愛し合っているという建前で婚約するのだから、それらしく行動しましょうとたしかにラナベルは提案した。
結果、巻き戻って国王に報告に訪れるまで、レイシアが何度も訪問してくることで周囲に親密さをアピールすると落ち着いた。
そのためにはもちろん護衛のグオンやアメリーに婚約する事実を告げなくてはならないが……。
(殿下、これは突然すぎます……!)
しかも当のレイシアは言うだけ言ってさっさと帰ろうと背を向けてしまう有り様だ。
「お、お待ちください殿下!」
案の定グオンが引き留める。それを、レイシアは「詮索するなと言っただろう?」と冷たく一瞥した。
怯んだように言葉をのんだグオンではあったが、その顔には言いたいことがあるとありあり書かれていた。さすがにフォローしようかと思ったところで、不意にグオンが今度はラナベルを見た。
「失礼を承知で申し上げます。ラナベル様と二人でお話をさせてはいただけませんか」
「おい。勝手なことを――」
「殿下、私は構いませんから」
怒りで吠えるレイシアを咄嗟に止め、ラナベルはグオンの申し出を承諾する。不服そうな顔のレイシアをアメリーに任せ、今度はグオンとともに応接室に向かった。
「それでお話とはなんでしょうか?」
長話をするつもりはないであろう相手の意を汲み、ラナベルはソファに座ることもなくすぐに訊ねた。
「先ほどの婚約するというお話ですが……事実なのですか?」
「ええ。さきほど殿下が言ったように婚約するつもりです」
すると、グオンは苦いものを飲み込んだように険しい顔になった。
(当たり前よね……私との婚約なんて喜ばれるわけがない)
やはり問題は権能を失ったことか――それを糾弾されると思ったラナベルは内心で心構えをする。しかし、グオンは意外にも腰の低い口ぶりで続けた。
「レイシア殿下は第二側妃であるイーレア様の子息であり、権能の発現もないため王宮内での立場は弱いものです。そんななかで神から見放されたとされるラナベル様と婚約を結ぼうと思えば、さらにその立場が危ぶまれます」
あの方のためを思うならどうか諦めてください。
深々と下がる頭を前に、ラナベルは一瞬放心した。だってもっと強い言葉でなじられると思っていたのだ。
王族と婚姻など無礼だと、どうやって取り入ったのかと言われる覚悟だってあった。いや、きっとほかの貴族相手ならそう言われていたはずだ。
それなのにグオンはどうだ。こうも深々と腰を折り、客観的立場からの視点を述べてレイシアを守ろうとしている。
(……あっ)
そうだ。なにかがおかしいと思ったが、グオンからはラナベルを責め立てようとする意志が感じられないのだ。祝福を継承してきた貴族であれば誰もが持つラナベルへの敵意や蔑みが、彼には微塵もない。
それなのにこうして意見を述べて頭を下げるのは、ただただレイシアの立場を思ってのこと。彼を守ろうとしているが故の行動だ。
「……顔を上げてください。グオン卿」
言うと、わずかな躊躇いの後に彼は姿勢を戻した。その表情は、どんな叱責をうけるかと強張っているようだ。
そんなにびくびくしているのに、よくこうして二人で話すなどと大胆なことが出来たものだと思う。しかし、その強張った顔つきの中には、その叱責も全て受け入れる覚悟が見て取れた。
「グオン卿は、本当にレイシア殿下のことを大切に思っているのですね」
柔らかく、そして儚く笑うラナベルに、グオンは一瞬だけ目を奪われた。我に返ると緊張が抜けたのかハキハキした様子で大きく頷く。
「はい。私は殿下が六つの頃よりお仕えしております。恐れ多くもあの方の剣の師も務めさせていただいており、ずっと見てきたせいか
さきほどまで騎士然と引き締まっていた顔が、自然とほころんだ。その柔らかさに、ラナベルも無意識に力を込めていた身体を楽にする。
「婚約をなしにすることは私の一存では出来ません……けれど、レイシア殿下の立場を考えて行動することをお約束します」
むしろ、巻き戻りの権能を公表すれば、逆の意味でレイシアの身を心配しなくてはいけなくなるだろう。
色よい返事をもらえずグオンは消沈気味ではあったが、最後にはラナベルを信じて頷いてくれた。
「差し出がましいことを言いました。申し訳ありません」
「いいえ。殿下を思うがゆえの言葉でしょう? 気になさらないでください」
連れだって部屋に戻ると、アメリーの紅茶でひと息ついていたレイシアがすぐに立ち上がって耳打ちしてきた。
「こいつがなにか無礼をしなかったか?」
「ご安心ください。なにもなかったですよ」
言うと、グオンを睨む赤い瞳にわずかな安堵が滲んだ。それを間近で見たラナベルは、ああ……と妙に納得した気持ちになる。
レイシアは言葉で言うようにグオンを信用していないわけじゃないのだ。ただ、信じたいけど信じられないだけで。
よく考えれば、十二年もの間連れ添った相手に嫌悪や懐疑心を持ち続けることは難しい。親しみを感じるのは当然だ。
なにより兄を亡くし、残ったイーレアも床に伏してしまったなかではなおさらだ。近しい人間など、グオンしかいなかっただろうから。
そう思うと、レイシアとグオンの関係がひどくもどかしく思えた。
レイシアの様子を見るに、いつもこうして突っぱねてばかりで、正直に心情を語り合ったことなどないだろう。
国王が遣わせた護衛だから――それが理由で、忠誠心を隠しもしないグオンさえ信じ切れないレイシアが、痛ましくも思える。イシティアを亡くした一連の出来事は、幼いレイシアの心をどれだけ傷つけたことか。
「レイシア殿下」
玄関ホールまで見送りに出たところで、レイシアの背中を引き留める。言わずにはいられなかったのだ。
「さきほどグオン卿は、殿下のお立場を守るために私に意見をくださったのです。……自分が無礼だと罰を受ける覚悟を決めて」
「なに?」
「……これは殿下が一番お分かりかとは思いますが、信頼しても良い方だと思います。一度でいいので、思いの丈をお話してみてはいかがですか?」
息を飲むように聞いていたレイシアは、答える前にお忍びのフードを被って外に出てしまった。グオンも言いたいことがありそうだったが、自分だけが残ることも出来ず、そそくさとレイシアの後を追った。