レイシアが帰ってからすぐに、ラナベルは領地にいる男爵に向けて手紙をしたためた。
それから一週間。返事を待つラナベルはバルコニーでアメリーの淹れたお茶に舌鼓を打っていた。
「レイシア殿下、最近は来ないですねえ」
ふと隣に控えていたアメリーが呟く。
「殿下も領地からの返答を待ってるのよ」
「ですが、豊穣祭はもう三週間後ですし、そもそも用事がなくたっていらしてもいいのに」
ぷりぷりと怒った様子のアメリーは、レイシアにとても好感を持っているようだ。彼と会い始めてから、ラナベルが前向きになったというのも大きいのだろう。
「豊穣祭にむけて今度は臙脂のドレスを仕立ててもらってるんです! 殿下の瞳の色にも合いますし、ぜひ意見を聞かせていただきたかったのに……」
「あんまり困らせてはだめよ」
張り切り具合に苦笑しつつも、アメリーの溌剌とした様子にラナベルも自然と柔らかな表情になる。
一時期は神殿のことで落ち込んでいたアメリーも、ラナベルが懇々と諭してからは振り切れたように明るくなった。
気遣っている部分もあるだろうが、確実に前には進めているようで喜ばしい。
(……殿下はお元気にしてるかしら)
気がつけば、ラナベルはそんなことを思ってしまっていた。
ほんの一週間だというのに、ずいぶんと気にかかってしまう。
きっと変に思われただろうな、と前回の別れ際を思い出してむずがゆい気持ちになった。
なんの前触れなく抱きしめられたのに、レイシアはずいぶんと静かに、そして素直にラナベルの腕の中でじっとしていてくれた。――いつまで経っても出てこない二人に不安がったグオンがドアを叩くまでずっと。
不用意に抱きしめられたせいで柔らかな白髪は乱れていて、それを直すレイシアの褐色の頬はじんわりと赤く染まっていた。
恥ずかしそうに右往左往する瞳が、ずいぶんと可愛らしかったのを覚えている。
(……嫌がってはいなかったわよね?)
もしかしてあれが原因で顔を見せに来ないのだろうかとちょっぴり不安がっていると、リリーが焼き上がったばかりのクッキーを持ってニコニコ顔でやって来た。
「テトたちと一緒に作ったんですよ。ぜひお嬢様も食べてみてください!」
「――うん。すごく美味しいわ」
勧められた一つを口に運んで素直な感想を伝えれば、リリーの愛らしい顔がパッと華やいだ。と、そこで思い出したように制服のポケットを探る。
「そういえばお嬢様宛のお手紙も持ってきてたんでした」
「リリー。そういうのは始めにお渡ししないとダメでしょう?」
「ごめんなさい、アメリーさん」
お嬢様もごめんなさい。
シュンと落ち込みながら差し出され、ラナベルは笑って受け取った。
手紙は待ち望んでいた男爵からのもので、すぐに封を切ると手紙には騎士の件について了承した旨が書かれていた。
なんでも一人やけに熱心な志願者がいるらしい。
――公爵家に仕えるにはいささか粗忽者ですが、腕はたしかですのでご安心ください。
領地のほうも人数にゆとりがあるわけではないため、一人の派遣でご容赦願いたいという言葉に、もしかして無理をさせただろうかと申し訳なくなった。
「アメリー」
「はい」
「今度騎士の方が一人護衛としていらっしゃるから、部屋の準備をしてくれる?」
「かしこまりました。ご到着はいつ頃でしょう?」
「うーん……私の返事が届いてから向こうを出るだろうから――」
と、ラナベルは一番下に走り書きのような文字を見つけて首を傾げた。
――あまりにも意欲的すぎて話を聞くやいなや飛び出してしまいましたので、この手紙が着く頃にはそちらにお邪魔しているかもしれません。
ご迷惑をおかけして申し訳ない。そう締めくくられた手紙に、思わず目を疑う。
「お嬢様? どうされたのですか?」
急に黙ったラナベルを、アメリーが心配そうに伺い見た。
「アメリー、どうやらもうすぐ着くかもしれないわ」
「え?」
ついアメリーが訊き返したとき、不意にノックとともにテトがおずおずと顔を出した。
「お、お嬢様……なんだか知らない男の人がいらしてるんですけど……」
お通ししても大丈夫ですか? とビクビクした様子で告げたテトに、ラナベルとアメリーは思わず顔を見合わせた。
◆ ◆ ◆
癖のある短髪が似合うその青年は、満面の笑みを浮かべていた。
「初めまして! お会いできて光栄です、ラナベル様!」
やって来たのはレイシアとそう変わらないほどの青年だ。思っていたよりも年若くて、ラナベルは驚く。
「えっと、あなたがダニア・ソルベル卿?」
「家名は捨てたので、ダニアとお呼びください!」
「分かりました……ダニア卿。ずいぶんと早い到着ですね」
意欲的とは書かれていたが、なぜここまでやる気に溢れているのだろう。
初対面なはずなのにあまりに好意的に笑いかけてくるものだから、ラナベルは戸惑ってしまう。
そんなラナベルを余所に、ダニアはそっと膝をついて優しくラナベルの手をとった。
「ずっとあなたにお目にかかる日を心待ちにしていました。ラナベル様」
念願果たしたような顔で言ってのけたダニアを前に、ラナベルは怒濤の展開にただ呆然と頷くしかなかった。