結局同じベッドで夜を明かしたラナベルたちは、朝食を終えるとそうそうに馬車で村まで向かった。
昼前になってようやく村が見えてきた林道でのことだ。
流れる木々を車窓から眺めていると、ふと外でグオンかダニアの鋭い声が響いた。――次の瞬間だ。
「ラナベル!」
「キャアッ」
強い力で抱き寄せられてレイシアが覆い被さってきたのとほぼ同時に、ガラスが盛大に割れる音が響いて身を縮めた。
レイシアの肩越しに、座席の背もたれに突き刺さった弓が見えた。あれがガラス窓を割ったのだと嫌でも理解できる。
割れた窓の向こうではグオンとダニアの声が空気を裂き、激しい馬の足音が遠ざかっていく。
窓越しにチラリとダニアが見えたので、どうやらグオンが誰かを追って行ったみたいだ。
レイシアの腕の中で、ラナベルは細い呼吸を繰り返した。胸元でぎゅっと両手を結ぶ。
割れた窓から入り込んだ冬の空気が肌を刺す。身体が震えているのは恐怖のせいか寒さのせいか。寒さのせいだと思いたかった。しかし、深く突き刺さった矢に目が釘付けになって離れない。それを見ていると、ゾワゾワと足元からなにかが昇ってくるようだ。
ハッと不規則に呼吸を乱したラナベルを、レイシアは自身のマントに迎えるように抱きしめて背中を撫でてくれた。
昨夜とは逆だ。
固い胸板から届く鼓動と温もりに、ようやく息が整う。
咄嗟に身を低くしていたナシアスも、追撃がないと知ると身を起こして外を見た。
「敵襲です。相手は一人で今グオン卿が追いかけています」
聞いたことのないダニアの固い声に、状況の緊迫感が伝わってくる。
しばらくしてグオンが一人で帰ってきた。
「申し訳ありません。取り逃がしました」
「林で入り組んでいる分、地の利のあるほうが有利だ。お前が取り逃がしたのなら、相手はこの場を熟知していたのだろう」
信頼に裏付けされたレイシアの言葉に、グオンは力不足に浸りつつも嬉しく思った。
「一度街まで引き返しますか?」
「いや、村に行こう。襲われたと言うことは、この先に知られたくないことがあるんだ。わざわざ一人で襲ってきたと言うことは仲間は近くにいないんだろう」
それならば今のうちに村まで行くのが最善だと語り、レイシアはナシアスを振り返る。
「それでいいですよね。兄上?」
「……ああ。問題ないよ」
王太子の許可もおりたことで今後の予定が決まった。
ひとまず割れたガラス片を片付けようとラナベルたちは一度馬車を降りた。
「ラナベル大丈夫か?」
「はい。すみません……急なことで驚いてしまって」
言いつつもラナベルの手はまだ震えていた。グオンもダニアもいて、なによりレイシアの腕に中にいてほっと心は安堵しているはずなのに、なぜか震えが止まらない。
今まで死んだことなど数え切れないほどある。刃物だって怖いと思ったことはない。それなのに誰かに殺意を向けられたのだと思うと、久しく忘れていた恐怖というものをひしひしと感じてしまった。
「大丈夫だ。お前のことはなにがあっても必ず俺が守るから」
震えた手を、レイシアの両手に包まれる。隙間から温かい呼気を吹きかけられているうちに、震えは止まった。
「ありがとうございます」
「またこういったことがあるかもしれないから絶対に俺かダニアからは離れるな」
「はい」
馬車内の掃除も粗方済んだようで、ダニアが手を振って呼んでいる。
レイシアのあとに続いて向かうラナベルは、不意に振り返って少し離れたところで佇んでいたナシアスを見た。
「ナシアス殿下、どこかお怪我でも?」
ぼんやりした目でこちらを見ていたナシアスは、ゆっくりと焦点が合うようにラナベルと目を合わせた。
「君たちは、本当に……」
揺れる瞳がラナベルとレイシアを交互に見る。てっきり言いたいことでもあるのかと思ったが、それっきりナシアスは黙り込んでしまった。
「殿下? どうされたのですか?」
「いや。なんでもない」
不意に力なく笑ったナシアスは、ラナベルを追い越して逆に「早く行こう」と誘ってみせた。
その背中に哀愁を感じたラナベルは咄嗟に声をかけようかと思ったが、具体的な言葉は出てこず結局静かに馬車に乗り込んだ。
窓ガラスが開いた馬車には寒風がひゅうひゅうと吹き抜けていく。
ぶるりと身震いするラナベルに気づいたレイシアやナシアスがマントや上着を膝や肩にかけてくれた。
一人だけぬくぬくとしているわけにはいかないと遠慮したが、そこまで距離もないからと敢えなく断わられてしまう。
目的の村まではたしかにさほど時間はかからなかった。
林道を抜けた開けた土地にある村は、ぐるりと視線を巡らせれば村の全貌が見渡せるほどには小さい村だ。
ちょうど出会った村人に聞くと、デリンらしき女性を知っていると簡単に口頭で道案内をしてくれる。
言われたとおりに進むと、村の奥まった場所にぽつんと建てられた一軒家があった。
あまり手入れが行き届いているとは思えない、人の気配が薄い家だ。
本当にここに住んでいるのかと不安に思いつつ、先頭に立ったレイシアが代表してドア越しに呼びかけた。