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第71話

「王宮の官吏に知り合いがいてね。その人に聞いたんだが聞き間違いだったかな」

 ナシアスが弱った顔で重ねれば、店主は人が良いのか記憶を探ってくれる。けれど、めぼしい依頼はないのかずいぶん長考したが申し訳なさそうに首を振った。

「王宮からの仕事となれば人生で一二を争う祝事ですから忘れることはありません」

 期待を裏切ってしまって申し訳ない。そう落ち込む店主に嘘はなさそうだ。

「いや気にしないでくれ。ここの仕事が評判なのは確かだしああも熱心に話を聞いてくれるんだから期待外れなんてことはないよ」

 そこまで言ったナシアスが、わざとらしく独り言のように零す。

「でもそっか……十年ほど前だと言っていたのだが勘違いだったか」

 瞬間、店主の目の色に戸惑いが走ったのを見た。もちろんラナベルもナシアスもそれに気づいた。

「そうだ。もしかしたら先代のご両親のときという可能性もあるね」

「そういった話は聞いていませんが……」

 言いつつ、店主は明らかに歯切れが悪い。

 声は聞こえていたのだろう。姉のほうもどこか困惑顔でこちらを見ていて、店主と二人意味深な目配せが交わされた。

 突然どうしてと思ったが、こちらが追求する前に店主のほうから声がかかる。

「あの、さきほど十年ほど前とおっしゃいましたよね?」

「ああ。たしか正確には十一年前だったかな」

 白々しく正確な年数を告げるナシアスの横で、まさか彼がこんな腹芸が出来るとは思っていなかったラナベルは驚きを覚える。

 清廉潔白なナシアスのことだ。正面から事情を話して頼み込むようなやりかたのほうが彼に似合っている。

 それだけ今回のことが彼にとって慎重にことを運ばせざるを得ないということか。

 そもそもが母親の殺人に関する容疑だ。出来るだけことを荒立てないやり方を選んでも不思議ではない。

 ナシアスの答えに、店主は「十一年前」と確認するように口の中で呟き、また姉と顔を合わせた。視線だけで通じ合っているのか、お互いにうなずき合うと彼はナシアスに向き直る。

「もしかしたら妹が請け負っていた仕事のことかもしれません」

「たしかさっきは姉たち三人で店を切り盛りしていると言っていたが」

 レイシアが横から切り込むと、店主はおずおずと「今は本当にさっきお伝えした通りです」と答える。

 すでに生地を選んでいる場合ではない。ほかに客もいない今、店内の誰もがこの会話に耳を傾けていた。

「妹は十一年前に家を出たっきりで、それ以来一度も顔を合わせていないんです。ですが家を出る少し前、大きな仕事が手に入ったと言っていたので……」

「その仕事が王宮からのものだった――という可能性はあるか」

 レイシアの言葉に店主が頷く。

 店内は客と店員の会話にしてはいささか重い空気が漂っていた。まるで警備隊による尋問のような緊張感だが、店主たちはそんな異様な空気に気づく様子はない。その妹というのは、どうにも彼らの冷静さをかくには十分な話題のようだ。

「個人で王宮からの依頼を請け負えるほど腕が良かったのですか?」

 ラナベルの問いに、店主も女性も困り果てた顔になる。

「こう言ってはなんですが、妹は王宮から仕事をもらえるほど特出して腕がいいわけではありませんでした」

「ええ。縫製は私のほうが……刺繍などはもう一人の妹のほうが」

 なにより妹の祝福は裁縫の技術にはなんら関係のないものだという。

「裁縫の神の祝福なのにか?」

「関係があるといえばありますが……。どこにいても針を手元に出すことが出来るんです。道具を持ち歩かなくていいのですが、普段は決まった作業場でしますからさほど恩恵はありませんでした」

「その妹がいなくなったのが十一年前?」

 浮かない顔色の二人は揃って頷く。

「出て行った理由はあるのか? その大きな仕事についても詳細はなにも?」

「泊まり込みで出かけていたのは知っていますが、どこでなにをしていたのかまではなにも教えてくれませんでした」

「しかも急に青ざめた顔で帰ってきて、そのまま慌ただしく荷物をまとめて出て行ってしまったんです。まるでなにかから逃げているように必死な様子で」

 これはいわゆる「当たり」ではないか。

 潜めた店主の声に、思わずラナベルたち三人は顔を見合わせた。

「あなたたちはそれで妹をそのまま見送ったのか? その後一度も顔も合わせずじまいで?」

 レイシアが訊けば、二人は少し居心地悪そうに視線が泳いだ。レイシアの声がどこか刺々しく、姉弟の尋常でない様子を見てなお放って置いた彼らへの薄情を罵るようだった。

「もちろん心配はしました。けれど、あの子は私たちとはまともに会話もしてくれないんです」

「権能で負い目を感じているようでした。その仕事のときもきっと話せば姉や私たちに仕事をとられると思っていたんでしょう。心配になって訊いても、話にはならなくて……しまいにはこれは自分の仕事だから渡さないと意固地になってしまって」

 彼らも妹を思っていないわけではなさそうだ。悲痛そうに語る二人にはどこか後悔の念が映っている。レイシアは罰が悪そうに視線を落とした。

「もともと『大きな仕事』とやらを怪しんでいたんです。だからきっとその仕事のせいでなにかあったんだと……」

 そこまで語った店主は、力なく笑いを浮かべた。

「ですがよく考えればそれが王宮相手というのはあり得ませんよね。王族相手になにかやらかしたというのなら、きっと無事に逃げられているわけがない」

 やっぱりその噂とやらはうちの店ではなさそうです。

 店主と女性は身内の恥を聞かせてしまったと頭を下げた。

「妹さんとはその後一切連絡はなく?」

「ええ。気になって調べては見たのですが、東部への関所を抜けたところまでしか分からず」

「そうだったんですね……」

 関所を通ったというのなら、きっとレイシアやナシアスなら記録を辿れるだろう。二人もそう思ったのか、それ以上深く聞き出すことはなく、レイシアは再び女性と注文を。ナシアスはさりげなく小物の制作は可能かと話を逸らした。




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