王女からの誘いを断れるわけもなく、ラナベルはしずしずと同じテーブルの席についた。
マイサの天幕には専用の護衛がいるため、アメリーとダニアは外で控えている。
「よく考えると弟王子のお嫁さんになるわけだから、お義姉さまよりも
顎に手を置いて言うマイサを前に、ラナベルはどう答えたものか悩む。
(どうして私を呼んだのかしら……)
王妃のようにラナベルを見極めるためだろうか。しかし、マイサはローランと同じ第一側妃グレイスの娘であり、表舞台に出るタイプでもない。
積極的に社交界に参加するわけでもないので、レイシアの動きには興味がないとばかり思っていたが違ったのだろうか。
緊張して、じっとテーブルを見ながらこくりと唾を飲む。
ふと目線をあげると、マイサとかち合った。
ドキリとして声をかけるよりも早く、マイサが弾かれたように破顔した。
「ふ、ふふ! あははっ!」
「マ、マイサ王女?」
「ご、ごめんなさい。さっきのソルベル当主の顔を思い出しちゃった……ふふ、だってあんな顔を赤くしたり青くしたり忙しくって、あはは!」
「はあ……」
腹を抱えるように豪快に笑い続けるマイサを、ラナベルは困惑しつつ見守っていた。
しばらくしてから笑い止むころには息も切れ切れだ。顔を上げたマイサは、顔を真っ赤にしていてずいぶんと楽しそうに見える。
涙すら浮かべたそんな姿は、社交の場で見る大人しく冷めた印象とはかけ離れていた。
ようやくひと息ついたマイサは、チラリと周囲を見てから「他の人に声をかけられる前にあなたを呼んでよかった」とこっそり教えてくれた。
「それは……なぜでしょう?」
「ほら、私の兄はご令嬢方にとっても人気がありますから。遠回しに兄との仲を取り持つよう頼まれるのはうんざりなんです」
でも、公女がいると声をかけられないみたい。
マイサはにんまりと笑って、令嬢たちの固まる一角をちらと見た。向こうの令嬢たちもこちらを気にした様子で見ているが、どこか一歩踏み出せずに躊躇っているようだ。
多分、
しかも今日婚約を公にしたかりなので、その戸惑いや疑いもあるのだろう。
「どうせあと何世代もすれば祝福を持たない子どもなんてゴロゴロ出てくるでしょうに。ほんと大袈裟な人たち」
さらりととんでもないことがマイサの口から零れた。
誰もが思っていても決して口にはしない言葉に、ラナベルは思わずぎょっとした。
「マイサ王女は思っていたよりも大胆な方なのですね」
驚きのあまりつい正直な感想をもらすと、「それはこっちの台詞ね」と楽しそうに笑い返された。
「いつもなにがあっても静かに俯いてるから、もっと大人しくて卑屈な人だと思ってた。けど、思ってたより良い付き合いが出来そうで安心したわ」
「それは光栄です」
恭しく礼を言うラナベルをじっと見つめていたマイサが、不意にひそめた声で切り込んだ。
「ねえ、やっぱりレイシアに復讐の手伝いを頼まれたから婚約したの?」
瞬間、空気が張り詰めたのは身を硬くしたラナベルのせいか。それとも見透かすようにじっと見るマイサのせいだろうか。
早鐘を打つ鼓動を聞きながら、恐る恐る見つめ返す。
マイサの意図がちっとも見えなかった。それを聞いて彼女はどうするつもりなのだろう。
まさか王妃やナシアスに告発するのか。それともただの好奇心で?
兄のローランはレイシアの行動に確信を抱いているようだった。 だが、今のところこの婚約を疑うような人も出ていない。それなら、彼女も知ったところ?
