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第20話

 国王との謁見から三日後。

 ラナベルは一つの封書を前に、息を飲んで目を凝らしていた。

 朝からアメリーが持ってきてくれたその手紙は、一見するとひどくシンプルなものだ。しかし、触れたときの滑らかさや光りの加減で見える光沢とともに浮き出る文様を見るに、とても上質なものだと分かる。

 しかも、手紙を綴じる封蝋印ふうろういんがまた問題だった。

 貴族や王族はそれぞれの家門にちなんだ紋章を持つ。

 封蝋印にはその紋章が刻まれたものを使用するので、手紙を開けずともどこの家門からの手紙なのか判別が出来るのだ。

 そして、トリヴァンデス国において「時」を現す時計をモチーフにした繊細な文様は、王族――ヴァンフランジェ家を示している。

 つまり、手元にあるのは王族からの手紙なのだ。

 それだけであればラナベルもここまで動揺したりはしない。

 王家からの手紙は式典などの招待状でよく目にするものだからだ。ほか家門から一切手紙をもらわないラナベルからすれば、むしろ見慣れているといってもいい。

 しかし、今ラナベルの持つ手紙の封蝋印は、時計のそばに花が添えるように描かれているのだ。

 時計――時の祝福を受けた王家に寄り添う花。花は女性を意味するもので、つまりはこの文様はこの国においてただ一人――王妃を示すものなのだ。

「王妃陛下が手紙を……?」

 今まで一度たりとも私的な手紙をもらったことはない。手紙どころか個人的な会話さえしたことがないのだから当たり前だ。

 ラナベルが恐々としつつ封を切ろうとしたところ、アメリーがレイシアの来訪を知らせてくれた。

 そうして応接室で向かい合ったレイシアが同じ封書を持ち出したので、やはり婚約のことで話があるのかとラナベルは中身を見ずとも察してしまった。

「さっそく来たか……王太子派の誰かから接触があるとは思っていたが、まさか王妃本人から招待が来るとはな」

 ラナベルが自分に届いた分を差し出すと、受け取ったレイシアはすぐに封を切った。

 見比べてみると、内容に大差はない。

 今度三人でお茶をしないかという誘いだった。

 きっと裏があるとレイシアは難しい顔で考え込むが、瞬きの少ない瞳には歓喜と興奮がありありと浮かんでいた。

 今までひっそりと警戒するしかなかった彼からすれば、進展しつつある今の状況は喜ばしいものなのだろう。

 文面に顔を向けつつ、レイシアの様子をこっそりと盗み見ていたラナベルは、ほっと息をついた。

(よかった……今日は普段通りね)

 謁見の日、一人で先に行ってしまったレイシアは、てっきり自身の宮殿に帰ったものだと思っていた。だから、ローランと別れたラナベルが馬車へ向かおうと玄関ホールを通り抜けるとき、そこに佇んでいた彼にひどく驚いたものだ。

 置き去りにしたことを悪く思ってるのか、目も合わないまま「すまなかった」と謝罪を零し、彼はラナベルが馬車に乗るのを見送ってくれた。

 しかし、どこか落ち込んだように俯きがちな瞳はどんよりとして見えて、ラナベルは遠ざかりながら憂えたものだ。

 姿が見えなくなるまで窓ガラスに張りついて様子を見守っていたので、その姿はこの目に焼き付いている。

 だが、こうしてやってきたレイシアにはあの時のことを引きずった気配もなく、どうやら持ち直したらしい。

(今さら心配したなんて伝えて掘り返すこともないわよね……)

