交流を楽しむほかの貴族たちをぼんやり眺めていると、さっきまでラナベルを話のタネに盛り上がっていた令嬢たちが、今度は身を寄せ合ってヒソヒソと話しているのが目にとまった。
今はラナベルなど眼中にない様子で、どこか色めきだった小さな声ではしゃいでいる。
咄嗟に耳をそばだててしまうと、どうやら王子たちの話をしているようだった。
現在国王には亡くなったイシティアを除いた四人の王子と二人の王女がいる。すでに隣国に嫁いだ第四王女殿下以外の五人の殿下がこの会場に揃っていた。
令嬢たちの間では、穏やかな笑みを携えた王太子ナシアスと、放蕩息子として有名な遊び人の第二王子ローランで人気を二分しているらしい。
王族と結婚となればもちろんそれなりの家柄を求められる。現在の王妃も元は公爵家の子女だし、第一側妃のグレイスもそれなりの家門の出だ。
けれど、決して叶わないと知りつつも端正な容姿にひかれて夢見てしまうらしい。
頬を赤くした令嬢たちの生き生きした様子に、ラナベルはつい微笑ましいような羨ましいような複雑な感情を抱いた。
神から見放されたとされるラナベルと婚姻を結んでくれる者などいない、ということもそうだし、妹を救えなかった自分が誰かを愛し、愛されるという姿が想像出来ない。いや、してはいけないとさえ思う。
恋や愛や結婚というものは、ラナベルにとって遠い夢物語のようなものだ。
(でも、貴族にとって結婚というのは一種の取引や契約でもあるから……)
それを分かっているからこそ、令嬢たちはああして夢見てはしゃぐことが出来るのだろう。現実では起きえないと知っているから甘い夢を見られるのだ。
「みなさま優秀でお綺麗な方々ですが、やはり第七王子のレイシア殿下は毛色が違いますわね」
と、熱に浮かされた少女然とした瞳がふと落ち着きを取り戻した。
聞いたほかの令嬢も、熱が冷めたようなさっぱりした顔で同調する。
「たしかに見目は麗しいですが、神の権能もない方ですからね」
「やはり異国の血が混ざっているからじゃないです?」
控えめな声で慎重に発言しているが、その口許には嘲笑が滲んでいる。
聞こえてしまったラナベルの心が、ざらりとしたもので撫でられたような不快感を覚えた。
まさか殿下に聞こえてはいないかと心配になって顔を上げる。
王族はいまだ離れた壇上の上にいた。令嬢たちの声は、静かな壁際にいるラナベルが辛うじて聞き取れる程度だ。万が一にもレイシアに聞こえてはいないだろう。
両陛下の後ろに控える殿下たちは、王太子から順に王位継承権を持つ序列順に一列になっている。
末子であり、第二側妃イーレアの子息であるレイシアは、王太子ナシアスの反対側の一番隅に立っていた。
トリヴァンデス国の王族の多くは白金色の髪を持つ。しかし、異国出身であるイーレアの血を色濃く継いだレイシアは、日に焼けたような浅黒い肌と、色の抜けた真っ白な髪を持っていた。
たしかにほかの王族と並んでいると目立つ。だが、レイシアに侮蔑の目が向けられるのは、異国の血を持つ以外に権能を受け継いでいないからだろう。
ラナベルと同じように、彼も王族でありながら権能がないばっかりに軽んじられているのだ。
(自分たちはそこまで誇れるような力を持っているのかしら)
ラナベルは心の中で悪態をついた。
神と直接触れあって祝福を与えられたのは遥か太古の時代のことで、現代ではその血は薄まって権能自体の存在が危ぶまれている。
祖の人類はおとぎ話の魔法のようになんでも権能で補えたというが、今ではどこの家門も小規模かつ微力なものに落ち着いているのだ。
ときどき力の強い者が現れることもあるが、それは一時的な例外に過ぎないのである。
人を蔑むのはもちろんだが、十八を迎えて成人したばかりの青年を
(せめてイーレア様がいらっしゃれば違ったでしょうに)
内心でラナベルは同情した。
