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第72話


 後日、ナシアスとレイシアは各々関所の記録を確認したようで、王宮にいるのだから直接言えばいいものをなぜか二人揃って別々にラナベルに報告を寄越した。

 件の仕立屋の末の妹――デリンの足跡を辿るのはそう難しいことではなかったようだ。

 よほど焦っていたせいで頭が回っていなかったのか、彼女は礼儀正しく関所で記名し、その後は東部にほど近い村々を短い年数で点々としていたらしい。

 現在は街道からほどよく離れた小さな村でひっそり暮らしているという。

 手紙の内容を見るにナシアスも一緒にいくことを希望していたので、なぜかラナベルが二人の間に入って日程の調整をした。

 さすがに王宮やセインルージュの馬車では行けないので、地味な馬車を一台用意する。

 グオンとダニアはそれぞれ馬に乗って馬車のあとについた。

 隣に座ったレイシアはずっとラナベルと手を繋いでいるし、向かいのナシアスはいつもの笑顔で気を遣って話を振ってくれる。だが、その表情が固く見えるのはレイシアがあまりに人目を気にしないせいだろうか。

 王宮ではずいぶんとナシアスとラナベルの関係を勘ぐって怖がっているようだから好きにさせていたが、さすがに王太子の前でこうもべたべた接触するのは無礼にはならないだろうか。

 それとなく手を離そうとしても、雰囲気で察知したのかレイシアが傷ついたような顔をするから出来ずじまいだ。

 さほど広くない車内で、ラナベルは猛烈に外の空気を吸いたい気分だった。



 ときおり休憩も挟んで進み、日が暮れる頃には途中の街で宿をとった。

 知らない場所でラナベルを一人にすることを嫌がったレイシアのこともあって、二人だけが同室であとはそれぞれ部屋をとることにした。

 思わぬ展開に部屋に行くまではドキドキしていたものだが、慣れない宿の部屋の新鮮さに浸っていると少し落ち着いた。

 夕飯を終えてから部屋に設置されたバスルームを交互に使う。

 身体を綺麗にしてからベッドに腰かけてレイシアを待っていると、静かな室内にドアの音が響きバスルームから出てきたレイシアは同じように自分のベッドに座った。

「……明日で、もしかしたら全てが分かるかもしれない」

 夜特有の静かな冷たさの中で聞こえた声は、寄る辺ない子どものように思えた。

 二人きりの部屋にドキドキしていた緊張がほどけ、今は思い詰めた様子のレイシアが気にかかる。

 そうだ。彼の言うとおり明日辿り着いたデリンのもとで、全てが明らかになるかもしれないのだ。

 長年その日を待ち望んでいたレイシアは、今どんな気持ちであそこに腰かけているのだろう。

 喜びや期待感に溢れているようには見えなかった。

 むしろ、手が届いてしまったそれを持て余しているようにも見える。

 じっと次の言葉を待っていたが、レイシアはそれ以上続ける気はないようだ。

 顔を上げると、からりと笑って「そろそろ寝よう」と促してくる。

 明かりを消したレイシアが隣のベッドに潜るのが気配で分かった。ラナベルも続くように布団を被ったが、どうにも気もそぞろで眠れない。

 暗闇に慣れた目にはうっすらとレイシアの後ろ姿が見える。

 子どもみたいに背中を丸くした姿に、いてもたってもいられなくてラナベルは布団から起きて彼のベッドに乗り上げた。

「ラ、ラナベル!?」

「少し詰めていただけますか」

 真っ赤になって目を白黒させたレイシアの隣に無理矢理滑り込み、彼の頭を胸元にぎゅっと抱き寄せた。

「不安ですか?」

 声にならない悲鳴を上げていたレイシアは、その一声でピタリと静かになった。

「それとも怖いですか? どうか抱え込まずに話してください」

 彼の背中をあやすようにトントンと叩いていると、しばらく経ってからレイシアが言った。

「真相は必ず明らかにする。それは今も昔も変わらない……だが、こうして目の前にやってくるとなんだか不思議な思いにかられる」

 戸惑いや恐怖に似ているようで違う、自分でもよく理解できない感情に苛まれるのだとレイシアは教えてくれた。

「あれだけ躍起になっていた理由である母ももういない。俺が真実を受け止め、それで終わりだ」

「ちゃんと罪を償わせたら私と結婚するのだと言っていたじゃないですか」

 ついそんなことを口走ったのは、全てが終わったら燃え尽きそうな儚さを感じたからだ。

 なにを言っているのかと一瞬で後悔したが、レイシアがくすりと笑うから……子どもみたいに無邪気に、しかし大人の顔で柔らかく笑ったからなにも言えなくなってしまった。

「そうだな。お前と、一緒に生きていきたいんだ」

 呟きとともに、されるがままだったレイシアの腕がそろそろとラナベルの腰に回ってぎゅうと抱きしめられる。

 心の底から嬉しそうに、楽しそうにラナベルとの未来を語る彼を見下ろしていると、「本当に私のことが好きなんですね」と我知らず言葉が落ちた。

「ああ、好きだ。好きなんて言葉では収まらないほど、お前が愛しい」

 誰も彼もを警戒していた少し前のレイシア――自身の護衛にすら鋭い目を向けていた彼が、深紅の瞳をとろけさせて甘く愛を囁く姿など一体誰が想像出来ただろうか。

 顔に火がついたようだ。ぼっと一瞬で赤らんだ顔を見られないように、さっきよりも強く頭を抱き寄せる。

 レイシアはまともな言葉も出せずに狼狽えていたが、温もりとともに伝わるラナベルの速い鼓動にふと抵抗をやめて聞き惚れた。

 そんなことには露ほども気づかないラナベルは、荒れ狂う内心に両手を挙げて降参する気持ちだった。

 もうダメだ。自分は今の関係を心地よく思ってしまっている。

 同じ気持ちでないのなら、応えない方がいいのではとそんなふうに思っていた。

 自分の気持ちはまだ分からない。だが、ラナベルは確信を持ってしまった。

 今は違うとしても、いつかきっと自分は彼を愛してしまう。

「……私がそばにいるから大丈夫です」

 それが明日のことを言っているのか、それとも未来を語っているのかは自分でも判然としなかった。




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