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黒猫茶屋裏口古書店
ミスミシン
ホラー都市伝説
2024年07月23日
公開日
36,788文字
連載中
雑誌編集者の鷹羽雪緒は、今日も今日とて公募作品の選考作業に追われていた。そんな最中、彼は公募作品の中に「あらすじ」だけの作品がある事に気付く。
不思議に思いつつもそれらを選考外にした日から、鷹羽の周囲では不思議な現象が起こり始め、別のフォルダに移したはずの「あらすじ」だけの作品が再びパソコンの中に戻ってくる……
疲弊した鷹羽が恐怖に怯えながら電車に乗った時、彼は不思議な少女に出会う―――

雑誌編集者の鷹羽と、不思議な喫茶店【黒猫喫茶】を経営する父子が出会う、【認知】と【認識】によって都会を跋扈する様々なオカルト事件。
様々な人によって【認知】されていくようになるそれらに、3人は知れず知れず関わる事になる。

不思議な喫茶店【黒猫茶屋】に集まる、少し不思議なオカルトのお話。

第1話 日常

 その日青年は、ぐったりと重い体を引き摺りながら出勤していた。

 一向に取れぬ疲労と脳に張り付いているような眠気は最早職業病とも言えるものになっていて、勤続5年にもなる青年にとっては慣れ親しんだものだが真夏のこの時期になるとどうにも辛くて仕方がない。

 ただでさえ暑さで体力が削られるというのに、青年の勤務している出版社はこの時期になると大きな賞を開催するから実に面倒くさい。

 最近では小説賞が人気らしく、大小様々な新人賞を開催するたびに多数の応募が寄せられてくる。

 それはいいのだが、その選考を担当する方としては疲労が溜まるのが正直な所だった。

 青年の部署はWEBから応募されてくる投稿作品の選考がメインだが、インターネットが主流になっている昨今では手書きの原稿よりもWEB応募の方が圧倒的に数が多い。

 お陰様で、この時期になると青年はいつも寝不足気味だ。

 目を閉じても瞼の裏に文字が浮かんでくるような気がして落ち着かず、作品を選ぼうにも最近のブームになっているジャンルに偏る傾向があるお陰で登場人物名がごっちゃになって頭の中はいつもパンク状態だ。

 勿論そんな状態にあるのは青年だけではない。

 先輩も後輩も、この部署に配属された者はこの季節大体みんなおんなじような表情をしている。

 去年から応募時にタグを設定してもらってそのタグ別に担当者を決めるという試みがされてはいるが、逆に言うと読む側は同じ設定のものと何十と読まなければいけないということでもあるので結局疲労感は変わらなかった。

