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第86話

 閉ざされていた視界が開け放たれたように晴れやかな気分だ。

 やはりセインルージュ家としての誇り故か、人々を癒やすことこそが自身の生きがいだ。

 そのことを、ラナベルはスレアへの道中で重々に実感していた。

 森で一晩過ごしたテントから出て、ラナベルは朝日を浴びながらふうと深呼吸を一つ。

 こんなに気持ちのいい目覚めもそうそうないだろう。

 ナシアスがつけてくれた王宮の騎士たちが野営の後片付けをしている。ラナベルもそそくさと近づいて手伝えば、恐縮しつつも彼らは簡単なものを任せてくれた。

 王宮の所属騎士は多くは貴族の家系だ。つまり、ラナベルの噂や権能についても周知の事実であり、最初は「流行病の終息」という大仕事を本当にラナベルが遂行出来るのかと懐疑的な目を向けられていた。

 疑うのも無理はない。今まで散々祝福を失ったと言われ、反論もしなかったのだ。

 それなのに急に出来ると言われても信じられないだろう。しかもこれから向かうのは病が蔓延した死亡者も出ている土地だ。

 死地に赴くような顔色の騎士も一人や二人ではなかった。

 また、不安を抱えていたのはラナベル自身も同じだった。強い意気込みがあったところで、権能を上手く使えなくては意味がないのだから。

 道中、獣に襲われた騎士の治癒をしたとき、なにより安堵したのはラナベル自身だろう。

 騎士の態度が変わり始めたのもその頃からだ。

「公爵家の公女様にこんなことさせて怒られないか?」

 ラナベルに手伝いを指示した騎士へもう一人の騎士が囁く。

「ラナベル様がご自分からしたいとおっしゃってるんだから大丈夫だろう」

 ひそひそと騎士同士が目を合わせる。

 そしてチラリと離れた所にいるラナベルを見た。

 生き生きした様子で動き、身分問わず挨拶を交わして労りの言葉を投げかける姿は、美しい容姿も相まってひどく騎士たちの目を奪う。

「……これから閉鎖された村に行くのに、なんであんなに元気なんだ」

「しかも公女様だって言うのにな」

 この場で誰よりも張り切り、そして一分一秒でも早く辿り着く為に尽力しているのがラナベルであることなど、数日をともにした騎士はみな分かっていた。

「聖女様って呼ばれてたんだよな」

 分かるなあ。とその呟きを最後に騎士はまた自分の仕事へと向かった。

 ラナベルに付き従って手伝いを引き受けていたアメリーやダニアは、それを耳ざとく聞きつけてはふんと胸を張るようにご満悦だ。

「……二人ともどうしたのそんなに笑って」

 訝ったラナベルが振り向いて首を傾げる。アメリーとダニアは口角を大きく上げた笑顔をそのままに、弾んだ声で「なんでもありません」と首を振って見せた。



 スレアへ行くために辿り着いた手前の街では、人々はみな暗い顔をして空気が淀んでいた。

 発症者は少しずつ増え続け、住民たちは次は自分だろうかと不安と恐怖に戦っているのだ。

 一刻も早く街を抜けた先にある隔離拠点へ向かうべきだが、ラナベルは街の状態を鑑みて馬車を降りてしばらく歩くことにした。

 派遣されてきた神官なのだと道行く人と言葉を交わし、少しでも憂いを拭い去る。

 アメリーやダニアはもちろん、騎士の誰もそれに文句は言わなかった。

 「俺、ラナベル様のあの顔に救われたんですよ」

 子どもに囲まれたラナベルを見守っていたがダニアがぽつりと零す。

 もう大丈夫だと安心していいと告げる優しくも強い言葉と、美しいその瞳で柔らかく微笑まれれば、誰だって見とれて信じてしまうものだ。

 誇らしく自慢げなダニアの言葉を、アメリーはほんの少し羨ましいと思いながらも、久しく見ることが出来なかった自身の主人の姿に胸を熱くしていた。

 あまり時間をかけすぎることも出来ないため、ラナベルは名残惜しげに人々の輪から出てアメリーたちのもとに駆けてきた。

「待たせてごめんなさい。さあ、患者さんのもとに行きましょう」


 街での発症者を集めた隔離拠点はスレアと街とのちょうど中間地点に位置していた。

 患者は当初ナシアスから聞いていた数よりも多く、治療に当たっていた医師たちにも症状が出始めているという。

 さすがに一日で全員に血を与えることは出来そうにないため、初日は重傷者と治療に当たる医師を優先して治癒していった。

 十二年前に自身やアメリーが発症しなかったことから、インゴールの祝福が効果があると分かってはいても実際に回復するまではドキドキしたものだ。

 護衛をしていた騎士たちが新たに拠点を設立してくれたため、治癒済みの人々はそちらに場所を移す。

 そうして二日目で全員に血を与えきったところで、拠点に新たな人員が追加された。

 病の根治は果たしたとしても、失われた体力などは戻らない。弱った身体のままでは再発も考えられるし、すみやかにリハビリをして身体を元気に戻すことが重要だ。

 そのための看護要員を頼んでいたのはラナベル自身だが、その中にシュティの姿が見えて驚いてしまった。

「神殿は今回の件には関わらないはずでは?」

 どうしてと戸惑うラナベルに、シュティは少し躊躇いがちにぼそぼそと呟いた。

「あなたがいると聞いたから」

「え」

「ラナベル様が治癒をしていると聞いたので来ただけです!」

 ふんと鼻息も荒く背中を向けてしまったシュティは、そのまま意気揚々と患者の元へ向かっていく。――が、不意に立ち止まって首だけでチラリと振り返った。

「病に関してはラナベル様の権能で問題ないと聞いています。私の権能なら、回復の手助けは可能ですから……」

 ずっとこうやってあなたの隣に立ちたかった。

 子どものような拗ねと喜びの混じった声が、本当にシュティから漏れたものかラナベルは耳を疑ってしまった。けれど、水色の艶やかな髪の隙間から見えた頬や耳が赤く染まっていたから、事実なのだとよく分かった。

「アンセル大神官」

「……はい」

「みなさんをお願いしますね」

 言うと、シュティは小柄な身体を反らし、胸を張るように「任せてください」と言い切ってみせた。



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