」
「呪い」
「呪い、ですか?」
ハッキリと言い切ったマスターを前に、3人でポカンとしながらマスターを見てしまう。
なんでそんなにハッキリ言い切れるんだ? という疑問もあるし、黒い部屋が呪いというのもピンとこないしマスターがそう断言した理由もよくわからない。
不思議に思いながら首を傾げていると、マスターは持っていたペンを指先でクルクル回して
「実はね、オレにはキクくんの手の黒さは見えてないんですよ」
「え!」
「見えてない……?」
「何かがあるのは見えます。でも、じっくり見ても色は普通の肌色に見える」
そういえばマスターはさっき自分が黒さを指摘した時にもじっくりと見ているだけで何も言わなかったなと、鷹羽は思い当たった。アレは、マスターにとってはキクの手が普通の肌色に見えていたからだったのか。
でも、鷹羽としては驚きしかない。
マスターはこういう分野……というか、霊的なものに対してチートっぽい人なのかと思っていたけれど、そうではないという事なのか?
「多分、その黒い部屋というのはまだ噂に留まっていて、霊的なものとしては認知されていないんでしょう」
「噂のまま……?」
「鷹羽さん。オレがこの間言ったの覚えてます? 認知と認識の話」
「えっと、あの……幽霊は誰かに認知された時に、認識されたくて絡んでくるとかそういう……?」
「そう。そしてその幽霊は、そもそもが噂から始まるものがほとんどなんです」
静かに語るマスターに、鷹羽と犬飼はゴクリと生唾を飲み込んでマスターの話に集中した。
キクは、長い前髪の隙間からチラリとマスターを見て、また目を伏せて猫を見る。青い首輪の猫は、にゃあんと可愛らしい声で鳴いてからキクの胸元に頭を押し付けた。
「心霊スポットや心霊現象は、ほとんどが噂を発端にしています。誰かがこんなことがあった、あんな事があったと語った事で徐々に”本当にそこにある”事になってしまうんです。例えそこに何もなくても、誰かが噂を流したら心霊スポットになっていた……なんてことは、最近よくありますよね」
「そういえば、心霊スポット一覧を見てたら自分の実家が登録されてた、とかいう人は見たことありますね」
「そういう事です。本当はなんでもない所でも、噂が広まって"そこが心霊スポットである"と認識している人が増えていけば、そこは心霊スポットとして認知されるようになる。ですが、まだその段階に行っていない噂話というのも存在しているんですよ」
「それが……黒い部屋……ですか?」
「おそらく。まだ噂が広まっているのが学生の間だけ、というのがポイントでしょうね」
実際に黒い部屋で誰か死んだ、という話は聞いたことがありますか? とマスターに聞かれて、犬飼はグッと言葉を飲み込んで黙り込む。
都市伝説や怪談話のうち、人から人へ伝わっていくもののほとんどは「実際に誰かが最後まで確認していないもの」であるのがほとんどだ。
例えば本当にそこで何らかの「問題」が発生したのであれば、その内容はどういうものであったとしても「その場所であった怖い話」として語られる事だろう。もしそれがただ転んだだけでも、自分以外の気配を感じただけでも関係なく、だ。
マスターが言いたいのはこの黒い部屋の話は、まだ「噂がそこまで行っていない」という事だ。
納得した鷹羽はふと気付いて、ポケットからスマートフォンを取り出すと【黒い部屋】で検索をし始めた。
学生たちの間で話題になっているだけであればまだネットで話題になっているとは思えないし、ネットに上がっていないのであれば対処は簡単なのじゃないだろうかと思ったのだ。
この間の黒い怪異だって、鷹羽個人の問題だったからマスターがさっさと片付けてくれたのだと鷹羽は思っている。
だがこれがSNSだとかで広く知られるくらいの噂となると、その影響は計り知れない。
案の定、ただ有名な検索サイトで【黒い部屋】と検索をするだけであればまだ何の情報も引っかからなかった。
いくつか大型掲示板のスレッドが引っかかったが、もうすでに見れなくなっているからそこそこ古い話だったのかもしれない。
いや、もしかしたらこのタイトルが残っているせいで学生たちの間で話題になったのかもしれない。
ではSNSはどうだろうか。
何かを話している犬飼とマスターを横目に、鷹羽はSNSで【黒い部屋】と検索を始める。
だがこれも、2011年頃にパラパラとつぶやかれているのがギリギリひっかかるだけで、ほとんど呟いている人は居ない。
なんだこんなもんか。
そう思いながら、鷹羽は画面をスライドさせて検索画面をリロードした。
その、瞬間。
「は?」
ポコンポコンと、画面に新しいポストが追加されていく。
同じ日、同じ時間。
数秒前、数分前。
「マ、マスターッ」
「ん?」
「こ、これ、あの、これ!」
鷹羽が画面を更新しなくても勝手に画面は更新され、次々と新しいポストが更新されていく。
同じ人からの投稿ではない。別の人間が同時にどんどんと【黒い部屋】の検索結果に引っかかるようなポストをしているのだ。
その画面を見て、犬飼とキクが言葉を失ったように息を飲む。マスターもまた無言でその画面を見つめていたが、やがてひとつ、ため息を吐いた。
投稿されているポストはそれぞれ違う文言だったが、必ずひとつ同じ単語が入っている。
それが全員から言葉を失わせているのは間違いがなかった。
【ねぇ、黒い部屋って、知ってる?】
◆◆◆◆◆
眠りの中で真っ暗に塗りつぶされていた意識が覚醒し、少女は暗闇の中で目を開いた。
父が用意してくれた肌触りのいいタオルケットにふれるとどこかひんやりするマットに、、これがいいと駄々を捏ねた子供用の甚平。
それらの手触りを楽しむように布団を撫でてから、少女は周囲を見回した。
部屋は夜闇だけではない真っ暗さで、真っ黒さで、まるで血管のような赤い線があちこちにひっついているように見えた。
動かずに視線だけでキョロキョロと見回していると、その血管がドクドクと脈打っているように時折明るくなり、暗くなりを繰り返している。
その様子はなんだかこの部屋自体が生きているようで、じっと見つめていると段々と部屋が狭くなってくるような、押し寄せてくるような錯覚を覚える。
しかし少女は冷静に周囲を見つめると、面倒くさそうにのそのそと布団の上で起き上がった。
途端、周囲の黒い何かが少女から逃げるように遠ざかる。少女はその様子すら意に介さず、ドアを開いて愛猫を呼び込んだ。
キチキチキチキチ
何か木製のものが引きつるような音も、少女はまるで気にならないようだった。
部屋で何かがうごめいていても、真っ暗な部屋の影に何かが潜んでいても、気にならない。
彼女にとってそんなものはどうでもいいもの、だからだ。
「わいちゃーん」
ドアの前に控えていたのか、緑色の首輪をした黒猫が返事をしながら少女の足元でくるくると回る。
少女は部屋を一度振り返りその部屋がいつもの自分の部屋に戻っている事を確認すると、面倒くさそうに欠伸をした。