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第60話



 暖炉でぱちぱちと火が跳ねる音を聞いていると、本格的に冷え込み始めた冬の気配を強く感じさせられる。

 朝食を終えたラナベルは、執務室の机でぼんやりと書類を眺めていた。

 その碧眼はかれこれ十分以上は同じところを見ているから、文面に意識がいっていないのはたしかだ。

 手伝いをしていたアメリーとダニアも当然気づいていて、二人は戸惑うようにしきりに目配せし合った。

 そんなふうに二人が気を揉んでいるとも知らず、ラナベルは無意識にため息をつく。

 彼女の頭を支配しているのは、少し前にここを訪れたレイシアだった。

 ぐしゃぐしゃに泣いた顔で愛していると伝えた彼は、最後にもう一度触れるだけのキスをすると乱暴に自分の顔を拭って帰って行った。

 あれから一週間ほど経つが、レイシアは喪に服しているため会えていない。いや、会ったとところでラナベルはどんな顔をしたらいいのか分からない。

 あの日のことを思い出してうんうんと唸るラナベルだったが、不意に触れ合った唇の熱を思い出してぽっと顔に熱がのぼる。

 涙に濡れながらもまるで縫い止めるようだった強い視線が、今も突き刺さっているようだ。身体は硬直して、ただただ心の内だけがむずがゆく震えていた。

 愛していると言う言葉を思い出すと、耳に火をつけられたように熱いのだ。

 顔から湯気でも吹き出そうほど赤くなったラナベルに、様子を窺っていたアメリーとダニアは慌てふためいた。

「お嬢様? どうされましたか?」

「もしかして風邪でもひいたんじゃないですか? 最近急に寒くなったから……」

 眉尻を下げた二人が両脇であれやこれやと声をかけくれるのを、正気に戻ったラナベルは笑って誤魔化した。

「大丈夫よ。ちょっと考え事があっただけだから」

 それでもなお心配そうにしていたが、ラナベルが言うならと二人は渋々引き下がる。

 気を取り直して領地からの書類の確認を終えたところで、見計らっていたアメリーが温かい紅茶と茶菓子を用意してくれた。

「二人も休憩にしましょう」

 執務机からローテーブルのほうに移り、声をかけられた二人もラナベルの向かいにかけた。

 紅茶の香りと温かさにひと息ついていると、不意にアメリーが思い出したように顔を上げた。

「そういえば近々ミリアナ様がトリヴァンデスに来られるようです」

「ミリアナ様って二年前に他国に嫁いだ第四王女殿下ですよね?」

 ダニアの問いに、ラナベルが頷く。そしてふと疑問を口にした。

「でもミリアナ様は懐妊しているでしょう? そんな時期にわざわざいらっしゃるの?」

 近隣国に嫁いだミリアナは、今はその国の王太子妃だ。未来の皇后であり、そんな彼女の子どもとなれば次代の王太子でもある。

 そんな大事な子どもを宿しながらもわざわざ祖国を訪問するとはなにがあったのだろう。

 考えてみるが、トリヴァンデスは近年は他国との外交も平和なもので身ごもった王太子妃が足を運ぶほどに切羽詰まった状況だとは考えにくい。

 戸惑いと多少の疑心に首を捻る。

 そんなラナベルに、アメリーが思い出すように続けた。

「街の掲示板には訪問の旨と出迎えのために王都の目抜き通りでパレードをする報せが書かれていました」

 街中に明け透けな内容のものを貼るとは思っていないが、やはり訪問理由などは分からずじまいだ。

「それじゃあ貴族を招いたパーティーもあるでしょうね」

 ミリアナは王妃の娘であり、二人は仲が良かったはずだ。

 もしかしたらイシティアの件でなにか話がきけるかもしれない。

 王妃に話がいったらまずいが、レイシアと婚約したと挨拶がてら少し話す分には問題ないだろう。

 あとは彼女の様子を見つつ探ってみればいい。

 イーレアの喪に服した王宮内での活動の自粛は一週間とされているから、そう経たずに招待状が届くことだろう。

(そうしたらレイシア殿下に話をしないといけないわね)

 婚約の儀を終えたのだから、公の場には揃って向かうことになる。

 衣装やらなにやらと話すことはいくらでもある。

(……どんな顔で会えばいいのかしら)

 愛を告げられたのだ。それならば自分もなにかしかの答えを見せなければいけないだろう、とは思う。

 だが、ラナベルは自分の心を測りかねていた。

 そうしてまた考え混むように静かになったラナベルを、向かいのアメリーとダニアは心配そうに見守っていたのだ。



 翌週。パレードとともにミリアナがトリヴァンデス国を訪れた。

 そしてラナベルの予想通り王宮からはパーティーの報せが来たのだが、招待状は一つではなかった。

「どうしてミリアナ様が……?」

 一通の手紙を前にラナベルは呆然と零す。

 その手にはミリアナの直筆で書かれたお茶会の招待状が握られていた。


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