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第18話


 巻き戻った先で、ラナベルは国王への謁見を求めて王宮を訪れていた。

 吹き抜けの玄関ホールで待っていたレイシアと合流し、侍従の案内に従って謁見の間へと向かう。

 道中、自分が思っていたよりも緊張していることに気づいてふっと息をついた。

 豪勢な彫刻を施された高い天井を眺めながら、普段よりも速く動く心臓にラナベルがこくりと小さく喉を鳴らしていると、不意にレイシアが言った。


「……一度と言ったのにどうして何度も戻った?」


 前を行く侍従に気づかれぬように問われ、ラナベルも前を向いたままそっと零す。


「時間が心許ないかと思ったんです」


 実際、慶事を受けて一度死んだとき、巻き戻ったのはわずか二日だった。そこから謁見の申し込みをしてそれが叶うまでを思うと、さすがに短すぎる。

 そう判断したラナベルは、巻き戻った先でさらに数回死を繰り返すことで時間を確保したのだ。

 レイシアと相談して決めたわけではなかったので、彼からすれば混乱したのだと思う。

 横顔に強い視線を感じていると、不意にレイシアが呟いた。


「……それだけのためにお前は死ねるのか?」


 その低く小さな囁きは、ハッキリとはラナベルに届かなかった。


「殿下? どうかされましたか?」

「いや……ただ、そうして繰り返すことが出来るのなら、最終的には何年も遡ることが出来そうだなと思っただけだ」


 その言葉に、ラナベルはふと足を止めた。さっきまでとは違う緊迫感がラナベルの身体を強張らせる。

 同じように一歩先で立ち止まって振り返るレイシアに、そろそろとつたなく投げかけた。


「もし、それが可能だとしたら……」


 そうだったら殿下は戻りたいですか?

 続けようとしたところで、先に進んでいた侍従が曲がり角から二人を呼んだ。

 困惑顔で待つ侍従の元に早足で駆けよると、華やかな装飾の施された重厚な扉の前に招かれた。


「この先に陛下たちがおられます。中から呼ばれるまでしばしお待ちください」


 二人きりで残されると、途端に神経が張り詰めたように感じられた。


(この向こうに陛下たちが……)


 いつもの挨拶と変わらないと思っていたが、パーティー会場で流れ作業のように行うものとはわけがちがう。

 ちらりと盗み見ると、レイシアの横顔も緊張しているように見えた。


「……婚約や権能については俺から話す。だからそこまで固くならなくていい」

「はい」

「国王には事前に詳細を伝えてある。今回こうして重役たちの前で発言させるのは形式的なものだ」


 だから大丈夫だと告げる固い声に含まれた気遣いに、ラナベルの引き結ばれた唇が我知らず緩んだ。


 ――レイシア・ヴァンフランジェ殿下、ラナベル・セインルージュ令嬢でございます。


 呼び声とともに重厚な扉がゆっくりと開かれていく。扉の先には深紅のカーペットが長く伸び、左右には見覚えのある国の重役たちが並んでいた。

 どうして二人がここに来たか。大まかな概要は知らされているようで、並ぶ二人を意外そうにまじまじと見ている。


 深紅のカーペットの先には、玉座にかける国王と王妃の姿があった。

 玉座のほど近い位置には、重役たちに交ざってナシアスやローランたちの姿も見える。

 深紅の道しるべを、ラナベルはレイシアの手を取ってしずしずと進んでいく。

 チラリと観察するが、隣り合ったナシアスとローランは正反対な顔をしていた。

 いつも通りにこやかに見守るナシアス。その隣にいるローランは珍しくも訝しげな険しい顔をしていた。

 第五王子のアノールは場の空気に萎縮しているし、第六王女のマイサは興味深そうにまじまじと見つめてくる。


(第一側妃のグレイス様はいらっしゃらないのね)