分からない。判断の出来る素材がなにもない。そもそもマイサと話すのだって今回が初めてなのだ。彼女の意図をくみ取れるはずがない。
一瞬でさまざまな考えがラナベルの頭の中を駆け巡った。
息を詰めてピリピリと警戒を見せるラナベルに、不意にマイサは不敵な笑みを消して謝った。
「ごめんなさい。そんなに警戒しないで……兄から聞いて気になってたから、あなたに直接訊いてみただけなの。誰かに告げ口したりはしないわ」
「ローラン殿下から……?」
「ええ。レイシアが馬鹿なことをしてるから、会ったらお前からも止めろって」
「……そうだったんですね」
やはりローランはレイシアのことを心配しているらしい。そして、それを妹に告げたと言うことは、マイサもレイシアがイシティアの件を引きずっていたとこを知っていたのだろう。
ちゃんとレイシアを見ている人がいた。それが嬉しくて――同時に、そんなことはきっとレイシアだって気づいていたはずなのに、一切彼らに頼ることのなかった彼の心情を思うと切なかった。
「犯人の目星はもうついてるの?」
「それは……」
勝手に話をしていいものか。ラナベルはふと思い悩む。
ローランが心配して声を上げている姿を知っているだけに、彼女のことも信頼はできる。だが、ここはいつ誰が来るかも分からない天幕の中だ。
それこそ知らない人間に聞かれでもしたら――。
「騎士たちに頼んで人払いをしているから大丈夫よ。あなたの護衛や侍女も、見える範囲にはいるけど潜めれば聞こえないわ」
ラナベルの危惧を、マイサは先手を打つように砕いた。
それでも口の重いラナベルに、ふとマイサは少女みたいに笑った。それが、ラナベルには喜んでいるように見えた。
「……レイシアは人を見る目があるみたいね」
そして、「これはあくまで私たちの勝手な見解なんだけど」と前置きして話し出した。
「私や兄は、十中八九王妃が主導してると思うわ。むしろそれ以外考えつかない」
自信満々な断言に、咄嗟に喉がごくりと鳴った。
「……やはり、そうなのでしょうか?」
マイサの出方を窺うように恐る恐る訊き返すと、再び自信げに大きく頷かれる。
「根拠はなんですか?」
「明確な証拠があったりするわけじゃないから、私たちの勘としか言えないわね。でも、母も言ってたわ。――あの人ならそれぐらいするかもって」
「グレイス様がですか?」
「ええ。王妃となんだかんだ長い付き合いだしね。多分誰よりも王妃の機微を読み取るのは上手いと思うわよ」
にんまりと笑った顔は、親しい人を自慢するような子どもらしさがあった。
ラナベルはようやく緊張の解けてきた頭で、彼女がレイシアと一つしか変わらない女性だということに今さら気づく。
ローランもそうだったが、垂れ気味の瞳は穏やかだが、その口許や瞳の感情がコロコロと大きく変わるから活発的な印象を持つ。
母であるグレイスがそうであるように、マイサの長い髪も金に赤みの混じったような鮮やかさだった。
「お母様がどうして側妃として後宮に迎えられたか知ってる?」
「……それは、王妃様と陛下の間にお世継ぎが出来なかったからですよね?」
「そう。五年出来なくて、仕方なく王妃の候補で独身だった母に話が来たの。でも、王妃はそれが納得出来なかったみたいで結構大変だったらしいわ」
「そうなんですか?」
「ええ本当よ」
そういった妃同士のいざこざはあまり聞いた覚えがない。
疑問が顔に出たラナベルに、マイサは「母が面倒に巻き込まれたくないからって事を荒立てないからね」と呆れたように言った。
よく考えてみれば、いざ王妃になったのに自分には子が出来ず、側妃に男児が生まれれば自分の地位を失うことになるかもしれない。
状況だけ考えると、なにもないわけがない。
しかもナシアスとローランの生まれの差は一歳未満だ。
