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第41話


 あっという間に残暑も遠く消え、秋が深まり始めたころに豊穣祭が開かれた。

 当主や子息、またはその家門の騎士たちは狩猟のために森の奥へ向かい、獲れた獲物の大きさで優秀者が選ばれる。

 男性たちの狩猟中、女性たちは森の一角に用意されたテーブルや椅子を使ってお茶会を楽しむのだ。

 会場には貴族なら家門ごと、または神官たちのための天幕が張られ、大勢の人々のやる気と興奮が静かに広がっていた。

 レイシアとともに参加したラナベルは、周囲のざわめきにどこかソワソワしつつも彼としっかり向き合って健闘を祈った。

「あまり無茶はしないでくださいね。怪我にも気をつけてください」

 ああ、あと万が一のためにもグオン卿とは絶対に離れないでください。

 母親みたいに心配するラナベルの小言を、レイシアも最初はうんうんと聞いていたが、そのうち苦笑が滲み始めた。

「子どもじゃないから大丈夫だ」

 ――それよりも、ラナベルのほうこそ気をつけろ。

 囁くように忠告され、「ダニアのことですか?」と訊き返した。こくりと白い頭が動くので、心配無用だと笑う。

「大丈夫ですよ。ちゃんと契約書も交わしましたし、なにより彼は私のことを傷つけたりしないと思います」

 言い切ると、レイシアの顔がさらに渋く変わった。

 気を許しているラナベルに呆れてるのか、それとも気に触ることでもあったのか。

(多分不用心だと思われてるわよね……)

 ここまでのいきさつを話せば分かってくれそうなものだが、ダニアの事情を勝手に話しても良いものかと渋ってしまう。それに、ラナベルに救われたからという一連の話を自分の口でするのは、あまりにも恥ずかしい。

 うんうんと考え込んでいると、不意にレイシアの腕が伸びてきた。

 首に回った力強さに引き寄せられれば、こちらを伺っていた周囲のざわめきが大きくなったのが分かる。

 耳や頬に当たる柔らかな白髪がくすぐったくて、身をよじらせながら「殿下?」と訊ねた。

「……ずいぶん仲良くなったんだな」

「え?」

 囁きはあまり小さくて上手く聞き取れなかった。

 訊き返しても彼は「そろそろ行ってくる」と離れてしまう。

「気をつけてくださいね」

 釈然としなくても最後にもう一度繰り返すと、レイシアは「うん」と再び頷いてからグオンと一緒に森の奥に向かって行った。


 ◆ ◆ ◆


 レイシアたちの姿が見えなくなってから、ラナベルは離れたところで控えていたダニアやアメリーとともにお茶会のスペースへ向かった。

 道中、さっきのレイシアの様子を思い出して、そういえば――と思う。

(最近殿下はスキンシップが多い気がするわね。表情も柔らかくなったし……)

 抱きしめられたり、腰を抱かれたり……婚約者として仲睦まじく見せていると言われればそうだが、受け答えもどこか柔らかくて子どもっぽく思える。

 もしかしたら、素のレイシアはあんなふうに人と触れ合いたがる可愛らしい子なのかもしれない。

(よく考えると殿下は末っ子だし、お母様とお兄様から可愛がられていたみたいだから当然なのかしら)

 それだけ彼に心を開かれているのだと思うと、嬉しくなった。

 どこか浮き足立つような軽い足取りで向かっていると、不意に行く手を阻むように男が現れた。

 体格の良いその男はどこかの家門の当主なのだろう。一介の騎士にはない高級感のある狩猟服を纏っている。

 その後ろには息子と見られる男の面影が見える青年がいて、キッとこちらを――いや、正確にはラナベルを追うダニアを見ていた。

「セインルージュ公女様にご挨拶します。わたくし、ソルベル家当主のジジェスと申します」

 こちらは息子のジェームズです。と当主の背後に立つ青年がぺこりと頭を下げた。

「ソルベル家のご当主とご子息ですね。初めまして。ラナベル・セインルージュです」

 ――ご用件はなんでしょうか?

 社交的な会談もなく切り込んだラナベルに、当主の片眉がピクリと跳ねた。

 名乗りを上げたのに、爵位でもなく名前でもない呼び方をされたことも癪に障ったのだろう。彼らからは苛立ちの気配を感じた。

 それでも当主はぎこちなくも笑顔で続けてみせた。

「そちらにいるダニアは実は私の息子でして……何年も前に家を出てから探していたんです」

「ダニアからは生家とは縁を切っていると伺っています。たとえ子息だったというのが事実だったとして、今の彼は家名のない平民です」

 ご用がそれだけならもうよろしいでしょうか?

