イシティアが亡くなるよりも二年ほど前、デリンのもとに王妃から密書が届いたという。
最初はたまたま見かけた縫製の腕を褒められ、そこからいくつか私的な会話をするようになった。
家族に引け目を感じていたデリンはたいそう王妃に心を許し、あれやこれやと自身の悩みや愚痴を聞いてもらっていたという。そんなある日、王妃から自分のもとで働かないかと声をかけられたそうだ。
一にも二にも頷いたデリンは家族にも告げず王妃の元に通った。
王妃のプレイベート用のドレスを一着仕上げたところで、イシティアのことについて相談を受けた。
「私が馬鹿でした……本当はその話を聞いたときからうすうす分かっていたんです。王妃様は最初から私の権能のために近づいたんだと言うことを」
(王妃様はそれを使って毒針に触れさせようとしたのね)
近づく必要もなく、使った針も回収が可能。これほど証拠の残らない手段もないだろう。
イシティアがまんまと寝込めば、それにかこつけて見舞いの手紙などでほのめかせば賢いと噂だったイシティアは察して身の振り方を考えたはずだ。
けれど、現実はそうはならなかった。
「本当は指先に針を刺すはずだったんです……で、でもコントロールが外れて、は、針は……殿下の身体の中に……」
あとはレイシアの言っていた通りだ。体内に張り込んだ針のせいか、それとも毒の効果も相まってか、イシティアは吐血してそのまま亡くなった。
「そんなコントロールもろくに出来ない力を王妃は使おうとしていたのか?」
苛立ちと怒りがふんだんに籠もったレイシアの言葉に、デリンは子どものようにぶんぶん首を振った。
「違います! 権能をコントロールできないなんてありませんでした」
「ならどうして――!」
「イシティア様の件の一年ほど前から緊張したり気が昂るとたまにコントロールがきかなくなることがあって……あ、あとから王妃さまには言えなかったんです」
信じてもらえるかも分からないし、逃げるための口実だと最悪口封じで殺されることをデリンは恐れたという。
「そのころ事故で手元に大きな怪我をして……もしかしたらそのせいかもしれません」
だからわざとじゃないのだと許しを請うようにデリンは震えた両手を結んだ。
その手には目立った傷跡はない。肌はかさついていて健康状態は良くなさそうだが、まっさらで綺麗なものだ。
ふと、冷たい嫌な予感を覚えた。
「……その怪我、手当ては?」
「王妃様の計らいで治していただきました」
「誰に」
「神殿で……神官様に」
「――ラナベル」
咎めるような固い声でレイシアが呼び、ラナベルの肩に触れた。反射的に振り仰ぐと、レイシアはどうしてか真っ白な顔をしていた。自分もきっと同じような顔をしていると、理由のない確信があった。
目が合うとゆるゆると首を振られる。――ダメだ、と唇だけでレイシアが言った。
鼓膜を刺すような耳鳴りがして、目眩を覚える。くらりとして、レイシアの顔が部屋の暗闇に溶けるような錯覚がした。
吐き気にも似た気分の悪さとともに、気づくと「それはいつのことですか」と喘ぐように背後のデリンに訊いていた。
「イシティア様がお亡くなりになる一年ほど前……今から十一年前のことです」
なぜそんなことを? と訝しむようなデリンの答えは、崖下に突き落とされたような無力感と絶望をラナベルに味わわせた。
(ああ――)
デリンを支えていた手がパタリと床に落ちる。
怪我をしてから現れた権能の不調。
神官からの祝福による治療。
(それが、もたらす答えは――)
「そういえば、神官様もあなたのように綺麗な金髪の女の子だったわ」
背後からデリンの呟きが、最後の一押しとなった。
目が合っているはずなのに、レイシアが今どんな顔をしているのかラナベルには分からなかった。