子どもが夢を語るようなキラキラした瞳だった。
うっとりと笑って言うレイシアを前に、ラナベルはかける言葉を持たなかった。
どこか遠い世界のことを語るような夢想するような口ぶりで、けれど一抹のぶれもない視線の強さがその想いの大きさをまざまざとラナベルに刻み込ませてくる。
彼から向けられる強い想いに、縫い止められたようにラナベルは動けなくなった。呼吸すら忘れてしまったように微動だにできない。
――恐ろしい。
胸にうずまいた感情に、人知れず後じさった。
最初は愛の言葉など夢物語みたいでこそばゆく思っていた。だが、こうもなんの躊躇いもなく情を差し出され続けると、明確な質量を見せつけられる。現実だと思い知らされる。大きくて重たい、ラナベルの細腕では決して抱えきれないほどの想いが怖くて仕方がない。
嫌悪しているわけではない。不快でもない。ただただ向けられる愛情の出所が分からないからこそ、戸惑ってしまうのだ。自分がそんな感情を向けられるに相応しい人間ではないから足が竦むのだ。
どうしてレイシアはラナベルなどを好きだと言うのだろう。一体どこを愛してしまったというのだ。
そんな素振りはあっただろうかと考える。自分は彼になにかしただろうかと。
家族を失ったという類似点のせいか。それとも協力関係としての信頼をはき違えているのか。可能性をあげようと思えばキリがない。
だが、その一つも言葉にはできなかった。
逃げるようにそれらを口に出した瞬間、もっと大きなものを打って返されると根拠もなく思い至ってしまったのだ。だからラナベルはゆるゆると首を振るだけに留めた。
「私は、レイシア殿下はもっと真っ当なご令嬢と縁を結ばれるべきだと思います」
神から見放されたと称されるラナベルとの婚姻は、長い目で見ればレイシアにとって確実な汚点となる。今は偽装だからいいのだ。一時的なものだと割り切れている。
だが、本当に愛を持って婚姻なんてしてしまった暁には、一生その汚点と向き合わねばならないのだ。
今ならまだ間に合う。婚約をとりやめ、自分の目が曇っていたと言えば貴族たちはきっとレイシアを非難はしないだろう。
むしろ正気に戻られて良かったと賞賛するはずだ。
そうして強固な基盤を持つ家柄のしっかりした器量のいい娘と、今まで過ごせなかった分穏やかに平穏に過ごしてほしい。
レイシアの将来を思うのなら、きっとそれが望ましいもののはず。
冷静に判断を下す横で、どこか軋むように心が痛い。
「俺はお前以外望む者はいない。これからもきっと。ずっと」
ラナベルも頑固だが、レイシアもレイシアだ。
受け入れないラナベルと、伝えることを諦めないレイシア。膠着状態で立ち尽くす二人に、不意に奥からやって来た人影が声をあげた。
「……ラナベル嬢?」
「ナシアス殿下」
きょとりとしばたたいた瞳を前に二人は道を譲る。すれ違い様に立ち止まった彼は、二人の顔を見比べてニコリと笑みを深くした。
「ミリアナに用があってね……そういえば今日はきみとの茶会だと言っていたな。有意義な時間は過ごせたかい?」
「はい。ミリアナ様には大変よくしていただきました」
「それなら良かった。出産を終えるまでは退屈しているだろうから遊びに来てあげてくれ」
そう頼むナシアスの顔は、妹を思う兄のものだった。どこか親近感を覚え、その兄心に答えるべくラナベルは控えめに頷いた。
ふとラナベルの腰を抱いたレイシアと目があったナシアスは、彼にしては珍しくどこか強張るように固まった。
「レイシアも思っていたより元気そうで良かった。イーレア様のことは気の毒だが、あまり気に病みすぎないようにね」
「ご配慮に感謝します、兄上」
表面上はなんら問題のないやりとりだ。だが、ラナベルにはいささか居心地が悪く聞こえた。
(……なんだか二人とも声が固いような)
ちくちくと針で刺されているような嫌な感覚を覚える。
「それじゃあ私はもう行くよ」
「……今日がラナベルとの茶会の日だと知っていて、姉上のもとを訪ねる気だったのですか」
背後から投げかけられた言葉に、ナシアスは足を止めて首だけで振り返った。ラナベルもまさかレイシアがそんなことを言うとは思わず、目を剥いて見上げる。
(どうして急にそんなことを?)
たしかにレイシアが迎えに来ていなければ、ラナベルは今もミリアナとあの温室にいたはずだ。そこにナシアスが訪ねてきたところでなんだというのか。
意図が理解できていないのはどうやらラナベルだけのようだった。ナシアスは不思議がるでもなく、むしろ取り繕うように少し早口で答える。
「もちろん女性たちの間に入るのは水を差すと分かっているさ。けれどそう時間をとることでもないんだ。ラナベル嬢を退屈させることはなかったと思うよ」
「……それだけですか」
「彼女の助言で助けられたことがあるから挨拶ぐらいはできたらと思っていたが……それ以上になにがあると思うんだい」
それより、と今度はナシアスが続ける番だ。
「レイシア、きみのほうこそなぜ彼女とミリアナの宮から出てきたんだい? 仲がいいのはなによりだが、まさか女性たちの茶会に割って入ったあげく攫ってきたなんて無粋な真似はしていないだろうね」
ダメだよと窘める声は柔らかくいつものナシアスだが、形容しがたいとげとげしさを感じて「ん?」と内心で首を捻る。
だが、ナシアスはいつもの品の良い笑みで
「あんまり心配しすぎるのも良くないよ」
と優しく叱って今度こそミリアナの元へ行ってしまった。
颯爽と去って行く彼の背中に微かな苛立ちを感じ、ラナベルは首を捻った。
一体どうしてあんなに険悪な雰囲気になっていたのかとレイシアに訊ねようとして、しかし見上げた彼があんまりに険しい顔でナシアスのあとを見ていたからビックリして言葉が引っ込んでしまった。