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第9話 はじまりのエピローグ

「も、もーしゅうれい、ですか?」

「そう。妄執霊、と書くんだよ」

 こう、とサラサラとメモ用紙に達筆過ぎる文字で漢字を書いてくれたマスターは、布団で情けなく大の字で寝転んでいる状態の鷹羽にも見えるようにそのページを見せてくれた。

 妄想の妄に、執念の執の、霊。

 オカルトには元々詳しくはないのだが、そういう幽霊が居るということを鷹羽は初めて知った。

 エアコンの効いた心地のよい畳の部屋でのことである。

 あの謎の黒い怪異のパワーに完全に負けて失神した鷹羽を住居部分なのだというそこに運んでくれたらしいマスターは、千百合を看病に残してさっきまで喫茶店を切り盛りしていたようだった。

 その間鷹羽はと言うと何故か眠くて眠くて起き上がるどころか目を開くことも出来なくって、寝ては起きて起きては寝てを繰り返す。

 起きている間に会社に電話をしようとも思ったけれどそれは到底無理な話で、多分「アイツバックレたな」なんて思われているんだろうなと思っていたらそこはちゃんとマスターが連絡をしてくれていたらしかった。

 熱中症で倒れてウチで休んでいます、とわざわざ編集部にまで行ってくれたそうだから、マトモに頭が働くようになった今本当に申し訳ないと今更頭痛がやってくるような心地だ。

 しかも汗だくでビショビショだった服はいつの間にか着替えさせられていて、着心地のいいサラサラした甚平を着せられている。

 勿論パンツは元のままだけれど、そこまでやってもらっているのに起きなかった自分は一体何をしていたんだと布団の上でゴロンゴロンと転げ回りたい気分だ。

「妄執霊というのはね、自分の勝手な思い込みで誰か一人をターゲットに定めて、その人に取り憑いくヤツの事を言うんだよ」

「べっとりして、やなんだよねっ」

「そう。自分で勝手に取り憑いただけのくせに自分の希望に沿わないと徐々に体調が悪くなるように圧をかけて、そのうち取り殺してしまうんだよ」

「ひ、ひえぇ……そんなのが何故オレに……」

「電車で、たんでしょう?」

「それだけですか?」

「それだけでも、アイツらには十分なんですよ」

 そう断言されてしまうと、鷹羽としても「そうか」と納得してしまいそうになる。

 だって、よくネットとかで読むオカルト話とかでも発端は本当になんでもない事が多い。

 ただその場所の近くを通っただけだとか、花を摘んだだけだとか、話題に出しただけだとか、そんな程度の始まりのものは多く結末がないものだってゴロゴロしている。

 きっと鷹羽にとってはあの電車で目が合ったのが「きっかけ」で、その妄執霊とやらにとってはそれで十分だったのだろう。

「声を聞いてほしかったんだと思いますよ。まぁ、生きている間に声帯が無くなってたみたいなので話しようもなかったみたいですけど」

「そう……なんです、か……」

「最後まで執着していて、危うく悪霊になる所でした。ギリギリでしたね」

 マスターはなんでもない事のように話しているが、その言葉だけでも鷹羽にとっては酷く「重い」話だ。

 だって、気付いてほしかった、聞いてほしかった、だなんて、ただそれだけの事なのにどちらも叶わないままだったのだ、アイツは。

 なのに、唯一気付いた鷹羽はその姿に驚いて、恐怖して、拒んでしまった。

 マスターは「話しようがなかった」と言っているけれど、なにかしてやれる事もあったんじゃないかと思わなくもない。

 だって、アイツは多分元々人間だったはずの存在なのだ。

 そんな存在が、初めて自分に気付いてくれた鷹羽に執着するのは当たり前なんじゃないか、とか、思って、しまう。

「駄目ですよ、鷹羽さん」

「……へ?」

「霊に同情してはいけません。それは、霊に引き摺られているのと同じことです」

「うっ……」


「あちらとこちらは住む世界が違います。悪霊になりかけた幽霊に何かしてやれたんじゃないかと思うのは、相手の手口にうまく捕まっているようなものですよ。アイツは間接的にせよ貴方を害したんです。殺そうとしていたんです。その段階で強制的に成仏させられていてもおかしくはなかったんですよ」


 顔の前にパッと大きな手を出されて、鷹羽と何かを遮るような状態のまま静かに静かにマスターが言う。

 それは、そうかもしれない。

 そういえば以前何かで道端にある交通事故現場だとかの花束にふと気付いた瞬間とかは「呼ばれている」瞬間なのだとか聞いたことがある。

 そこに居る誰かに呼ばれているから花束に気付いて「あぁここで交通事故があったのか」と気付くのだ、と。

 そうする事で、「知ってもらえる」から、と。

 だから、そういう事故現場とか慰霊用の石碑なんかにはあまり意識を向けすぎるな、と。

 言っていたのは、誰だっただろうか。確か子供の頃に聞いたような気がするのだけど。

「そんなに気になるなら、読んでみますか?」

「へ?」

「ごほん! ちゆはまだよめないけど、いっぱいあるんだよ!」

「ご、本?」

 これです、とマスターが差し出してくれたのは物凄く古い、ページの色さえ赤茶けてしまっているような一冊の本だった。

 本を受け取ってゴロリとうつ伏せになって本を開くと表紙に貼られている題字を入れるはずの紙がペリペリと音をたてて、糊が剥がれてしまうのじゃないかとヒヤヒヤしてしまった。