 本を読むのが好きというのは、イコールで何でも読むというわけでもないのだという事を、青年はこの数年で痛感しつつあった。

 読むのが楽しいと思うのは、最初の3作品程度までだ。

 最近の流行のパターンは案外ライトノベルも文芸もそう大きく変化がないものだ。

 今日は少しは違うものもあってくれと願いながら、青年――鷹羽雪緒たかばゆきおは今日も今日とて冷房がガンガンに利いた編集部のドアを潜った。

 今どきタバコの煙で充満した編集部の匂いに、鷹羽もつい胸元のポケットを探る。

 あ、禁煙始めたんだった、といつもならあるはず煙草の箱が無い事で気が付いて、鷹羽は「はぁ」とひとつ大きくため息を吐いた。

 デスクに行く前にコーヒーを自分のカップに注いで、100円を払えば好きにチョイスしてもいいお菓子メーカーの棚からお菓子をいくつかとって口に咥える。

 この時間になると、編集部の人々はみんなPCに齧りついているので朝の挨拶は唸り声のようなそれで十分だ。

 集中を途中で途切れさせるとどこまで読んだか分からなくなってしまうので、邪魔はしない。

 編集部の誰も彼もがこの時期は「自分も朝の挨拶で邪魔をされるとイラッとしてしまうので」と、自然と暗黙の了解となった「無挨拶」だった。

 さて、と。鷹羽は自分のデスクにコーヒーとお菓子を置くと、スリープ状態のPCを起動させる。

 文字が読めればいい最低限の機能しかないノートパソコンは起動がいまいち鈍くて、そろそろ新品に取り替えてもらうべきかと椅子をギシリと言わせながら思案した。

 編集長はこういった備品の更新には腰が重いタイプだ。

 分からないでもないが、必須アイテムなのだからサクッと更新して欲しいものだと思う。

 心の中でぶつくさと言いつつ、コーヒーを一口。

 ぼんやりしている頭を別に好きでも何でもないブラックコーヒーでシャッキリさせようと試みつつ編集者用ソフトを立ち上げ、投稿されてきている小説の一覧を確認する。

 すでに応募は締め切られているので当然一覧に変化はないのだけれど、その日に読みたいものを読むので読了一覧の更新のされ方は疎らだ。

 投稿してくれた人には申し訳ないが、その日の体調や精神状態によって読める作品というのは案外変わる。

 具体的には、消費カロリー的な意味で。

 それらの判断基準となるのは、あらすじだ。

 投稿時に必須で入力してもらう作品のあらすじは、編集者が作品を選考する上では必須の項目でもある。

 何しろここでその日に確認する作品を選ぶし、あらすじと作品内容がまったく違う作品はその段階で印象があまりよくない。

 あらすじが読みやすくその段階で起承転結がついているものは、作品もきちんと完結しているものが多いから、あらすじとは書く者が思っているよりもずっと大事なものなのだ。

 そんなわけで、今日も一先ずはあらすじを読み始める。

 もう何度もあらすじ一覧には目を通しているのだが、毎日一作品以上は目を通す関係からもう一度読み返さないとなかなか記憶が蘇ってこないなんて事もあるのが現実だ。

 残念ながら、編集者は応募者が思っているよりも一作品に対してあまり時間を使わない。申し訳ない事ではあるが。

 コーヒーをすすりながら今日最初に読む作品を選んでいると、鷹羽はふと短いあらすじに目を留めた。



【いつもと変わらぬ帰り道だったはずだった。いつもの満員電車。いつものしっとりした電車内の空気。夏の暑さに冷房が負けて汗が流れる夜の車内で、彼はいつもとは違うものと遭遇する。それは、今まで一度も見たことがないもの。だが彼は本能的に、それは見てはいけないものであるという事に気が付いた――】



 短く、簡潔なあらすじだ。ストーリー全体を網羅しているあらすじであるとは思えないが、ホラーテイストな作品なのだろうという事はすぐに分かるしこれが導入としてストーリーが展開されていくのだろう事も分かる。

 今日はこれにしてみるか。

 投稿作品ではあまり種類の多くないホラー作品という事に興味を惹かれた鷹羽は、集中して読むためにコーヒーの入ったカップをそっと脇に除けてあらすじをクリックした。

 クリックしたリンクの先にはタイトルと、作者名と、それから冒頭のページが表示される、ようになっているはず。

 だったのだが、

「……あれ、内容がない」

 危うくギャグになってしまいそうな一言を飲み込みながら、鷹羽は何も表示されていない画面を数回リロードしてみた。

 しかし画面にはあらすじが表示されているだけで他には何も表示されておらず、必須入力項目である名前も、連絡先も、その全てが空白だった。

 なんだこれ。あらすじを書いて力尽きたのか?

 折角選んだというのにとんだオチをつけられてしまってガックリときた鷹羽は、画面を最初のページに戻すと先程の作品を「入力不備」として選考ページから削除した。

 普通は一応は別のページに作品自体は保存なりしておくのだけれど、これは単純に操作ミスか何かをして入力が出来なかった類だろう。

 なんだ、つまらない。

 出鼻をくじかれたような気持ちになりながら、鷹羽はもう一度あらすじ選びに戻る。

 その光景はいつも通りの光景で、何も変わらない、この季節特有ではあるもののただただ普段のうんざりする日常でしかなかった。

 だがその日常の中で、鷹羽はひとつだけ楽しみにしている事がある。

 それは、この会社と駅までの間の路地の裏。

 このあたりでは比較的大きな商店街の路地をひとつ入った所にある喫茶店に足を運ぶ事だ。

 マスターが一人で切り盛りしているのだろう喫茶店は黒猫のマークがついた看板が目印で、その看板を体現するような黒猫が四匹カフェ内をウロウロしている和風のお店。

 紅茶もコーヒーもあるが、鷹羽はそこに行くといつも日本茶を注文することに決めている。

 特に理由はないのだけれど、ここで食べるマスター手作りだというわらび餅にはやはり日本茶がとても良く合うのだ。

 いつもあまり人が居ない店内は「これでよく商売が成立しているな」と心配になってしまうほど静寂に包まれていて、コーヒーメーカーのコポコポという音の他にはたまに猫の欠伸だとか木の床を歩く音だとかが聞こえるくらいで音楽もなにもない。

 だがそれが心地よくて、鷹羽は昼飯によく通うようになっていた。

 とにかく猫が可愛いというのもあるが、マスターも必要な事以外口を開かないし静かだし店内も明るすぎないのが丁度いい。

 席を占領していても満席になることは滅多にないので昼休み中たっぷり時間をかけていられるし、たまに作業が進まない時なんかはあえてここで仕事をして日本茶とコーヒーを堪能する事もあった。

