窓から差す早朝の陽差しを受けながら、ラナベルは足早に部屋に戻った。
パタリと控えめに扉を閉める。
ベッドを見れば山が出来ていて、まだレイシアが眠っているのが分かった。無性に彼の顔が見たくなってラナベルはそろそろと近づいた。
ゆっくりベッドに乗り上げ、レイシアの顔が見えるようにころりと横になる。
彼の目許にうっすらと隈が残っていることに気づいて、その影をそっと指の腹で撫でた。
レイシアはイシティアの件について王妃たちに極刑を望むようなことはなかった。
彼はなぜ兄が死んだのかという真相のみで十分だと言った。語る彼の瞳に淀みはなく、本当にそう思っていることがよく分かった。初めて会ったときに抱えていた憎しみや怒りはどこへいったのかと疑問には思う。無理をして一人で苦しんでいるんじゃないかとも。
けれど、レイシアが過去だけに囚われず未来を見据えていることは、純粋に嬉しかった。
王妃は表向きには重い病にかかって療養のために王都を離れたと伝えられていた。だが、本当は身分もなにもかも捨てることとなり、監視付きで片田舎でひっそり暮らすことになった。
王妃の仕事は全て第一側妃のグレイスが引き継いだ。
王妃は最後までラナベルやレイシアたちに真摯に謝罪し、望むのなら刑に処してくれとも言うほどしおらしい態度だった。しかし、身分を捨てて地方で過ごすよう告げられて城を出る際、これが最後とでも思ったのか彼女は国王に、これまでの鬱憤全てを晴らすように平手打ちをした。
捕らえようと動いた近衛兵を止めたのは国王だ。彼はなにも言わずにそのまま王妃だった女性を見送った。
むしろそんな現場を見てしまったラナベルやナシアスを筆頭にした子どもたちのほうが気まずかったものだ。
あの張り詰めた空気を思い出して乾いた笑いが出てしまう。
(どうかこれからは穏やかに過ごして欲しいですね)
レイシアの髪を梳きながらそう思う。彼も王妃が苦しむことを今さら望んでもいないだろう。
王妃は今ごろ国王の指示である村に辿り着いたはずだ。そして、そこで監視員とされる男性に会っているはず。
彼女は、その男性との
「レイシア殿下、そろそろ起きてください」
顔を寄せてそうっと耳許で囁く。むずがゆそうに身じろぐと、ゆっくりと赤い瞳が覗いた。
「ラナベル?」
「はい。おはようございます。そろそろ起きないと神殿に間に合わなくなってしまいすよ」
なんせ今日は大事な結婚式なのだから。
頬にキスをすると、レイシアは嬉しそうにクスクス笑ってベッドから起き上がった。
冬の終わり、春に入った温かな日。
ラナベル・セインルージュとレイシア・ヴァンフランジェは婚姻を結ぶために王都にある大神殿を訪れていた。
本日の儀をもって、レイシアは王族からセインルージュ公爵家の一員となる。
二人の婚姻となるともちろんラナベルは自分が嫁ぐこととなるだろうと思っていたのだが、レイシアは当然のように自身が臣籍降下することを告げてくれた。
ラナベルの「セインルージュ」としての誇りを優先してくれたのだ。
むしろ無用なしがらみから抜けられてありがたいと、彼は皮肉るような口ぶりだった。
(最近はナシアス殿下やローラン殿下とも仲が良さそうなのに)
王妃との件が国王に心情的変化を与えたのか、彼は最近ではナシアスに自身の仕事の一部を任せることが多くなった。世代交代も近いのではないか、というのは近しい家臣たちの見解だ。
そのナシアスの補助としてローランやレイシアはよく駆り出されることがよくある。イシティアの件が一段落したおかげか、互いのしがらみも弱まり、今では存外仲良く三人で公務に当たっている。第五王子のアノールは芸術面での才覚に長けており、ナシアスの王太子の仕事が活発化したのもあって、自分の好きなことにやりこんでいるという。今度は外交もかねて芸術領域が富んだ国へ留学に行くというのだ。
ミリアナのお腹は順調に育ち、最近はマイサと一緒にお茶会をするからと結構な頻度でラナベルを招待してくれる。あまり頻繁に行きすぎるとレイシアが拗ねるので、それらの誘いの半分ほどは残念なことにお断りさせてもらっていた。
そうやって、みんなが前に進んでいる。
レイシアとラナベルも同じだ。今日は二人にとって大きな門出となる。
「では、両者神への謝辞を」
進行役を務める初老の大神官の言葉に、レイシアが典型通りの言葉で王家が祝福を受けるクーロシアへ謝意を述べる。そして、彼に続いてラナベルもそっと両手を結んで祈るように目を閉じた。
「我がセインルージュを見守りし神インゴールよ。あなた様の与えし祝福により我が家名はここまで繁栄して参りました」
神の名を呼び、祝福への賛辞。そして、今後も変わらぬ祝福への祈りの言葉。それが通例であったが――。
「あなた様から授かりし祝福は強大で、きっと人の身である私には過ぎたるものだったのでしょう。この権能ゆえに苦しみを覚えたことも数えきれません」
多くはない参列者たちが背後でざわめく。大神官も困惑顔でラナベルを見た。
「ですが、この苦しみとともに生きてゆこうと思います。この力は強大で、だからこそ自分の手が届かなかったときにより苦しむとしても、それを支えてくれる縁を紡いでくださったのもインゴール様の祝福ゆえ……かの人との縁は、私にとってなによりも得がたいものでございます」
祈りの最中にありながら、ラナベルは手を解いて隣にたつレイシアを見た。
彼はラナベルの言動に驚き、そして感動したように言葉をなくして目を瞠っていた。
神殿の照明を照らし返す赤い目が、一際きらめきを濃くしたとき「ラナベル」と彼が口だけ囁くのが分かった。答えるようにラナベルもうっとりと微笑む。
「お与えくださったこの縁による幸福に報いるため、私はこの権能を人々のために使い続けることを誓います。どうかこれからも我らのことを見守りください」
そう結んで、ラナベルはドレスの裾を持って深く腰を折った。
ひらりと蝶の羽根が広がるような柔らかな動き。ゆったりと優美なその姿勢はそれだけで神聖な儀式のようで、レイシアを筆頭に参列者たちは惚れ惚れとしたため息をつく。
祭壇に飾られた石像は、ガラス窓を通して差し込む陽差しに当たり白く浮かび上がるようだ。その石像が、まるでラナベルの言葉に応えるように一瞬だけ煌めきを強くした。そんなふうに見えた。
神への言葉を最後に、大神官の言葉に倣って二人は向き合う。
「それでは、誓いのキスを――」
いつもの大胆さはどこへ行ったのか。レイシアは照れているのかまごつきながらラナベルの肩に手を添えた。
ぎくしゃくした動きに思わずラナベルはクスリと笑う。そして――。
「レイ、愛しています」
少し背伸びをして、愛の言葉とともにその唇を攫っていった。
赤くなった頬で「あっ」と残念そうに、ショックを受けたレイシアに今度こそラナベルは声をあげて笑った。
うたうように高らかに。そして幸福のなかにいるとばかりに満たされた顔で。