ナシアスは各所への連絡や人員の配置見直しで慌ただしく出て行った。人手が欲しいとレイシアも補佐で連れて行かれ、ラナベルはアメリーとダニアとともに用意された部屋で待機となった。
そんな束の間の待機中だ。
「私もお嬢様と一緒に行きます」
不意にアメリーが呟いた。
「アメリー……でも危険だわ。あなたになにかあったら……」
「それはお嬢様だって同じですよね!?」
弾かれたようにあがった叫びに、ダニアがびくりと肩を揺らした。アメリーは足早にラナベルへ近づいていく。座っていたラナベルの正面に膝をつくと、震える両手でラナベルの白い手を包んだ。そして、その手に額を押し当てるようにして項垂れた。
「お願いします……なにが出来る訳でもありませんがおそばにいさせてください」
もう大事な人を失うのはこりごりだと、震えた声が落ちる。
「なによりいくら権能があろうとお嬢様一人で全ての患者の面倒を見ることはできません。必ず人手がいります」
「でも、向こうにもお医者様や医療者は派遣されているから――」
「それなら私はお嬢様のお世話に専念できますのでむしろ喜ばしいです。お嬢様は治療のことだけ考えてくださればいいです。あなたの身の回りのことは全て私がこなしてみせます」
震える手元とは反対に、アメリーの瞳は強くラナベルを射抜き、一歩も引く気がないのだとありありと分かった。
短くはない年月を共に過ごしてきた人だ。人となりはよく理解しているし、すでに家族も故郷もないアメリーが、自分に対してやや傾倒しがちであることをラナベルはよく理解している。
レイシアとは違いアメリーならば立場的な制約もないため、ラナベルがダメだと言ったところでしれっと着いてくる姿しか見えない。
悩んで頭を唸らせていると、背後に控えていたダニアがそろりと名乗り出た。
「あの~ラナベル様、一応言っておきますが、俺も行きますからね?」
「え」
「ラナベル様の騎士なのに着いていかないわけないじゃないですか。置いて行かれても馬で走って追いかけますよ?」
至極当然とばかりに真顔で言われてしまうと、普段朗らかな表情しか見ないだけにラナベルは自分のほうが間違っている気さえした。
連れて行ってくれますよね?
正面と横から無言の圧を感じた。じっと見つめてくる二対の瞳を前に、とうとうラナベルは白旗を上げるしかなくなったのだ。
アメリーやダニアはこのままでも行けると言ったが、さすがにそうもいかないとラナベルは二人の準備のためにも一度邸に帰ることにした。
ナシアスやレイシアが言うに、関係各所への伝達や調整にはもう少しだけ時間が欲しいとのことだから、王宮からほど近いセインルージュの邸に戻るぐらいは大丈夫だろう。
帰ってそうそうに二人は俊敏な動きで一度自室へと戻って行った。ラナベルのものはすでにアメリーが完璧に準備を終えてくれているので暇なものだ。
テトやほかの使用人にしばらく留守にすると告げて、ラナベルはなんとはなしに祈りの間へと向かった。
真っ赤な絨毯の上をしずしずと進んで石像を真っ直ぐ見上げる。
背後のガラスから差し込む光が、滑らかな神の彫像を神々しく照らしていた。
しばらくその光を眺めていたラナベルはおもむろに膝をつき、両手を結んで
(シエル。私はちゃんとやれるかしら……)
瞼に刻まれた救えなかった村人や妹の姿。それが不安や恐怖としてラナベルの胸でひしめき合っていた。
あれだけ大胆にナシアスに進言したのにこの体たらくでは笑われてしまう。
両手に力を込めたラナベルは、「いや」と弱気になっていた自分を奮い立たせた。
――お姉さま、いつもありがとう。
青白い顔でベッドに横たわるシエルの顔が浮かぶ。ラナベルが駆けつけた途端にほっとしたように綻んだ笑顔を思い出し、ラナベルの瞳に静かな闘志が燃え上がった。
(必ず助けます。もうこれ以上誰も死なせない)
あんな無力な思いをするのはまっぴらだ。無意識に背筋が伸びる。顔を上げたラナベルには、堅い信念を宿した人間の生き生きとした生命力がみなぎっていた。
意志を新たにしたラナベルは、最後にインゴールへ祈りを捧げてから彫像に背を向けた。
観音開きの扉を抜けると、正面から風が強く吹き付けてラナベルの長い金髪を攫って宙へなびかせる。肌に触れる風はひどく冷たいのに、今は自分を冷静でいさせるための後押しをしてくれているような気さえして、ラナベルは心地よく受け入れた。
髪を撫でつけながら咄嗟に瞑っていた目を開ける。すると――。
「……お母様」
ちょうど邸の裏口から出てきた母ラシナが、離れたところでラナベルをじっと見つめていた。