レイシアはイーレアにそっくりなので、せめて彼女がいればここまで目を引いてしまうこともなかったろうと思った。
けれど、イーレアは自身の息子――レイシアの兄であるイシティアを病気で亡くした十年ほど前から、伏せってしまって一切姿を見せていない。
そのことを思い出したラナベルは、ふと可哀想な気持ちになった。
壇上の隅で大人しく佇むレイシアが、一人ぼっちの子どものように思えたのだ。
招待客を穏やかな笑みで見つめるナシアスとは反対に、レイシアはひどく強張った固い表情だ。
緊張しているとも違うように思える。周囲を怖がっているような、警戒しているような……そんな敵意にも近いなにかが潜んでいるように感じられた。
ラナベルには、そんなレイシアの姿が子猫が毛を逆立てて誰彼構わず威嚇しているように見えた。
途端にラナベルのなかで良心がむくりと顔を上げる。
その心情を表すかのごとく、無意識に胸を張るように居住まいを正したラナベルは、まだレイシアのことでお喋りを続ける令嬢のもとに踏み出す。
「お言葉が過ぎるのではないですか?」
「え……?」
令嬢たちは目を剥いてラナベルを振り返った。なにをしても大人しかった獣が、急に人の言葉で話しかけてきたような驚きっぷりだ。
「セ、セインルージュ公女さまが私たちに何のご用でしょうか?」
動揺しつつも、その瞳にはいまだにラナベルを軽んじる態度が見える。きっとラナベルが自分への発言に対して怒りを示していると思っているのだ。
これでラナベルが自分に対して失礼だと糾弾すれば、彼女たちは諸手を挙げて「神から見放される行いをした公女が悪い。私たちは事実を言っただけだ」と高らかに叫ぶはずだ。
そうすれば、世論は彼女たちに味方する。権能とは、それほどまでに貴族の中で大きな力を持つのだ。時には爵位による序列さえも塗り替えてしまうほどに。
――しかし、相手が王族となると話は別だ。
(……私はそんなことで怒っているんじゃないのよ)
見当違いな令嬢たちの思惑に、苛立ちが大きくなった。
自分への言葉は甘んじて受け入れるが、王族相手への不敬……ましてや成人したての青年に向けた口さがない彼女たちの言葉を、ラナベルは見過ごせない。
「ここがどこだかご存じですか?」
目を
そんな令嬢たちには気づかず、ラナベルは怒りで思わず低くなった声に内心で慌てて自分を律する。
騒ぎを大きくしてはだめ。陛下たちには気づかれず、穏便にことを終わらせなくては。
万が一にも、報告と称して彼女たちの言葉がレイシアに届くようなことがあってはならない。
周囲には気取らせず、ただの歓談だと思わせなくては――。
「私と違って社交界に慣れたレディはよくご存じだと思いますが、どこに目があり耳があるか分かりません。そんなにお口が軽いと、今までいろいろとご苦労をされてきたのでは?」
お手本のようににこやかに微笑んだラナベルは、はたから見ると和気藹々に話をしているようにしか見えないだろう。
だが、その整いすぎた笑みから出た言葉に、令嬢は揃って唖然とした。開いた口が塞がらないとばかりに、耳を疑う表情だ。
そのうち真っ赤になった彼女たちがわっと声を上げようとしたので、ラナベルはを冷めた目で一瞥してからピシャンと遮った。
「そもそも王家の方々を噂するなど言語道断です。淑女として、もう少し品性というものを学んで話題には気をつけた方がよろしいかと思いますよ」
感情のままに喚くなと言う警告は、しっかり届いたらしい。
すんでのところで言葉を飲み込む羽目になり、令嬢の顔が羞恥と怒りでさらに赤くなった。
さすがにここまで言われてまで、これ以上話を続けることもないだろう。
言葉にならない彼女たちの様子に、ラナベルはもう十分だろうと判断し、「では」と踵を返した。――そのとき。
「妹を見殺しにして権能を取り上げられた方の発言とは思えませんわね!」
悔し紛れに言った一人の言葉が、ラナベルの背後から深く突き刺さった。