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第64話


「見慣れない仕立屋が出入りしていた?」

「ええ。ミリアナ様がそうおっしゃっていました」

 ひとまず告白の件から話題を移し、ラナベルはミリアナからの情報を伝えるためにレイシアの宮に来ていた。

 人払いの済ませた部屋の中でグオンを交えてさきほど聞いた話を報告する。

「当時の出入りしていた業者名簿を殿下には確認していただきたいのですが……」

「分かった。それはこちらで確認しておく。しかし仕立屋か」

 難しい顔でレイシアは考えるように口許に手を置く。

「仮に仕立屋が兄上の件に関わっていたとして、一体なんのために……」

「イシティア様の採寸の際に危害を加えるため、でしょうか」

 グオンの推測にラナベルも同意を示す。

 採寸の際は軽装になるし、王族と至近距離で接触が可能だ。まず疑われずに近づくことができる。

 二人が納得を示すなかで、レイシアだけが懐疑的だった。

「だが、実際に兄上は宮の中庭で血を吐いて倒れた……近くには俺と母上しかいなかったし、その日は講義があっただけでその仕立屋とは接触していないはずだ」

「中庭ではなにをされていたのですか?」

 吐血するということは外傷ではない。考えられるなかで可能性が高いのは毒だろう。

 ならば食事でもしていたのかと思ったが、レイシアは首を振った。

「いや。ナシアスやローランたちとの講義を終えて帰ってきた兄上を出迎えたところだった。もちろんなにも口にしていない」

 まあ、中央でなにかしら口にしたものが遅れて症状として表れた可能性もあるが……とレイシアは言い置く。

「どちらにしろ毒殺の疑いが強いですね。けれど、それなら仕立屋である必要もなさそうですが」

 わざわざ仕立屋であることに意味はあるのだろうか。それともミリアナの言う仕立屋は実は無関係なのか?

 今ある情報だけでこれ以上の推測は難しい。

 三人が頭を捻ってなにも言えなくなった頃、レイシアの追加調査を待つということでその日は結論づけた。

「業者が特定できればその人物についてもすぐに洗い出せるだろう」

「はい。そちらは私ではどうしようもないので……殿下にお願いいたします」

 仕立屋が王宮へ来ていたのは一度ではない。ということは、王宮へ入るための許可証を発行されているはずなのだ。

 許可証は全て国王の名の下に発行されるので、王妃といえど公式的な記録も無しに好き勝手に配ることは許されないはずだ。

 時期を絞って当時の記録を確認すれば、きっと探し当てることはそう難しくはない。

 ただ、そのなかでラナベルが心配なのは、いままでそういったことに興味を持たなかったレイシアが、突然公的文書を探ることによって招くであろう周囲の憶測だ。

 気まぐれだなんだと勝手に思い込んでくれるなら良い。だが、今さら政治に関心を持ち始めただの、実は王太子を狙っているなどと好ましくない噂を流されたらたまったものではない。

 そんな話が王妃の耳に入ったらと思うと、ラナベルの背筋が粟立った。……レイシアはむしろ都合がいいというかもしれないが。

 思わず組んだ腕に力を込めて密着する。

「……無理は、しないでくださいね」

 気づいたときにはそう呟いていた。

 脳裏に思い出されるのは狩猟大会でのことだ。ラナベルが天幕を訪れたときにはもう傷はなかったが、青白い顔で血痕の残る服に身を包んで横たわるレイシアの姿はありありと網膜に刻まれている。

 ドッと心臓が冷や汗をかくような心持ちだった。思い出すだけで身体が震えそうだ。

 傷があったと思われる二の腕を礼服越しにそっと撫でた。

 傷一つない感触に安堵しつつ、拭いきれない不安や揺らぎが今も心の底で冷たく煮えている。

 寄りかかるように彼の腕に寄り添いながら、ふとラナベルはレイシアもこんな気持ちだったのだろうかと思った。

 嵐の夜のときも、先日の告白のときも――レイシアはいつもラナベルの傷一つ残らない首元を労るように指の腹で撫でてくれていた。

 ラナベルが死ぬときに首を切りつけるのはすでに癖のようなものであるが、レイシアは毎回どんな死に方をしているか詳細は分からないはずだ。

 そんな彼が首を撫でるのは、ひとえにそこを切りつけたラナベルの印象があまりに強いということだろう。

 レイシアがラナベルの死ぬ現場を見たのはただ一度だけ。初めて会った晩餐会の日だけだ。

 月明かりに照らされた白亜の廊下で赤い水たまりに横たわるラナベルは、彼にとってどれだけ鮮烈だったのだろう。

 いまさら罪悪感がちくちくと胸を刺激する。

(あなたもこんな気持ちで私を痛ましく思ってくれていたのですか?)

 訊きたくて、でも訊けなかった。

 今の自分のように、どうか安らかでいて欲しいと、怪我一つなく健やかに生きて欲しいと祈るような気持ちだったのか……だなんて。

 頷かれてその口で再び愛を紡がれれば、今度こそラナベルはなにも言えなくなった末に頷きでもしてしまいそうで怖かった。

「大丈夫だ。無理はしない」

 レイシアは思い出し笑いでもするようにふっと相好を崩した。

「……契約を持ちかけた頃、お前が訊いてきただろう? 仇を見つけた先でどうするのかと」

「はい」

 あまりに生き急ぐようだった彼が心配になって思わず訊いてしまったことだ。

 当時のレイシアはただただ探すことが目的になっていて、明確な答えはもらえなかった。

「今なら答えられる。仇を見つけたら、その者に罪を認めさせて正当な罰を受けさせる。そして、しがらみをなくした先で――」

 深紅の目が、じりじりとこちらを焦がすようにひたと見据えた。

「その先でラナベルと一緒に生きたい」



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