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第19話


「あのような形で公表して良かったのですか?」

 あれでは国王からも反感を買ってしまうし、重役たちからの評判だって悪くなる。

 廊下に出たところでラナベルが訊くと、いつもの固い表情に戻ったレイシアは皮肉げにクッと片頬をあげた。

「あれ以上に衝撃を与えることもそう出来ないだろう? 俺の目的はあそこにいるだろう王太子派の人間の誰かにこいつは危険だと思わせることだ」

 保守的な国王では、最悪公表することすら出来なくなるからな。

 そう言うレイシアは笑っていた。しかしその笑みは、憂さ晴らしを楽しんでいるような、どこかほの暗い子どものような無邪気さを感じる。

 ゾクリと、ラナベルは言葉をなくして自分の認識の誤りを思い知った。

(そうよね……)

 未熟で世間知らずなところばかり目についていたから誤解していたのかもしれないが、この方は自身の兄の仇を捜しているのだ。そのために、命を捨ててもいいとさえ思っている人だ。

 王からの信頼も、重役からの評判も関係ない。ただ兄の仇さえ見つかれば、レイシアはそれでいいのだ。

 先を考えていない無鉄砲さは恐怖を覚えさせたが、それよりもラナベルの中には彼を憂う気持ちが大きかった。

(見つけた後、レイシア殿下はどうするつもりなのだろう……)

 以前訊いたとき、彼は答えてはくれなかった。いや、彼の中にも答えはまだないようだった。それもあって余計にラナベルは心配してしまう。

 この先――イシティアの仇を見つけた先で、この方は生きていけるのだろうか、と。

 今のレイシアは、兄の仇捜しだけを大事に抱えて生きている。

 考え込んでしまうと足取りが重くなった。並んでいたはずなのに、気づくとレイシアと距離が出来ていた。

 仇捜しへの第一歩を踏み出せたからか、彼は随分とご満悦そうだ。その背中にラナベルが不意に問いかけようとしたとき。

 背後からカツカツと速いテンポで誰かが近づいてきた。

 ラナベルが振り返るのと、その足音の主とすれ違ったのはほぼ同時だった。

 驚いたラナベルはすれ違った男の背中を目で追いかける。彼は大股でレイシアとの距離を詰めると、「おい」と低い唸りとともに乱暴に肩を引っ張って自分のほうに向かせた。

「なんですか、ローラン兄上」

 スンと一切の感情を消したレイシアを気にしたふうもなく、第二王子のローランは再び「どうしてあんなことをした」と押し殺したような声で訊ねた。

(ローラン殿下があんな声を……?)

 ラナベルは驚きのあまり制止することも出来ずに立ち尽くしてしまった。

 ローランといえば、いつだって女性たちの賑わいの中で甘い悲鳴を享受している軟派な青年だ。国王やナシアスよりも色の濃い金髪を襟足で一本に結い、その短く弧を描いた髪がふわふわと動くのが可愛らしいのだとどこかの令嬢が言っていた。

 垂れた瞳と薄い唇が印象的な甘いルックスが特徴で、ナシアスが裏を感じさせない爽やかな笑みだとすれば、ローランは底を見せない妖しい色気の微笑を常に携えている。

 そんな彼が、目をつり上げるようにして険しい顔でレイシアに詰め寄っている。

 ラナベルでさえこうなのだから、パーティーでローランに集う令嬢たちが見れば泡を吹いて卒倒しそうな光景だ。

「あんなハッタリをかましてどうするつもりだ? 権能がないからって自暴自棄にでもなったのか?」

「ハッタリじゃない。一週間も経てば嘘かどうか分かる」

「ハッタリでないならなおさらだ! どうしてあんなふうにおおやけにした!?」

 目を白黒させるラナベルの前で、二人の会話は熱をもっていった。

 分かりやすく荒れているローランもそうだが、レイシアの静かな口調に秘められた苛立ちに、ラナベルの方がハラハラしてしまう。

「お前の兄貴が……イシティアがどうして死んだが分かってないのか?」

 端正な顔の中心にぎゅっと力をこめたローランが、今度は静かに……そして苦々しく告げる。どこか苦しげに「さっきのはイシティアの真似だろう?」とほぼ確信に満ちた声で問いかけた。