 イーレアは言わずもがなである。

 殿下たちの前を通り過ぎたラナベルたちは、国王と王妃を前に決まり切った挨拶をする。と、国王はさっそくとばかりに「我々に話があるそうだな」と切り出した。

 レイシアの言うとおり話は通してあるらしい。国王の瞳は穏やかで、婚約について反対する意志はなさそうだ。

 内心でほっと息をつく。その一方で、年若い二人の恋を見守るような生温かさも感じてしまい、妙な気恥ずかしさを覚えた。


「本日は国王陛下ならびに王妃陛下、みなさまがたにラナベル・セインルージュ嬢との婚約を認めていただきたく参上いたしました」

「ほお、まさかお前がラナベル嬢とそんな関係だとは思わなかったな。ラナベル嬢も言ってくれればよかったものを……急にレイシアから手紙で知らされてずいぶんと驚いたぞ」


 水くさいな、と多少芝居がかった嘆きに、ラナベルは苦笑とともに頭を下げた。


「申し訳ありません。殿下とお会いしてからそう長く経ってはいないもので……」

「それでも私たちの愛は本物です。ですから、彼女との婚約を認めていただければと思います」


 アピールのためだろう。不意に手を握られて、ラナベルは驚きでドキリと胸が大きく鳴った。

 ここで狼狽えてはいけない。動揺は静かな微笑のなかに押しとどめ、そっと壇上の国王と王妃を見た。

 国王は見るからに反対する気はない。隣の王妃も緩く持ち上げた口角で二人を眺めている。が、その双眸は随分と冷え切ってみえた。

 まるで見極められているような居心地の悪さを感じるのは、イシティアの暗殺疑惑によるラナベルの先入観のせいだろうか。

 このままなにごともなく終わって欲しい。そう願っていたラナベルだが、不意に王妃が声をあげた。


「……陛下、王太子のナシアスもいまだ相手のいないなか、末子のレイシアの婚約を認めるつもりですか?」


 責めるようにも聞こえる低い凛とした声だ。

 たちまち謁見の間に重い緊張感が走る。そんななかでも国王は、普段の和やかさを消した威厳ある顔で平然と言った。


「ナシアスの相手はそなたが見合った者を選ぶと言うから一任しているだろう? それを理由に若い二人の婚姻を阻む気か?」


 国のためを思い理想が高いのはいいが、ナシアスももう二十七なのだから早く決めてあげなさい。

 むしろそうたしなめられてしまい、王妃は二の句を告げられずに居住まいを正した。それを確認した国王が、レイシアたちと向き直ってにこやかに宣言する。


「愛する二人がそれを望んでいるのなら認めよう。お互いを信じ、良き関係を続けていくのだぞ」


 みなも祝福してくれ、と国王は立ちがあって祝いの声を上げた。倣って重役やナシアスたちが拍手と祝福を告げる。

 しばらくの間続いた拍手が終わると国王が席につき、これで二人は退場かと思われた。現に国王は、


「二人はもう退出してよい。レイシア、王宮の庭園でも案内してあげなさい」


 と、二人を促した。


(権能についてはべつで機会を設けるのかしら……?)


 レイシアの口ぶりでは今日まとめて発表するようだった。

 疑問に思いつつも素直に従おうとしたラナベルだったが、レイシアは違った。


「恐れながら、まだご報告したいことがございます」

「……なに?」


 怪訝そうに国王が片眉をあげる。周囲も、そんな国王の様子にざわつき始める。


「陛下にはすでにご報告しましたが、この度私にもクーロシアの祝福が訪れたようです」

「……権能が現れたというのですか?」


 傍観に徹するかと思った王妃が、たまらず問い返す。それに対して、レイシアは今まで見たことのないような深い笑みで頷いた。

 隣で見ていたラナベルがぎょっとするほどの変わりようだ。

 一見すれば人好きすような穏やかな微笑みだ。

 しかしよくよく観察してみると、緩く弧を描いた赤い瞳は笑っているが、その奥には挑戦的な気配が滲んでいる。


「レイシア、それは今度私と詳しく検証を重ねてから話そうといったはずだ」

「しかし陛下、私も仮にも王家の人間です。国のために力を使いたく思います……たしかに発動条件は不明でコントロールも出来ません。しかし、時を巻き戻る権能など、国のために使えというクーロシアからのお言葉以外になにがありますか?」


 揚々と言ってのけるレイシアに、謁見の間は水を被ったように静まりかえった。耳を疑うように唖然とする重役たち。ナシアスやローランたち、また王妃も目を見開いてみな一様に言葉をなくしていた。

 しばらくして、重役の一人が動揺を隠すように嗤った。


「時を巻き戻るですと……? お言葉ですが殿下、これまでの長い歴史上実際に時に関与した者はおりません。代々王家は、予知という形でクーロシアの権能を引き継いできたのです」


 なにも知らない子どもが堂々と嘘をつくものじゃない。

 そんな侮蔑の色が滲む眼差しにも、レイシアは怯むことなくにこやかだ。――完璧すぎる笑みだと言ってもいい。

 その姿は、ラナベルからすると本当にレイシアかと疑いたくなるほど不気味に思えた。


「もちろん知っているさ。だが、時を戻るのは事実だ」


 ああ、そうだ。


 レイシアは今思いついたと言わんばかりのわざとらしさで声をあげた。


「あと一週間ほどで隣国から吉報が届くことでしょう。我がトリヴァンデス国から嫁いだ姉君が懐妊したというめでたい報せが」


 一週間後には巻き戻りが事実だと知ることになる。

 あまりに自信満々にレイシアが言い切るので、謁見の間の誰もがそれ以上なにも言えなかった。

 誰もが言葉を探しつつ、誰かが動くことを見計らっているような居心地の悪い沈黙が続く。それを破ったのは国王のため息だった。


「……ひとまずこの件はレイシアの証言を検証してからとする。それまでは他言無用だ」


 頭を抱えるように言った国王の命令に、「はい」と揃った返事が響く。しかしその声に覇気はなく、張り詰めたような緊張感の宿る声音だった。

 今度こそレイシアとラナベルは退出を命じられる。

 戸惑いの残るラナベルだったが、腰をすくうように身を翻したレイシアに連れられて、静かに広間を後にした。



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