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第21話

「申し訳ありません。お口に合いませんでしたか?」

 焦ったラナベルが前のめりに伺うと、レイシアは紅茶に目を奪われたままゆるゆると頭を振った。

「ちがう……むしろ慣れ親しんだ味だ」

 つられて透き通った琥珀色の水面を見下ろす。今回ラナベルが淹れたのは、アメリーが探し出してきた異国からの輸入品だ。

 トリヴァンデス国で馴染み深い渋みのあるほろ苦さは薄く、あっさりとした口当たりでスッと鼻を抜けるように茶葉の香りが通っていく。癖が強いものではないため、つい説明もなく出してしまった。

 言葉を鵜呑みにするなら心配するようなことはなさそうだが、レイシアの動揺を見るに「はいそうですか」と簡単に片付けていい問題にも見えない。

「なにか不都合がありましたか?」

 おずおずと訊くと、まだ紅茶に意識を取られるレイシアが再びゆっくりと首を振った。そして、ぽつりと「母上が」と口にする。

「昔、母上が好んで飲んでいたものと同じ味がする」

 それは独り言のようにか細く、そして子どもが発したようにつたなく聞こえた。

 そろそろともう一口分含んで、味わうようにゆっくりと褐色の喉元が揺れる。喉を下ったあとに残る茶葉の風味に、猫のようなつり上がった彼の瞳がほっと垂れ下がった。

 思わず滲んだ温かみのある人間らしい表情。出会ってからこれまで、レイシアがここまで気の休まった表情を見せるのは初めてだ。

 大人がもう届かない子どもの頃の思い出をすくい上げるような、そんなひっそりとした温もりと淋しさの気配に、思わず喉がきゅうと締めつけられた。

 大事そうに少しずつ紅茶を味わう彼の姿が、好物を出されて喜ぶ子どものようで微笑ましく思うと同時に言い知れない切なさがこみ上げてくる。

(イーレア様はずっと伏せっきりだというけれど、今はどうされているのかしら)

 ラナベルの記憶にあるのは、子どものころに参加した式典で見た遠くからの美しい女性の姿だ。

 イシティアを失ってからはただの一度も公式の場に姿を現していないため、今の姿は想像することしか出来ない。

 だが、いまだに公的行事に参加されないところをみるに、元気に過ごされているわけではないだろう。

 レイシアは「昔」と言った。ただ好みが変わっただけで口にしなくなったというならいい。だが、異国からの輸入品であるこれは、ラナベルが思うにイーレアの祖国のものではないかと思う。

 手に入れるのも大変な品を昔はよく飲んでいたというのだから、故郷を思い返す大事なものだったはず。

 弱ったときこそそういった心の柔い部分に残る思い出に縋りそうなものだが、イーレアはゆっくりとお茶をすることさえ出来ないほど不調なのだろうか。

(それとも、レイシア殿下がそれを知ることが出来ない環境にいる、とか……?)

 ラナベルには想像することしか出来ない。しかし、イーレアの不調であれ、そばにいられない環境であれ。考え得る可能性はどれもレイシアにとって喜ばしいものではない。

 ラナベルのことなど忘れて紅茶でひと息つくレイシアをちらりと見る。そうしてラナベルはそろりと立ち上がり、再び茶器を手にして茶葉を蒸らし始めた。

 不躾に訊くのも躊躇われる。だから、こうしてお茶を淹れることで、少しでも心安らかな時間を過ごして欲しいと願った。


 ◆ ◆ ◆


 帰り際、レイシアから茶葉を少し譲ってほしいと請われたラナベルは、もちろんだと多めに詰めて渡そうとした。

 しかし、当のレイシアからは「国外の品だから入手が難しいだろう」と遠慮されてしまう。

 結局渡せたのは小瓶に詰めた少量だけ。あれではそんな長くは楽しめないだろう。

 受け取った小瓶を大事そうに抱えたレイシアの姿に、ラナベルは直感でイーレアに渡すのだろうと思った。

 自分が楽しむためというよりは、誰かを思って顔を綻ばせているように見えたのだ。

 「ありがとう」と短く感謝の意を示して邸をあとにするレイシアの背中に、ラナベルはいても立ってもいられなくなった。

 咄嗟にレイシアについて行くグオンを引き留め、大急ぎでもう一つ茶葉を詰めた瓶を押しつける。

 関係が改善したとはいえ、まだ素直になれないレイシアに置いていかれやしないかとハラハラするグオンは、手元の瓶をみて首を傾げた。

「これは茶葉ですか?」

「はい。イーレア様の祖国のものかと……」

 その名前にハッとしたグオンに、「王宮についてからレイシア殿下にお渡しください」とラナベルはお願いする。

「今日お出ししたお茶が懐かしいものだったようで……譲って欲しいといわれたのですが、殿下は遠慮なさって少量しかお持ちにならなかったんです」

 だからどうか向こうに着いてから渡してくれと、ラナベルは念を押すように言い含めた。

 レイシアの心情を想像したのだろう。突然渡された物にきょとりとしていたグオンは、途端に生真面目な顔になって深く頷いてくれた。

「必ず帰ってからお渡しします」

 そうして挨拶もそこそこに、先に厩舎へと向かったレイシアを早足で追いかけていった。


 ローランとの会話の最中で感情的になったときも、イーレアの話題が出たからだったとラナベルが気づいたのは、二人が帰ってしばらくした頃だった。



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