発言の意図がつかめないラナベルは困惑を露わにした。
「それは……一体どうしてでしょう」
我関せずという態度に見えていたが、権能がないこと気にしていたのだろうか。
助けてあげたいとは思いつつ、一度公表すれば権能というのはその人の人生に一生付き纏うものだ。
ラナベルがなんの責任も持たない身軽な人間であればよいが、今は家のことや母のことがある。
慎重に事情を伺わなくては、とラナベルは身を引き締めた。しかし、レイシアの話は想定外のところから切り出された。
「俺の兄上が十一年前に亡くなったのは知っているか?」
「はい。イシティア殿下はたしかご病気で十三歳のときにお亡くなりになられたと記憶しております」
それが今の発言とどういう関係があるのだろう。
疑問に思いつつ答えると、途端にレイシアの表情が険しいものになる。
「……それが、騒ぎにしないための嘘だったとしたら?」
「え?」
「兄上は、何者かに殺されたのだ」
憎らしげに吐き出されたその言葉は、ラナベルの度肝を抜くには十分だった。
唖然として言葉を無くすラナベルを前に、レイシアはどんどん語気を強めていく。
「兄上はとても優秀な人だった。頭も良ければ武芸にも秀でていて、なにをやってもすぐに
優秀すぎたのだと、苦々しく吐き出したレイシアの目は、ラナベルのことを忘れてしまったようにある一点に集中していた。そこによほど憎い相手を思い浮かべているのだろう。普段の刺々しい雰囲気など目でないほどの、激しい敵意と憎しみがレイシアからさらけ出されている。
「大体の目星はついているが確信が欲しい。俺が兄上のように継承争いで抜きん出れば、犯人は再び現れるはずだ。だが、俺は兄上ほど何事にも秀でていない」
「そこで一番手っ取り早く頭角を出すために権能を?」
おずおずと訊けば、レイシアは深く頷いた。
「殿下自身を囮にされるおつもりですか?」
「そうだ。これが出来るのは王族の血を引く者だけだ。他の者に代わりは出来ない」
キッパリと言い切るレイシアに、命を狙われる恐怖や怯えは一抹も存在しなかった。そこにあるのは、ただただ断固として折れない決意だけが見て取れる。
青天の霹靂に、ラナベルは頭を抱えたくなった。
第三王子が王位継承争いのために命を落としたのだとしたら……。それならば犯人は必然と限られてくる。
「目星というのは、その……王太子のナシアス殿下ですか?」
言いながら、どうか嘘であって欲しいと願った。ナシアスは穏やかな気質で、貴族にも平民にも平等に気さくな方だ。民に心を砕いており、いつだって優しげな笑みで他者を和ませる雰囲気の持ち主でもある。
私的に会話をしたことはないが、次代があの方であれば安泰だろうと思っていた。――あの笑顔が嘘だったとは思いたくない。
「疑わしいのはやはり王太子の派閥だろう。ナシアス自身か……その後ろ盾の貴族。または王妃の手の者だと思う」
「そうですよね……」
分かっていただけに、ラナベルはショックだった。
現在、トリヴァンデス国は継承争いとはほぼ無縁といってもいい。
王太子ナシアスは平民貴族問わず支持を集めている。
ナシアスに対抗しうるのは年が近いローランだが、彼は第一側妃の子で、女性の間をふらふらと彷徨う
そして、第七王子のレイシアは側室の子であり、まだ成人したてなうえに権能もない。
言ってしまえば、ナシアス以外に国王の地位に相応しい者がいないのだ。
五人も王子がいて……と、ときどき嘆くような声を耳にしたこともある。
けれどラナベルからすれば、他国のように継承争いで国に戦火が起こるよりはうんとマシだと思っていた。なにより、そのナシアスが賢君となりうる器なのだから、と。
しかし、そんな状況さえ仕組まれたものだったとしたら、どうすればよいのだろうか。
「レイシア殿下、このようなことは簡単に口にするものではありません。もし誰かに聞かれでもしたらどうなることか」
それは考えただけでも恐ろしいことだ。
「もし私が、国王やナシアス殿下に密告したらどうなさるおつもりですか?」
嘆くようにラナベルが不用心さを咎めると、レイシアの口が不服そうにへの字になった。
「さっきも言ったが、俺は自身の権能として公表する際、信憑性を持たせるために情報を提示したいと思っている。そのために、有益な情報が手に入り次第、一度ラナベル嬢には死に戻ってもらいたい。命をかけてもらうのだから、嘘は言えないだろう」
あっけらかんと言われて、ラナベルの頭痛がひどくなる。その誠実さは好ましいものではあるが、心配してしまう気持ちのほうが大きい。
「……死んでしまうかもしれないのですよ?」
「覚悟している。俺はなにがあっても必ず、兄上を殺した者を見つけ出す!」
怒気を滲ませて唸ったレイシアには、言葉通り兄の仇を見つけることしか頭にない様子だ。
ほとんど交流もないラナベルに打ち明ける迂闊さや、ときどき垣間見える子どものような素直さが危うく見えて心配でしょうがない。だが、なによりラナベルの心を苦しめるのは、レイシアへの同情だった。
家族を失う辛さはよく分かる。ラナベルは自分のせいで
だが、レイシアはどうだろうか?
恨む相手も分からずに募り続けた感情は、まだ若い彼の中でどれだけその身を蝕んでいるだろう。
その怒りの一片を垣間見たラナベルの胸が締めつけられる。
レイシアの怒りを、痛みを、想像出来るからこそラナベルは心配でならなかった。――いつか彼自身が、その大きすぎる感情で身を滅ぼすのではないかと。
「頼む。俺に協力してくれ」
いっそ脅されているとも思えるような強い眼差しを向けられ、ラナベルは静かな表情の下で悩んだ。
この方を放ってはおけない。けれど、国王たちを騙すようなことに手を貸していいものか。
考えあぐねていたラナベルだが、手助けしてさしあげたいという感情が膨らんでいくことに気づいてもいた。
シエルを救うことも自分自身が楽になることも出来ないこの力を、今までどれだけ恨めしく思ったことだろう。
しかし、この力が誰かの役に立つなら。領地に関する責任を果たすことだけが唯一のやりがいだった日々の中で、誰かを助けるために生きられるなら――。
そう思うと、不思議と胸が高鳴っていくようだ。
今まで鼓動など忘れていた人形に血が通っていくような錯覚を覚えた。
――神官様、ありがとうございます。
遠い昔。まだ人を癒やす力を持ち得ていたあの頃の高揚や幸福が、不意に思い出される。
今の自分には以前のように誰かを癒やすことも助けることも出来はしない。だが、レイシアのことは助けられる。
考えに考え抜き、そうしてラナベルは決意を固めた。