シュティの大泣き騒動は、ラナベルの必死の奮闘の末にどうにか落ち着いた。
子どもを宥めるように頭を撫で、抱きしめて優しく言葉を尽くした。
まさか成人したばかりの女性相手にそんなことをするとは思わず、馬車の中でどっと疲れが出て思わず背もたれに寄りかかって深く息をついた。
さっきまではいつ神官に見つかるかという緊張状態だったのも大きいだろう。今は安堵で力が入らない。
泣き止ませたあとも、馬車に乗り込もうとするラナベルの袖を掴んで離さないので、最終的に苛立ったレイシアがさらうように馬車に乗せてくれたのだ。
ラナベルをとられて王族相手にも怒りを露わにしていたシュティの姿を思い出し、怖い物知らずというものは本当に恐ろしいものだなとしみじみ思う。
(それともレイシア殿下がそんなことで腹を立てないと知っているからなのかしら)
向かいに座るレイシアにシュティの不敬を咎めるような怒りや不愉快さは見えない。
それもそれで寛容すぎる気もするが、そういうことに頓着しないのもレイシアらしいといえばらしい。
「まさかアンセル神官があんなに泣いてしまうとは思いませんでしたね」
いつもラナベルを見るとむっとしていたから、てっきり嫌われていると思っていた。
正直にそう零すラナベルとは裏腹に、レイシアは前々から分かっていたように鼻を鳴らす。
「あそこまで大泣きするとは思わなかったが、お前を意識しているのは明らかだったろう」
少し呆れたように言われてしまう。そんな素振りはあっただろうかと首を傾げる。いくら考えてみても心当たりはない。
そうやって神殿に行くときよりも口数多く話をしていると、和やかな雰囲気から一転、不意にレイシアが目を見開いた。
「ラナベル、お前……」
「どうしたのですか殿下。――あれ?」
気遣わしげな目に映るラナベルは泣いていた。
普段の笑みを浮かべながら、涙だけがつっと頬を滑り落ちてポタポタとワンピースに染みを作る。
「あら、どうしたのでしょう。一度止まっていたのに……あれ」
拭っても拭っても、涙は途切れなかった。
シュティの騒動のおかげで、後悔たちはどこかに吹っ飛んでしまったと、そう思っていた。
実際にさっきまではなんともなくレイシアと話が出来ていたのだ。
それなのに、泣いていると自覚したせいか涙に後押しされたようにじわじわと感情が遅れて出てきたようだ。
足元からのぼるように大きな感情が迫ってきて、鼻の奥がつんとした。
止めようと強く目許を擦っていると、レイシアに止められてしまう。彼は掴んだ手を引いて、ラナベルを自分の胸に抱き寄せた。
「俺はあまり慰めることに慣れてないから上手いことは言えないが……止めようとしなくいい。好きなだけ泣け」
辿々しいが、気遣いが宿った言葉だ。
そういえば、あの嵐の夜の時もラナベルを慰める手はどこか覚束ずに不慣れそうだったと思い返す。
レイシアの腕の中にいるうちに、胸のざわつきが明瞭になっていく。
権能を失ってはいなかった自分への怒りや後悔。そしてなにより大きいのがもう愛する妹には会えないという明確な喪失。
「……シエルッ!」
ついに耐えられなくなって、肩を震わせながらレイシアに縋り付く。
今までは巻き戻りの力があったからどこかで期待を持っていた。いつか。もしかしたら、もう一度会える。今の暗い世界を抜け出せる日が来る。
シエルがいて、母がいる……そんな幸福に満ちていた日々が戻ってくるのだと。――だが、その期待は今日粉々に砕けてしまった。
ラナベルは今日、本当の意味で妹の喪失を実感しているのだ。
――お姉さま、今日も神殿に行ってしまうの?
子ども特有の柔らかな頬をぷっくりと膨らませて拗ねたシエルの顔が思い出される。
あのとき、自分は帰ってきたら遊ぼうと慰めて神殿へ向かった。
その日だけじゃない。シエルが拗ねて引きとめた時はいつもそう言って宥めていた。
ラナベルが神殿から帰ってきた頃には、体力のないシエルは寝ていることだって多かったのに。
(もっと一緒にいてあげればよかった……! もっと一緒にいればよかった!)
四年しかないと分かっていれば――!
咄嗟にそんな言葉が浮かび、自分に嫌気がさした。
いつもどおりの明日が変わらず続いていくと根拠もなく信じていたあの頃の脳天気さが憎い。かといって、残り少ないからと知ってシエルとの時間を選ぶのも、それはそれで自分のシエルへの愛が軽薄に思えて受け入れがたくもあった。
悲しんで、悔やんで、怒って――感情があっちへこっちへ飛び火して、それでもやっぱり最後はまたあの子に会いたいと心が叫んで泣いてしまう。
「うう……ああああ――!」
これではさっきのシュティと同じだ。
子どもみたいに声をあげて泣く自分の姿に、ラナベルは微かに残った冷静な部分でそう思った。
そんなラナベルを抱きしめていたレイシアは、大粒の涙を絶えず流す碧眼を前にこれ以上はラナベルは枯れ果ててしまいそうに感じていた。
深い青い目がこのまま溶けてしまいそうで、気づいたときにはラナベルの目許に唇を寄せていた。
音もなく、涙の一粒がレイシアに吸いとられる。
パチリと涙を弾いた碧眼と、それを心配そうに見つめる赤い瞳が溶け合うように交差した。
一瞬の触れあいがなんだったのかお互いがハッキリと認識するよりも早く、無意識に近づいていく距離にどちらからともなく瞼がおちた。
泣いて震えたラナベルの唇に、レイシアは慰めるように自分のものを重ねた。