これでは王妃と側妃の険悪さを勘ぐってくれと言われているようなものだろう。
「ナシアス兄上のほうが先に出来たときはいっそ安心したって言ってたもの。それで、執念で生んだ王妃様が怖いってよく言ってた」
王族の噂話を好き勝手に言いふらすような人間はまずいない。初めて聞く王宮の裏事情に、ラナベルは興味深く耳を傾けていた。
そして、ふと思い至る。
「もしかして、ローラン殿下が女性にだらしないのは保身のためですか?」
ほぼ確信を持った問いかけは、マイサの微苦笑で見事肯定された。
「ほぼ同時期で男の子同士だからね。私は女だから気楽で良いけど、兄は結構大変だったみたい」
時々を愚痴を聞かされるのだと言うマイサに嫌がっている様子はなく、そんな兄との気安い関係を楽しんでいるようだった。
「……ナシアス殿下が企てたという可能性はないでしょうか?」
明け透けに語ってくれるマイサに釣られ、ラナベルも正直な疑問が漏れた。これがマイサやレイシア以外であれば、きっと自分はすぐに不敬罪で捕まるだろう。
ドキドキしながら決死の思いで訊ねたラナベルと裏腹に、マイサは吹き出すように笑って「それはないかな」とこれまた言い切った。
あまりのあっけなさに、きょとりとしばたたいてしまう。
「ほ、本当ですか?」
「うん。これも勘と言えばそうなんだけど、ナシアスと話してみれば分かると思うわ。世の中の人が全員善人だと思ってるような裏表のない素直さだから」
マイサは「悪い人ではない」と言った口で、少しうんざりしたように「でも私とは合わないかな」と語る。
と、嫌なことを思い出しような苦い顔が、急にパッと華やかになって「それより」と身を乗り出してきた。
「やっぱり協力するために婚約を結んだのよね? このまま本当に嫁いでくるの?」
もしかして本当に恋人同士だったりする?
と、期待した眼差しを向けてくる彼女の頬は興奮したように赤らんでいた。
ラナベルは妙にキラキラした視線に戸惑いつつ首を振れば、マイサはあからさまに残念がる。
「レイシア殿下は素敵な方ですから……私などではなく、もっと素晴らしい方と結ばれるべきです」
あくまでこれは偽装婚約。計画が終了するまでの一時的なものでしかない。
最初から分かっていたことで、なんら不満になど思ったことはなかった。
それなのに改めて口にすると、隙間風が入るような冷たさが心を通り抜けていく。
我知らず浮かべていた切なさの滲んだ慈愛の笑みは、マイサになにかを感じ取らせるには十分だった。
「……へえ。そうなんだあ……ふーん」
意味ありげな相づちを打っていたマイサは、戸惑うラナベルの視線にニコリと返した。
「ごめんなさい。なんでもないから気にしないで。あ、でもこれからも仲良くしてね。ここまで気楽に喋られるのってあなたぐらいなんだもの」
「ありがとうございます。光栄です」
イシティアの件も理解しているからか、ラナベルとしてもマイサとは余計な思惑抜きに話が出来るから気楽だ。
そもそも、年の近い女性とこうして話をするのは初めてかもしれない。
嬉しい――そう思って和んでいると、不意に天幕の外が騒がしくなった。
見張りの騎士と誰かが揉めているようだ。
「ラナベル様に至急お伝えしないといけないことがあります!」
「ダメだ。現在ラナベル令嬢はマイサ王女とご歓談中でそれ以外の人物の立ち入りは禁止されている」
(……グオン卿?)
聞き覚えのある声にラナベルは弾かれたように顔を上げた。
騎士の影で見えないが、そこにいるのはたしかにグオンだ。聞き間違えるわけがない。
「まず私たちが用件を伺う。その後王女殿下にお伺いを立てるから少し待て」
厳格な警備相手に、グオンは焦れたように声を上げた。
「すぐに伝えてください! レイシア殿下が怪我をされたとっ!」
思いも寄らぬその言葉に、ラナベルは勢いよく立ち上がって駆け出していた。