 そう思ったラナベルは、先日のことは頭の隅に置いて、招待状について話を進めていった。

「……もちろん、こちらの招待はお受けするんですよね?」

「ああ。こんな機会は滅多にないからな。それに、自分で招待した茶会で人を殺したりは出来ないだろう」

 しかもこのタイミングではそれこそ自白しているようなものだ、とレイシアはやや楽観的に言ってのけた。

「お茶会は一週間後ですね……場所は王妃宮で。謁見の時と同じように王宮内で待ち合わせる形でよろしいでしょうか?」

「そうだな……。出来るなら仲睦まじく現れたほうがいいだろうし、王宮の門に迎えに行こう」

「分かりました。では、私は馬車で殿下のことをお待ちしています」

 と、ラナベルはレイシアのカップが空なことに気づいて席を立った。

「殿下、新しくお茶をお入れしますので少々おまちください」

 アメリーはレイシアを案内してそうそうに所用で出てしまったので、ラナベルが彼女の置いていってくれた茶器で紅茶を淹れていく。

 茶器と一緒にあった手のひらサイズの円形の平たい石の側面を、隣に置かれていた小さなトンカチでカツンと叩く。

 そしてすかさず水の入ったガラス製のポットを置く。しばらく待つと、透明な水の底からふつふつと気泡が立ち始めた。

火石ティストか」

 その様子を眺めていたレイシアがふと呟く。ラナベルはもう一つのポットに茶葉を入れながら頷いた。

「温まるまでに時間はかかりますが、どこでもお湯を沸かせるのですごく便利なんです」

 ティストとは、火の神ティアーナに祝福を受けた一族が売り出している熱を発する特殊な加工石のことだ。

 衝撃を加えると石が熱を持つように設計されており、貴族のみならず平民の家にも一つはあると言われる品物だ。

「アメリーがいればこんなにお待たせすることもないんですけれど……」

 彼女は水の神インセドに祝福を受けた家門の分家で、水の温度を自由に操作することが出来る。といっても、こうしたポットのような少量に限る話で、湯浴みなどのように大量になると時間がかかって普通に沸かした方が早いのだと嘆いていた。

「ああ、いつもいる女性か……今日はいないのか?」

 さっきは出迎えてくれたが? と不思議そうに訊かれてしまい、ラナベルはどう答えたものかと困った。

「アメリーは、いま仕立屋に行っています」

「仕立屋に?」

「はい。殿下との婚約が決まったのだから衣装を一新してより華やかなものを、と意気込んでまして……私はいいって言ったんですが……」

 愚痴まじりに言いかけ、あっと思ったラナベルは慌てて弁解した。

「もちろん殿下に恥をかかせるような物を着るようなことはいたしません!」

「そこは信頼しているが……たしかにほかの令嬢と比べると装飾が極端に少ないものばかり着ている印象だな」

 顎に手を置いたレイシアが、ふと記憶を探るように視線を宙に投げた。

「倹約家なのか? それは神殿の出身だからか?」

 たしか幼いころから神官に属していたよな? と訊かれ、ラナベルは困ったように息をついて苦笑した。

「たしかに神官をしていたこともありますが、それと倹約は別の話です。前にもお伝えしたとおり、いずれは公爵家を解体するつもりですから……私事にあまり家のお金を使いたくないんです」

 それに神殿ではむやみやたらに浪費することを良しとはしないが、必要以上の倹約を推奨しているわけでもない。

 人より神さまへの信仰が強く、金銭がらみの欲が薄い人が多いので、総じて神殿の者は倹約家だと勝手なイメージを持たれているだけだ。

「現在が貴族である以上、当然の享受だとは思うが」

「そんなことはありません。……私は罪人ですから」

 胸の内の重たいものを吐き出すように言ったラナベルに、レイシアはなにか言いたげな目を向けた。

 しかしすぐに言葉が出てこないのをいいことに、ラナベルは「どうぞ」と遮るように紅茶を出した。

「あ、ああ……ありがとう」

 温かい紅茶をそろそろと口にしたレイシアが、不意に目を瞠って弾かれたようにカップを凝視する。

「この味……」

 信じられないものを見るようにゆらめく瞳を前に、ラナベルは目をしばたたいて当惑していた。



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