自分の耳を疑ったのはラナベルだけではなかった。
神託の間にいた誰もが信じがたいと思い、実際にシュティやダニアは信じられないと非難の声をあげた。
「嘘をつかないでください! ラナベル様が人々を癒やすことを拒否しているというのですか!?」
怒りさえ感じるシュティの声に、ダニアも険しい顔で同意を示す。
グオンは困惑を強く現し、レイシアは訝ってはいるがインゴールの言葉を静かに待っていた。
『人々への癒やしを拒否していたのではない。ラナベルは無意識のうちに恐れているのだ。自分の妹を救えなかったのに、他人を救ってしまうことを』
静かな憐れみの言葉に、ハッとなった周囲がラナベルへ目を向けた。
レイシアたちの目には彼女の背中はひどく小さく、今にも潰れてしまいそうに映る。
思わずレイシアが足を踏み出したとき、ふらりとラナベルの身体が傾く。咄嗟に抱き留めたものの、ラナベルは真っ白になりながら狼狽した瞳でインゴールを見上げていた。
「……私が、祝福を拒んでいる?」
ぽつりと落ちた独り言は、あまりに細く弱々しい。今にも消えて崩れてしまいそうに思えたレイシアは、ラナベルの身体に熱を分けるように強く抱き寄せた。
『祝福とは、人間の強い祈りに応じて我々が力を授けたことが始まりだ。人の思いの強さに呼応するように出来ている』
シュティやダニアが一族の中でも強い権能を持っているのもその想いの強さによるものだとインゴールは語った。
『ラナベルの姿に強い憧れと信仰心を持ってこうありたいと願ったシュティは強い治癒力を。ラナベルを守れるように強くなりたいと願ったダニアは相応の力を得た』
そのときのことをまるで見ていたように正確に言い当てられ、身に覚えのある二人は驚きと気恥ずかしさで非難の口を閉じた。
『祝福は人の心に比例する。――ラナベル、お前が巻き戻ってしまうのはお前の中に流れるかすかなクーロシアの血が、我がインゴールの祝福によって増大されたせいだ。本来ならばなんの力もない薄い血縁の祝福を発現させてしまうほど、お前の祈りが……願いが強すぎる』
憐れみを増した声を、ラナベルは絶望を通り越した無心な顔色でぼんやりと聞いていた。
『一度、絶えず巻き戻ったことがあったろう? あの時は冷や冷やしたものだ。人の身で時間に干渉しすぎればクーロシアに排除される危険もある』
「クーロシア様に……」
いっそそうなっていてもよかったのに。
反射でそう思ってしまった。
いくら神から授けられたものといっても、人間がそう簡単に時間に干渉できていいわけがない。
(よく考えればそうよね……)
回らない頭の片隅で納得していると、不意にラナベルを支えていた腕の力が強くなった。
ちらりとレイシアを見れば、彼はどこか険しい目でインゴールを見据えていた。敵を見据えるような強い目に、なんだか守ろうとしてくれているように思えた。
だが、そんな温かな腕の中にいても、ラナベルの心はピクリとも動かなかった。まるで冷たく深い水中に沈んでしまったように、心が、感情が遠く感じられる。
『それだけシエルの死がお前の心を傷つけたと言うことだ。しかし、人の身では出来ることにも限りがある』
だからあまり望みすぎず、背負いすぎるな。
慰めのように優しい言葉と忠告を残し、インゴールは去って行った。
姿が見えていたわけではない。だが、たしかにこの場を圧倒していた大きな存在が消えたのが分かった。
あれだけ神秘的な気配を醸し出して石像も、今ではただの美しい置物だ。知らずのうちに緊張していた身体を解すように誰かが息をついた。
沈黙の中、シュティたちの目は自然とラナベルの元へ向かう。
各々の出方を窺うようにダニアとグオンの視線が交わった。代表するようにグオンが躊躇いがちにレイシアへと切り出す。
「さきほどインゴール様は『巻き戻る』と言っていましたが、それは一体どういうことなのですか……」
「それについてはあとで説明する。とりあえずここを出るぞ――ラナベル、立てるか?」
心配するレイシアの声に、ラナベルは小さく頷いて立ち上がろうとする。だが、上手く力が入らずによろめきかけ、慌てたレイシアに腰を抱かれた。
「無理をしなくていい。俺が支えるから」
「ありがとうございます。レイシア殿下」
薄く笑って礼を言うが、ラナベルの瞳はどこか穴が空いたような虚無感を映し出している。
腕を放した途端に崩れ落ちそうなラナベルの弱った姿に、レイシアの腕に無意識に力が入る。
どこか固い表情のシュティが先に廊下に顔を出して周囲を窺った。そうしてラナベルたちは、彼女の合図に従って来たとき同様にこっそりと神託の間を後にした。