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第62話


 ミリアナの笑みはまるで告白する罪人のように見え、ラナベルに忘れていた緊張と警戒を蘇らせた。

 つまり、王妃が人を殺したと聞き、しかもその発祥がレイシアの近しいものだと聞いてすぐに分かるということは――。

「知っていたのですか? 王妃様がイシティア殿下を……」

 王宮でハッキリした言葉を口にするのは躊躇いが生まれた。

 だが、ミリアナは口ごもったこともしっかり読み取った上でゆるゆると首を振った。

「本当にお母様なのか確証はないわ。でも、きっとそうなんだろうなって子どもながらに思っていただけなの」

「そうしてもおかしくないほどだったということですか?」

 問いかけに、ミリアナは悲しそうに目を伏せて小さく顎を引いた。

「女性同士だから話しやすかったのかもしれない。兄には話さないようなことも、私の前ではよく零していたから。……母はなにかを怖がってるみたいだったわ」

「怖がる?」

「ええ。とにかく兄が王位を継ぐことを望んでいたけれど、そうしないと、過去を悔やんでしまいそうだからって」

 いつだって曖昧な言葉しか言わなかったから、詳しいことは分からないのだとミリアナは申し訳なさそうに告げる。

「ミリアナ様が謝るようなことではありません」

 てっきり王妃は、自身の地位を揺るがされるようなそんな怒りや激しい感情を持っているのだと思っていた。

 だが、怖がるというのはどういうことだ。

 まるで追い詰められ末のような、そんなどうしようもない事情があったというのか?

 ミリアナの言葉通りに受け取るなら、王妃はなにも地位や権威に執着があるようには思えない。

 今までにない背景を伺ってしまったせいで、ラナベルは動揺していた。しかもそこでミリアナが言うのだ。

「たしかにイシティアの件は母が怪しいけれど、少し違和感もあるのよね」

「……それはなんでしょう」

「イシティアはたしかに優秀すぎたわ。けれど、兄の王太子の座が本格的に揺るがされるようなことはなかったの。せいぜいが貴族の間でイシティアのことが噂になるぐらいだったわ」

「では王妃さまではないと?」

「いえ……ただ、すぐに殺すというのも考えづらいなと思っただけ。本当にどうしようもなくて、イシティアが王太子になる――なんて事態になったらあり得たかもしれないけれど」

 独り言のように言い切ったミリアナは、すぐに気を取り直した。

「でも、少しでも兄の地位を揺るがすことが許せなかった可能性もあるものね」

 惑わせるようなことを言ってごめんなさいと、再びミリアナが謝るからラナベルも恐縮してしまう。

 むしろ、実の母のこんな話をさせているラナベルのほうこそ謝らねばならないだろう。

「……ミリアナ様はこうして私たちが王妃様を疑うことをお怒りにはならないのですか?」

 あまりにも都合良くラナベルたちの味方をしてくれるが、本来であれば王妃を疑うなど許されないことだ。しかも殺人の罪で。

 それもナシアスやミリアナからすれば実の母である。不快に思い、怒り立ったって許されるだろう。

 おそるおそる訊ねた言葉に、ミリアナはふと遠くを見るように温室の花に目を向けた。

「いいのよ。本当に母の起こしたことであれば罰を受けるべきだし、きっと王宮ここは母にとっていい場所ではないから」

 彼女の横顔はひどく静かで、けれど切ない温かさを感じた。

 もの悲しいミリアナの雰囲気に、ラナベルの胸がちくちくと痛む。

 まるで親子を引き裂くようなひどいことをしている気分――と思って、あながち間違いでもないのだと思い至る。

 もしかしたらミリアナの瞳には、幼いときに見たというなにかを恐れる弱々しい母の姿が映っているのかもしれない。

 物思いに耽るミリアナに、ついラナベルも感傷的になってしまう。

 二人のあいだに沈黙が横たわったとき。

 懐古するようだったミリアナの瞳が、不意にわずかに見開かれた。そういえば、と唇だけで呟く。

「当時あまり馴染みのない仕立屋の人がよく来てたわね」

「仕立屋、ですか?」

 ええ、と深く頷いたミリアナは記憶を探るように顎に手を置いた。

「いつもは決まった人が来てくれていたの。だから珍しいなって思ったのよね……それに、失礼だけれど王宮に卸すには少し腕が未熟な人だったから余計に……」

「腕の未熟な仕立屋……その方は今も王宮に?」

 身を乗り出すように訊くと、ミリアナは残念そうに首を振った。

「そう経たずに出入りしなくなったと思うわ。たしか王都の小さなお店だったはずよ……お店の名前はなんだったかしら」

 一生懸命思い出そうとしてくれたが、王妃といるのを何度か見かけただから分からないらしい。

 残念ではあるが、王宮に出入りしていたのならいくらでも調べようはある。

「ありがとうございます。あとで詳しく調べてみようかと思います」

「いいえ。こんなことしかできなくてむしろ申し訳ないわ」

 そこで一度話を切るように二人は紅茶に手を伸ばした。

 温かいほのかな苦みに、どちらからともなくほっと息をつく。

「兄に母のことを訊かれたとき、私本当に驚いたのよ」

 当然だ。母が人を殺したなどと兄から飛び出たら驚くだろう。

 そう思っているのが伝わったのか、ミリアナはおかしそうに笑う。

「あの兄がそんなことを言うことに驚いたのよ。人の言うことはなんでも鵜呑みにして疑うことなんて知らなくて、みんなが良い人だって思ってるあの人があんなこと言うから」

 だからすっごく驚いてしまったのだと、秘密を漏らすようにひっそりと告げられた。

「あなたが変えてくれたんでしょう、ラナベル。 本当にありがとう。兄は以前よりもずっと他人と生きている気がするわ」

 疑うということは、正しくその人に目を向けているということだ。

 ナシアスはようやく大勢の誰かへの一貫した態度ではなく、個々を見て触れ合っているのだとミリアナは嬉しそうに語っていた。

「ねえラナベル。レイシアとは本当に愛し合っているの? もし良かったら兄はどう?」

 公女と王太子なら身分だって釣り合うでしょう? とまるで少女のようなキラキラした瞳でミリアナはこちらを覗き込んだ。

 それがいつの日かのマイサに重なって見えて、片親だけとはいえ姉妹なのだなとほっこりした気持ちになった。けれどそれはそれ。

 苦笑したラナベルは恐れ多いと首を振る。

「ミリアナ様、私はレイシア殿下の婚約者ですから」

「そうよねえ……もちろん分かってはいるのよ? でも、兄から女性の話を聞くのは初めてだったからつい」

 恥じるように頬を手に当てたミリアナに、ついつい親しみを覚えてラナベルもくすくすと笑ってしまう。

 そうして二人の間に柔らかな空気が流れたとき、不意にミリアナがなにかに気づいた。

「――あら? 今日はあなたは招待してないわよ?」

 意地悪な口調とは裏腹にどこか楽しそうな声だ。

 彼女の視線を追うようにラナベルも振り返る。

「れ、レイシア殿下?」

 そこに佇む彼に、驚いて立ち上がった。


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