 レイシアは、肯定も否定もしなかった。

 さっきの、というのは、謁見の間でのレイシアの姿のことか。

 いつだって神経を張り詰めたように表情の固いレイシアらしくはないと思っていたが、そうか……あれは兄の真似だったのかとラナベルは内心で納得した。

 なにより驚いたのは、ローランがイシティアの死について言及したことだ。あの口ぶりからするに、ローランもイシティアの死について、レイシアと似たような見解を持っているとみて間違いなさそうだ。

(そっか……ローラン殿下はレイシア殿下のことを心配しているのね)

 あまりに荒々しい問い詰めっぷりだったので驚いてしまったが、言葉だけを額面通りに受け取れば、レイシアの身を案じているのがよく分かる。

 二人は今も睨み合うような膠着状態だ。と、怒りに満ちていたローランの気迫が不意に削がれ、そこに哀惜あいせきの念が混じった。

「お前の気持ちも分からなくはないが、状況を考えろ……イシティアの仇を討とうとしたってお前が損をするだけだ」

 言い諭すような必死な声だ。レイシアもさすがに無下には出来なかったのか俯きがちに押し黙った。

 ふいと赤い瞳を逸らされた。これ以上言い争う気はなさそうだ。

 やっと落ち着いた二人の気配にラナベルがほっとしたのも束の間。ローランが「お前にまでなにかあればイーレア様が悲しむだろう」と続けざまに言った途端、レイシアは目の色を変え、力任せにローランを突き飛ばすように距離を取った。

 突然のことにローランもラナベルも驚く。

 レイシアは自身の行動を咎められたときよりも鮮明に怒りを宿した眼差しでローランを射抜いていた。

「あんたになにが分かるんだ……!」

 それは喉がすり切れたような血の滲むような掠れた叫びだった。思わず胸を衝かれたラナベルが声をかけようとしたが、引き留める前にレイシアは行ってしまった。

 一切目もくれずに置いて行かれたことは多少なりともショックだった。けれど、それよりも今のレイシアを一人にしたくないと思ったラナベルが追いかけようとしたが、それよりも早くローランに呼び止められてしまう。

「アンタはあいつの事情を知ってて婚約なんてしようとしてるのか?」

 さすがに無視することも出来ずに振り返ると、生真面目な顔の彼が刺すような目を向けていた。

 女性相手にはいつだって甘く垂れた瞳が、今は見定めるように突き刺さってくる。あまりの気迫に後じさりしたくなるような心境を抑えて答えようとしたとき、不意に官僚と思しき数人の男性が通りかかった。

 すると、一転してローランは母譲りの深緑の瞳をゆるゆると蕩けさせ、流れるような動作でラナベルの手を取って口づけた。

「それではラナベル嬢。あいつに愛想がつきたらぜひ俺に声をかけてくださいね」

 官僚たちはそんな二人の姿を見ると、廊下の隅を通りつつ声をひそめていた。

 ――ローラン殿下がまた女性と一緒ですよ。

 ――こりないねえ。女癖あれさえなければ優秀なお人なんだけどな。

 陰口と言うよりは嘆くようなひっそりとした声は、ラナベルにも届いたのだから彼にだって聞こえないはずがない。

 それなのに、不愉快にするでもなく、むしろ満足そうに笑みが深まったようにも見え、ラナベルは首を傾げた。

 しかし、考えるよりも前にローランが身を翻してしまったので、「ローラン殿下!」と今度は焦ったラナベルが呼び止めた。

 官僚たちはもう曲がり角の向こうだ。

 首だけで振り返ったローランには、さっきの女性を魅了するような甘さは微塵もなかった。

「ご心配ありがとうございます。けれど、私は問題ございません」

 怯まずに微笑んで言うラナベルに、ローランは虚を突かれたように目を丸くした。

 そして、調子が狂ったように苦笑すると、困った顔で手を振って去って行った。


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