レイシアが訪ねてきたのは朝食を終えて窓辺に腰掛けた頃だった。
「アメリーさん、お嬢様にお客様が来てるんですが……」
どうしたらいいのでしょう、とリリーが困惑顔で部屋にやって来た。セインルージュの邸を訪れる人などほとんどおらず、やって来るとしても王宮からの招待状を持ってくる配達員ぐらいだ。
まともな来客の対応は初めてで焦ったリリーは、とにかく頼れるアメリーを探しに来たのだろう。
(お母様の介護にばかり気を取られて、ほかを疎かにしてしまってたわね)
今度レイシアも来ることだし、アメリーに頼んで一通り指導する時間を設けたほうが良さそうだ。
アメリーに何度も時間を取ってもらうのは申し訳ないし、その日はラナベルがラシナのそばにいて、メイドたちはまとめて指導を受けられるようにしよう。
リリーがアメリーに言付ける間、ラナベルはそんなことをつらつらと考えていた。
(でも、普通は来訪前に先触れとして手紙が来るはずだけれど……)
それもない状況で、一体誰だろうとラナベルはふと疑問に思った。チラリと戸口のところで向き合う二人を見た。
身振り手振りで必死に伝えていたリリーに、アメリーは突然ぎょっとして顔を青ざめた。そして珍しく慌てた様子でラナベルに駆け寄ると、そっと耳打ちしてくる。
「お嬢様、どうやら第七王子殿下がいらしているようなのですが」
「え? 殿下が今?」
「はい。肌の黒い白髪の貴族の方だと言っていたので、十中八九そうかと……」
固い表情で冷や汗を流し、「リリーが玄関ホールに立たせたままだというので、すぐに応接室へご案内して参ります」とアメリーは報告もそこそこに部屋を出て行った。
アメリーの慌ただしさに、リリーは相手がどれだけ高貴な方か理解したらしい。青ざめて真っ白になった顔で戸口で立ち尽くしている。
「お、お嬢様……私、とんでもない無礼を……!」
涙目で震える肩を、ラナベルはそっと叩いて宥めてあげる。
「来客もないからとちゃんとした対応を教えなかった私に責任があるわ。あなたに罰が行くことはないから安心して」
「で、ですが私のせいでアメリーさんやお嬢様が罰を受けるのでは?」
「大丈夫よ。レイシア殿下はこんなことで罰は与えないわ」
もちろん王族を玄関に立たせたまま置き去りにするなどあってはならない。むしろ、貴族相手にだって許されないことだ。
安心させるべくにこやかに慰める裏で、ラナベルはなんて叱責されるかと冷や汗を流した。
王族が決してみだりに人に罰を与えはしないと信じてはいるが、体裁というものが存在する。
地位をしっかり示すため、ときには罰を与えることも必要だ。そうしなくては、王家の存在が軽んじられる。
それでもリリーに責を被せることはしない、と震える少女を抱きしめたラナベルは決意する。
「あまりお待たせできないから、私もそろそろ行ってくるわ。リリーは目許を冷やしてきなさい」
「はい……お嬢様、本当にごめんなさい」
安堵と申し訳なさで泣きっぱなしのリリーを見送り、ラナベルは簡単に身支度を確認してから応接室へと向かった。
辿り着いたときにちょうど部屋から出てきたアメリーは、さっきよりも幾分か血色の戻った顔をしていた。
「今はお茶をお出しして待っていただいています。お怒りの様子はありませんでした」
「ありがとう。しばらく二人で話をするから下がっていて」
「はい。かしこまりました」
少し心配そうに去って行くアメリーの姿が見えなくなると、ラナベルは深呼吸をしてからドアノブに触れた。
「殿下、お待たせしてしまって申し訳ございません。ラナベル・セインルージュでございます」
部屋の中央にある重厚な木材で作られたテーブルを挟み、向かい合うように置かれたソファの一方にレイシアは座っていた。
お忍びで来たのか、目立たない色合いのフード付きのマントを羽織っている。その下に纏うのもシンプルなシャツとパンツで、一見すると王族には見えない。
けれど、腰掛ける姿勢や身のこなしには気品があり、この身なりでもリリーが貴族だと判断できたのも頷ける。
なにより、表情の硬い美貌には妙な気迫があって、普段貴族など相手にしない彼女はさぞ緊張して混乱しただろうと気の毒に思った。
「先ほどは我が家の使用人が無礼をいたしました。教育を怠った私の責任です。重ねてお詫びいたします」
向かいのソファ近くで立ち、ラナベルはゆっくりと頭を下げる。レイシアは怒って顔を険しくすることもなく、かといってニコリともしなかった。だが、「謝られるほどのことはされていない」と言ってくれたので、叱責はないとみていいだろうか。
ほっとしつつ着席の許可が出ることを待っていれば、レイシアはじっと目を合わせるだけでなにも言わない。
まさか本当は怒っているのだろうか。そう思ったラナベルが再び冷や汗を浮かべたとき、レイシアの瞳に困惑が宿った。
「……なぜ立ったままでいるんだ?」
「座ってもよろしいのでしょうか?」
他意のない純粋な目で告げられたから、裏を読むこともなくつい訊き返してしまった。すると、レイシアはなにかに気づいたようにハッと瞬いてから「……座ってくれ」と小さく言う。
急におどおどした彼の様子に首を傾げていると、不意にレイシアは伏せた目で呟いた。
「すまない……俺のほうから言うべきところだったな」
「いえ。そんな……」
口ぶりから見るに、許可を出すのを忘れていたようだ。
まるでこういった状況に慣れていないような振る舞いに見えた。
末の王子であろうと、貴族とこうして歓談する機会ぐらいはあるだろうに――そこまで考えたラナベルの頭に一つの可能性が浮かんだ。
しかし、第七王子であろうと王族であることに変わりはない。そんなことがあるだろうかと自分の中の考えが疑わしく思え、ラナベルは確信を持つために問いかけた。
「殿下、これからはまず先触れを出していただければと思います。我がセインルージュ家はご存じの通り、今はさほど人手がなく、せっかく来ていただいても十分なおもてなしも出来ません」
遠回しに指摘すると、再びレイシアは虚を突かれたようにしばたたいた。
髪と同じ白銀の睫毛がパチリと音を立て、丸くなった瞳に意外な子どもらしさを垣間見た。
「すまない……そうか。普通は先触れを出すものか。早朝は迷惑だろうと、それだけ考えてきてしまった」
驚いたせいか考えていることが素直に口から出てしまっている。
その呟きで、ラナベルは自分の考えに確信を持った。
(やっぱり……この方は貴族と接したことがほとんどないのね)
この様子を見るに、邸を訪れたことも、もちろん私的な会話をしたこともないのだろう。
思い出してみると、レイシアの姿は王族が全員集うような公式的な催し物でしか見たことがないかもしれない。もちろん誰かと個人的な会話をしているところもない。
(そういえば、昨日の晩餐会でも早々に会場から出てきていたぐらいだものね)
最初の邂逅を思い返したラナベルがしみじみ思っているうちに、さっさと切り替えたレイシアが本題に入った。
「それでお前の力について知りたいのだが……あれは時を遡ることが出来ると考えて間違いないのか?」