 ラナベルにしては珍しくも圧のある笑みで首を傾げると、「お待ちください!」と焦燥した当主が再び前に割り込んだ。

「あんな置き手紙一つで除籍など出来るわけがない! それに公爵家の騎士になるというのなら、ソルベルの名を背負ったままでもよいでしょう!?」

 そもそも――と、当主はラナベルの背後……表情もなくすました顔のダニアを指さした。

「公爵家の騎士ならばしっかり修練を積んだジェームズのほうがふさわしいでしょう。それはどこで遊んでいたともしれない騎士とも呼べぬ男です」

「十四の俺に、兄上は勝てなかったですけどね」

「黙れダニア! 貴様は早くソルベル家に戻れ! 公爵家の騎士ならば俺が務めを果たしてやるから安心しろ」

 ダニアの言葉尻をさらうように前に出たジェームズは、ごまをするような態度で聞いてもいない自らの優秀さをラナベルに並べ立てた。

(なるほどね。才能のあるダニアは家に連れ戻して教育させて、長男は公爵家の騎士に抜擢……)

 ソルベル家にはまるで損がない。

 強いて気にかかるのは見放された者ラナベルのことだろうが、男児が複数家に残って後継者争いをされるよりは爵位だけは立派な家で名誉職についたほうがいい――というところだろうか。

「レイシア殿下とご婚約されたと聞きました。ラナベル様の大事な御身ですから、ぜひそのような未熟者ではなく、騎士としても立派に大成している兄のジェームズはいかがかと――」

「もう一度だけ言います。彼は家名を捨てた身です。ソルベル家とはもう関係がありませんのでお帰りください」

 食い下がる二人を、ラナベルはスンと表情を消して切り捨てる。取りなす様子のないラナベルに、当主の笑みがさらに崩れ、怒りからか頬に赤みがさした。

「ですから、それは我が家のものです!」

「いいえ。ダニアはたしかに五年前に正式な絶縁状を置いて家を出ています。誓約書の控えを私も確認しましたので間違いありません」

「で、ですが、あれは十四の子どもが用意したものです。そんなものに法的効力はありません」

 狼狽えつつもしっかり反論してくる当たり、当時のソルベル家も焦って専門家に相談したのだろう。

 たしかに十を過ぎたばかりの子どもが正式な書面とはいえ一方的に家門と縁をきることは難しい。

 一瞬黙ったラナベルに、押し切れると思ったのか緩んだ口許で続けようとした当主の言葉を、ラナベルはため息で打ち止めた。

「本当はお邸のほうにお送りする予定だったのですが……まあ送る手間が省けたと思いましょう」

「な、なにがですか……」

「こちらをどうぞ、ご当主さま」

 すかさずアメリーが差しだした封書を、ラナベルは当主に向けた。恐る恐る封を切った当主は、その書面に目を見開いて唸る。

「な! なんですかこれは!」

「絶縁状です。また、ダニアが今後一切ソルベル家にはかかわらないという誓約書……そして、正式にソルベル家の貴族籍を抜けたという王宮からの報告書類です」

 たしかに当時十四だったダニアだが、今の彼は十九。成人しているのだ。

 正式に大人として認められた彼の意志と、嫡男ではないこと、そして五年もの間一切生家とやり取りしていない記録から、貴族籍を抜くのはそう難しいことではなかった。

「今の彼は平民のダニアです。そして、我がセインルージュ家の騎士――そして私ラナベルの専属護衛です」

 表情を消したラナベルの瞳は、見た者を凍り付かせるような冷たさと威圧感があった。

 そんな碧眼に射抜かれた彼らは、ラナベルが一歩前に出ると無意識に後じさりしてしまう。

「あなたたちに彼を連れ戻すことは不可能であり、それ以上私の騎士に侮辱を繰り返すようであればしかるべき処置をとります」

 ――もうよろしいでしょうか?

 最後にもう一度訊ねると、当主も子息も揃って青白い顔で頷いた。

 そそくさと離れて森の中へ入っていく様子を流し見ていたラナベルは、姿が見えなくなったところでふっと息をつく。

「ダニア、ごめんなさいね。まさかこんなに早く顔を合わせることになるとは思わなくて――」

「ラナベル様めっちゃくちゃかっこよかったです!」

「え?」

 感極まった声でダニアが身を乗り出した。隣にいるアメリーも、キラキラした目でしきりに同意するように頷いている。

「ラナベル様は美しくお優しいだけじゃなくてすごく強いお方なんですね! 俺も負けないように精神誠意ラナベル様をお守りします!」

「え、ええ」

 頬を赤くして興奮した様子のダニアに手をとられ、頭の追いつかないラナベルは勢いに押されて頷くしかない。

 ダニアが犬だったなら、きっとはち切れんばかりに尻尾が振られていただろう。アメリーはアメリーで感動したように目を潤ませているし、二人の相手をするのが精一杯で、ラナベルには周囲を伺う余裕がなかった。

「ええ、本当にかっこよかったわよ」

 割り込んだ女性の一声に、三人の表情がすぐに切り変わった。

 振り返ると、少し離れた天幕の中には一人の美しい女性が腰掛けていて、三人に――いやラナベルに向けて手を振っていた。

「マ、マイサ王女殿下……!」

 ラナベルが驚きの声を上げる一方で、マイサはにこやかな表情のまま同じテーブルの空席を示した。

「良かったらご一緒にいかがかしら? ラナベルお義姉ねえさま?」



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