デリンの家にはみんなが腰を落ち着けて話が出来るような椅子もテーブルもない。
むしろ、本当に住んでいるのかと思うほど家具は少なかった。
ラナベルたちは玄関近くで立ったまま
「件の十一年前……いえ、正確にはもっと――二年ぐらい前に王妃さまから声をかけられたんです」
「母はなんて?」
「それは……」
迷うようにデリンは口ごもる。チラリと自身を囲うように見るレイシアたちを見て、観念するように目を閉じておずおずと申し出た。
「イシティア殿下に毒の塗った針を刺して欲しいと言われたんです」
それは、まさにレイシアが長年探して求めていた一言であり、ナシアスにとっては母の罪が確定されたと言うことだった。
レイシアの手が力強く握りしめられていることに気づき、ラナベルはそっと添えるように触れた。
「……それは、イシティアの暗殺を依頼されたと言うことだね?」
ナシアスの声は力がなくふらついた印象だった。ハッキリした言葉に言い換えて確認した彼の心情を思う。
これでデリンが頷けば全てが終わる。
そう思い、半分肩の荷を降ろしたような心持ちだったラナベルたちだったが、思わぬことにデリンは抵抗するように激しく首を振ったのだ。
「違います! 本当に殺すつもりはありませんでした! 王妃様だってそう言ってたんです!」
なんでも毒に致死性はなく、少し寝込む程度のものだったというのだ。王妃自身も、イシティアには忠告の意を込めて少し苦しんでもらうのだと言っていたらしい。
デリンもまさか王妃が人を殺すような依頼をするはずがないと思っていたそうだ。
「ふざけたことを言うな! 兄上は明らかに毒のせいで死んだんだぞ!」
怒気を宿したレイシアが胸ぐらを掴んでデリンを引き上げる。「ひっ」と短い悲鳴とともにデリンは青白い顔を振り続けた。
「ほ、本当です……本当に殺すつもりなんてなくて」
「じゃあなんで! ――なんで、なんで兄上は死んだ……」
怒りの中に紛れたやるせなさが大きくなる。レイシアの手からデリンは滑り落ちるように腰を打った。
呻いて丸くなった彼女を余所に、レイシアは立ち尽くして瞳を揺らしていた。そこには兄の下手人相手への怒りや憎しみなどではなく、家族を亡くして悲しむ一人ぼっちの少年がいた。
肩を落とす背中にたまなくなってラナベルは寄り添う。心配そうにレイシアの顔を覗き込んでから屈んだラナベルは、恐怖と痛みで泣き崩れるデリンに訊ねた。
「その話は本当なんですか?」
「ほ、本当です。王妃様も殺すつもりはなかったみたいで、針に塗り込めてあるのはサイナの花だと言っていました」
サイナとは林道など道端でよく見かける小さな桃色の花のことだ。
トリヴァンデスに住む者にとってはひどく身近で親しみ深い花であるが、その汁液には毒性があり、触れれば肌がかぶれたり、口に含めば発熱や吐き気で数日苦しむことになるが、たしかに致死性は薄い。
「……王妃様があなたに嘘を伝えていた可能性は?」
デリンに依頼を断わらせないため、リスクを低く見立てて話した可能性だって十分にあるだろう。だが、デリンはぐちょぐちょに濡らした顔を横に振った。
「それはないと思います。イシティア殿下がお亡くなりになられたことで一番動揺していたのは王妃様なので……」
たしかに計画者が動揺するというのもおかしいものだ。やはりデリンの言うように本当に殺害までするつもりはなかったというのか。
デリンの言葉だけを鵜呑みにすることは出来ない。だが、ミリアナが言っていた言葉がどうにも気にかかる。
――すぐに殺すというのも考えづらいなと思っただけ。
訝るミリアナの表情を思い出し、本当に? と思った。
本当に王妃に殺すつもりはなく、忠告だけの意図だったのなら?
(でも、それならどうしてイシティア殿下はお亡くなりに……)
デリンの痩せ細った肩を支えて言葉を待っていると、つっかえながらもデリンはぽつぽつと当時の状況を振り返った。