目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第69話

 いつも通りマントを被ったシンプルな服装のレイシアに合わせ、ラナベルも比較的地味なワンピースでまとめた。

 もし店が今も王妃と関わりがあった場合を考え、身分は明らかにしない方が良いだろうと、家紋の入った馬車は使えず王都内にある寄り合い馬車で近くまで進むことにする。

 レイシアとグオン。そしてラナベルとダニアの必要最低限の人員で向かう。

 ほろ馬車の荷台は普段の馬車よりも揺れが大きく、重心が定まらないので意外と体力を使う。

 ふと負担が軽くなって顔を上げれば、隣に座ったレイシアがさりげなく寄り添って身体をもたれさせてくれていることに気づいた。

 きょとりと見ていると、赤い目がラナベルと合って柔らかくなった。

 気づかれたのならいいだろう。そう言うように、開き直ったレイシアに大胆に腰を引かれてより密着させられる。彼の肩口にすっぽりと頭が収まるように身体を預けたラナベルは、咄嗟に身体を起こしかけてやめた。

 おや、と赤目が瞬く。

 ラナベルはこてりと身体を預けたまま、しばしレイシアの温もりに浸っていた。

(前向きに考えてみるって決めたものね)

 こうして身体を触れ合わせていてもなんら不快感も嫌悪もない。分かっていたことではあるが、むしろ心地よく凪いでいる自分の心に観念するように美しい碧眼を瞼に閉じ込めた。

 もし、ラナベルが受け入れて本当に婚姻をしたら……そうしたらこんなふうになにもせずお互いの体温を分け合って穏やかに過ごしていけるのだろうか。

 それは、とても幸福なように思えた。

 義務感と責任感だけで毎日細々と命を繋いできた自分が、愛してくれる人と一緒に過ごせて、こうして心音に耳を傾けるような静かで温かい時間を共有できる。それが幸福といわずになんというのだろう。

 頭を預けた向こう――レイシアの表情を上目遣いに窺う。

 褐色の頬にはわずかに赤みがさしていて気恥ずかしそうだが、はにかんだ口許や目許が喜びを表している。

(可愛い……)

 反射でそう思い、胸がくすぐられたように疼いた。

 予感をひしひしと感じてしまう。自分が、近い将来彼を受け入れてしまう予感を。

 一方で、自分は彼をどう思っているのだろうかと不安にも思った。

 好感を持っている。一緒にいることに違和感はない。だが、同じ愛情を抱えているという確信はない。そんな状態で彼を受け入れることはひどく不誠実ではないか。そんなふうにも思うのだ。

 難しい――ラナベルは再び目を閉じた。考えこんでいるうちにうたた寝してしまったらしく、レイシアの静かな呼び声に目を開けたときにはもう目的地に着いたところだった。



 幌馬車を降りて少し歩くと、住宅が建ち並ぶ一角に赤い屋根が目をひく建物が見えてきた。大きなガラス窓から見えるのはズラリと並べられた生地やすでに出来上がった衣装たち。

 ドアプレートには丸い可愛らしい筆記で「ナイアラン」と書かれていた。

「あのお店ですね」

「ああ。……店内には男が一人か」

 あまり近づきすぎても怪しまれると、四人は向かいの通りからさりげなく観察する。寄り添う二人のそばで、グオンとダニアは不自然にならぬように適時距離をもって動く。

「アメリーの話通りにいくと多分彼が店主の方でしょう」

 見た限り、年の頃も一致する。

 今は店内のカウンターで平民と思われる女性とにこやかに話をしている。

 話を聞いた店主が奥の棚から服を持ってきて、広げて細部を二人で確認している。きっと修繕をお願いしていたのだろう。

 店内には貴族のものと思われるドレスも置かれているのが見て取れる。話で聞いていたとおり、たしかに貴族も平民も問わず親しまれているらしい。

 ほかは店内を見て回る客以外には人影は見えない。ほかのスタッフは裏で作業をしているのだろうか。

 レイシアがあらかじめ調べてくれた情報では、店主は数えて三番目で、そのほかに二人の姉と一人の妹がいるはずだ。

「ひとまず中に入ってみましょうか」

「そうだな。直接話を聞いた方が確実だ」

 グオンとダニアには外で見張っているように告げて通りを渡ろうとしたとき。

「すまないが私も一緒に話を聞きたい」

「……どうしてあなたがここにいらっしゃるのですか。兄上」

 脇の路地から現れたナシアスに、レイシアの顔が一瞬で苦々しく歪んだ。マントの下で身体に腕を回されたラナベルは、宥めるように彼の手に触れる。

「あなたには関係のないことでしょう」

「関係はある。私は知らなくてはならないんだ」

「今まで気づきもしなかったくせにですか?」

「気づかなかったからこそだ」

 鋭いレイシアの視線にも怯まず、ナシアスは強い意志の宿る目で見返した。

「心配せずとも母に告げ口するようなことはしない。私も真実を知りたい一人だ」

 その言葉で、レイシアは視線の根比べを取りやめた。

 はあ、とため息とともに「勝手にどうぞ」と委ねる。

 さっさとラナベルを連れて店に向かうと、二人のあとをナシアスは真剣な表情で続いた。

 今から母の罪と対峙するかもしれないのだ。緊張するのも当然だろう。

 カランと鳴るドアベルの音に、ラナベルも改めて気を引き締めた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?