 逃避場所、とでも言うべきだろうか。

 いつも15時頃には退散して職場に戻ってしまうので夕方何時までやっているかは知らないが、チェーン店でもなければご近所さんが詰め掛けるわけでもないこの場所はとても居心地がいい。

 鷹羽は、身体に疲れが溜まるとここに逃げるのがある種のお約束になっていた。

 そしてもう一つ、楽しみにしているものがある。

「コーヒー1つとアップルパイ2つ、持ち帰りでお願いします」

「食べ過ぎでは?」

「今日はつかれてるんで」

 ここの名物のわらび餅と双璧を成す旨さのスイーツ。それがアップルパイだ。

 ゴロゴロとしたりんごはしかし酸っぱくなく甘すぎず、りんごとパイ生地の間に挟まっているのはカスタードでなく生クリームという異色さだがそれがまた美味かった。

 サクサクのパイ生地はどういう製法なのか冷蔵庫で一度冷やしてもしっとりする事がなくサクサクなままで、レンジで少しあたためた上にアイスや生クリームを乗せて食べると疲れも吹っ飛ぶ甘さに変貌する。

 一度何となく試しに注文してからは、帰りがけに買うのがお決まりのようになっている鷹羽だ。

 マスターと会話をするのは注文する時とこの持ち帰りの時くらいだが、すっかり覚えられているのかいつも鷹羽が帰る頃には小箱に用意されているのも何となく嬉しい。

 東北から上京してきて一人で暮らすこと10年近く。

 数少ない会社の外の人とのコミュニケーションの機会だ。

「……確かに、疲れているようですね」

「まぁ、この時期は毎年こうなんですけど」

「……これ、オマケです。入れとくので、よければ食べて下さい」

「えっ、いいんですかっ」

「えぇ。サービスです」

 腹を冷やさないためのホットコーヒーにアップルパイが2つ入った真っ白な飾り気のない小箱。

 それに、小さな手提げ袋の中に入ったわらび餅を渡されて、鷹羽はこの寡黙なマスターが自分から話しかけて来てくれたことにも喜びながらウキウキとそれを受け取った。

 余計な荷物ですみません、なんて言うマスターはいつも通りの無表情だ。

 たまに和服で店内をウロウロしている事のあるマスターは、多分年齢的にはそう違いないくらいかちょっと年上くらいだろうか。

 最初は「背の高いイケメンがいる」と思わずたじろいだ鷹羽だったが、黒猫と同化でもしているんじゃないかと思ってしまうくらいに存在感のない彼に慣れるのは案外早かった。

「出来ればわらび餅は、家で食べて下さい」

 そう言っておまけに保冷剤までつけてくれた店主に感謝しつつ職場に戻った鷹羽は、アップルパイを1ピースだけ取り出してコーヒーのカップの上に適当に乗せてからウキウキと共用冷蔵庫にわらび餅をしまうと、いそいそと自分のデスクに戻った。

 アップルパイ1個を食べるのに皿なんかは必要ない。

 パイ生地を落としてしまわないようにナプキンは敷くものの、お上品に食べるのは家に帰ってからで十分だ。

 今日はわらび餅が1つにアップルパイが1つ。

 どちらを夕飯のデザートに食べてどちらを風呂上がりに食べようか、あぁアップルパイにはバニラアイスを乗せてもいいなぁ、なんて思いながらスリープにしていたノートパソコンを立ち上げる。

「……あれ」

 ほんのりシナモンの香りのするアップルパイを一口齧って爽やかな甘い香りを堪能しつついつもの作業ページを見ると、先ほど中断させたページとは少しばかり画面が異なっている事に気付く。



【いつもと変わらぬ帰り道だったはずだった。いつもの満員電車。いつものしっとりした電車内の空気。夏の暑さに冷房が負けて汗が流れる夜の車内で、彼はいつもとは違うものと遭遇する。それは、今まで一度も見たことがないもの。だが彼は本能的に、それは見てはいけないものであるという事に気が付いた――】



 さっき削除したあらすじだけの作品が、何故か画面のトップに表示されている。

 確かに削除をしたし、無くなっている事も確認したはずなのに。

 ちょっとばかり首を傾げつつ、片手にアップルパイ片手にマウスと、お行儀の悪い格好で画面をじっくり眺める。

 いや、もしかしたら朝に寝ぼけて削除完了のボタンを押し損ねたのかもしれない。

 その後画面遷移をしてしまったからきっと気付かなかっただけなんだ。

 そうだ、きっとそう。

 不思議に思いながらも、鷹羽はもう一度そのあらすじだけの作品を削除した。

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