 しかしその本を開いてみて鷹羽はまた驚いて声を上げそうになった。

 本の中の文字が、動いている。

 まるで糸状の虫がのたくっているように動いている文字は、鷹羽がページを開いたのだと気付いたかのように徐々に整列して文字になっていき、その文字は恐らくは何かのショートストーリーのようだった。

 開いた瞬間には驚いた鷹羽だったが、恐る恐るその文字を目で追ってみるとさらに驚いて言葉を失ってしまう。

 ほんの数ページ。実際に数えてみれば10ページもないだろうそのページの中には、人生があった。

 そろそろ40になるのに恋人も恋愛経験もない男が、今日もただ命を繋ぐだけの金を稼ぎに仕事をしに行く朝。その男は、ランドセルを背負った登校途中の子供が偶然に彼の背後で転んだことで線路に転落し、命を落とした。

 背の高かった男は顔面と下半身を電車に轢かれ、その【救助】は非情に難航した上にもう生きていない彼のことよりも朝のラッシュ時の電車の再開を急ぎたかった鉄道会社の判断で無理矢理【救助】されたことにより彼の首や顔面は伸び、首は半分千切れて声を失ってしまった。

 なんで自分が、どうして自分がと、1ページを丸々埋め尽くして憎悪の言葉が書き連ねられているが、鷹羽にはこの憎悪を咎める事は出来なかった。

 もうすぐ誕生日だと、それでもほんの少し嬉しそうだった冒頭、その彼の楽しみは無邪気な子供のうっかりで轢き潰されてしまったのだ。

 その怒りを、悲しみを知ってほしくて、悲しくて、辛くて、彼は――


「私は、そういう話を蒐集しておりましてね」


「へ……?」

「趣味、といいますか。まぁ趣味と言ってもいいのでしょうが、先祖代々こういう目をしているもので嫌でも関わってしまいましてね。それならいっそ、聞いてもらえなかった声を集めてやろうと思って表に喫茶店を作ったんです」

 喫茶店、と言いながら手で示されたのは、いつも鷹羽が世話になっている店への通路なのだろうとわかった。

 真っ白ではないほんのりとオレンジ色の照明が目に優しくて、鷹羽はそれも気に入っていた。

 けれど、彼が趣味と言って手で示したほうは……真っ暗だ。嗅ぎ慣れたインクと紙の匂いがして、多分これは、古い本が沢山あるのだろうと思わせる匂いだった。

「そういう話、という、のは?」

「鷹羽さんは、こういう幽霊だとか悪霊たちはどうやって生まれるかご存知ですか」

「え? えぇと……人が死んだら、とか?」

「いいえ。人が噂をしたら、です」

 噂、と思わず鸚鵡返おうむがえしにすると、マスターは薄っすらと笑みを浮かべながら頷いた。

「ただ人が死んだだけなら、世界から一人人間が消えただけ。その人の思い出は友人知人や家族によって大事にされて、その思い出も段々と消えていくものです。ですがいつまでも消えないもの……語り継がれるものは、人が死んだ後に発生してしまった悪い噂です」

「それは……」

「鷹羽さんも心霊スポットとかご存知でしょう? そういうものは、一朝一夕で払拭できるものではない……もしかしたら永遠に残るかもしれないものです。そうして噂が人を呼び、何も無かったかもしれない場所に何かがあったことになってしまう」

「それが……幽霊?」

「幽霊は誰かが認知して認識した時に生まれるものだと、言ったでしょう?」

 あぁ、そうだったと、鷹羽はストンと納得をした。

 あの妄執霊とやらは鷹羽が「居る」と気付いたことで鷹羽に執着してしまった。知ってほしがってしまった。

 もしかしたらただ電車の中をウロウロしているだけの無害な幽霊だったかもしれないのに、恐ろしい姿をしているというだけで鷹羽が恐れてしまったから、怖い存在になってしまった。

 心霊スポットが恐れられる理由は、何かがあるからではなく「何かがありそうな雰囲気がある」からだ。

 そうやって人が人を呼び、噂が噂を呼んで心霊スポットは有名になっていく。

 今回のことも、規模は小さいがそういう事だったのだと、マスターは言った。

「貴方は運が良かった」

 マスターが、鷹羽の背をタオルケットの上からぽん、ぽんと叩く。

 その手があまりにも寝かせつけ慣れている手だったから、鷹羽はまた眠気が戻ってきたような気持ちがして本をぱたりと閉じて枕に頭を埋める。

「今はゆっくりお眠りなさい。こういった事で消耗した身体は簡単には戻りませんから」

「ぅあい……」

「おやすみ、おにーちゃん!」

「ぁい……」

 あれ、でもそういえばなんでマスターはあんな本を持っているのだろう、とか、なんでそんな事が出来たのだろう、とか。

 そもそも名前教わってないなぁとか、そんな事を思いながら鷹羽はゆっくりと眠りに落ちた。


 これが、自分たちが出会う様々な事件の一番最初で一番小さなものであるとは、その時の鷹羽は勿論知る由もなかった。

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