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第4話

 ラナベルが王宮に到着したのは、ちょうど陽が落ちて暗くなった頃合いだった。夜空にはやしきを出たときよりもいっそう重たい雲が広がっていて、いつ雨が降ってもおかしくはなさそうだ。

 雨にいい思い出のないラナベルは、気分がふさがれたようにズンと胸が重くなった。

 重い足取りで王宮の長い廊下を進んでいく。辿り着いたホールへの入場に合わせ、控えていた従僕が高らかにラナベルの名を呼び上げた。

「ラナベル・セインルージュ令嬢のご入場です!」

 ――ラナベルの名は社交界において、悪い意味で有名である。

 目が痛くなるような煌びやかなホールに足を踏み入れたラナベルに、人々の好奇な視線が突き刺さった。

 名前に釣られて冷やかすように目を向けた人々は、気だるげなラナベルの妖しい美貌に一瞬息を飲む。そしてすぐに我に返り、隣人とともにコソコソと話のタネにするのだ。

 そうやってコソコソと陰口を叩かれるのには慣れたもので、ラナベルは意に介したこともなく会場をぐるりと見渡した。

 会場にはすでに多くの招待客が到着していた。主催である国王や王族の面々がやってくるまでは各々好きに過ごしているらしい。

 そう判断したラナベルは、ちょうど通りかかった給仕からワイングラスを一つもらい、隅のほうで大人しくなる。

 アルコールはそれほど飲めるわけでもないが、手持ち無沙汰にちょうどよいのだ。

 壁際でほっと落ち着いたラナベルに、クスクスと嗤い声が届いた。

「見て。公女ともあろうお方が、あんな地味な格好で王宮に来るなんて」

 聞こえた声を、ラナベルは目だけで追いかけた。

 少し離れたところに、同じ年頃とみられる令嬢たちが数人固まっていた。

 ラナベルと目が合っても彼女たちは逸らすどころか楽しそうに弧を描くのだから、聞こえるように言っているのは明白だ。

「昔は聖女だ神の使いだと褒めそやされてましたけれど、あれじゃ見る影もありませんわ」

「しょうがないわよ。だって神さまに……しかも生命の象徴ともいうべきインゴール様から見放されたんですもの」

 ――神から見放された者。

 それがラナベルの通称であり、蔑称べっしょうでもあった。

 神の祝福による力で人類が繁栄してきたといっても、万人が平等に力を得たわけではない。その祝福を授かることの出来た一部の者が、貴族として選定されて国政を担ってきたのだ。

 つまり、貴族にとって権能――神からの祝福は、自分たちの権威の象徴であり、いにしえより続く神との繋がりを示す高貴なる証明なのだ。

 そのため貴族の中には権能を持たない平民を蔑む者もいる。なにより一度強大な力を得ながらもその後転落したラナベルへは、いっそう厳しい目が向けられていた。

 治癒の権能を失ったことは、ラナベルが神から力を取り上げられるほどの悪事をしでかした――という確固たる証拠として貴族の間に広まった。

 あの令嬢たちが悪びれもなく公女であるラナベルに陰口を言えるのは、その共通の認識があるからだ。

 神が見放したほどの人物だから、どんな仕打ちをしても許される、と。

 ラナベルが一度でも公爵家の地位を使って報復すれば、噂はたちどころに止むだろう。けれど、どんな蔑みの言葉も視線も、ラナベルは甘んじて受け入れていた。

 ラナベル自身、治癒の権能をなくしたのは自身の身勝手な行動故だと分かっているからだ。

 急事の際にはもちろん王族の元へ駆けつけるが、それ以外は決して私欲に囚われることなく平等に人々を癒やす。それがラナベルの、ひいてはセインルージュ家の役目だった。

 治癒の力をなくしたのは、それをないがしろにしたラナベルへの罰だ。

 そしてその罰は、大事な妹を失うという最悪の形で下された。

「……っ」

 刹那、脳裏にちらついたあの日の光景に、胃の底がぐっと押さえつけられたように痛んだ。

 思わずグラスを持つ手に力が入ったとき、高らかな従僕の呼び声が王族の入場を知らせる。

 途端に、歓声とともに会場には拍手が巻き起こる。

 国王たちは花道のように割れた人々の間を通り、壇上の玉座へと向かっていく。

 中央に用意された豪勢な椅子に両陛下が腰掛け、王太子を始めとしたほか王族は一歩後ろで控えている。

 国王が軽く片手をあげると、割れんばかりだった賑やかな会場に今度は一瞬で静寂が訪れた。

 次いで短く開催を宣言する国王の言葉が続き、

「今日はみな好きなように楽しんでいってくれ」

 と、締めくくられると再び会場は賑々しくなった。

 高位貴族たちは、我先にと言わんばかりに前に進み出て頭を垂れている。それを見たラナベルも、残った少量のワインを飲み干してからグラスを給仕に預け、いそいそと挨拶に向かった。

「国王陛下、王妃陛下ならびに后妃さま、王子殿下王女殿下にご挨拶申し上げます」

 ラナベルに気づいた国王は、好意的に歓迎を示してくれた。

「公爵夫人の体調はどうだ? 変わりないか?」

「はい。不安定ではあるものの、最近は比較的落ち着いております」

 これが身体の具合いではなく心の病のほうだと、会場にいる誰もが知っているがわざわざ口に出す者もいない。

 ラシナと同世代である国王からすると、昔なじみが心配なのだろう。「そうか」と頷きながらも、その瞳には一瞬だけ淋しがるような雰囲気が見えた。

 やつれたラシナばかり見ているせいだろうか。健勝な国王はラナベルの目には随分と若々しく映った。

 笑うと目許に皺が出来るが、肌はハリがあって、王妃と二人の側妃の間に七人もの子がいるようにはとても見えない。

 しかも第一王子であり王太子のナシアスは、もう二十七になるはずだ。

 つい母と比べてしまい、ラナベルは失礼にならない程度に両陛下の美貌をまじまじと盗み見てしまう。

 王族に多く現れる白金色の髪に、会場のシャンデリアの光が落ちて目が眩みそうだ。

 これが時の神クーロシアに祝福を受けた一族かと、ラナベルはその神々しさにごくりと唾を飲んだ。

 ――私の死に戻りの力は、時の神に関係のあるものなのでしょうか。

 威厳ある姿を前にふと泣きすがりたい衝動にかられた。しかし、その助けを請いたい気持ちをぐっと抑え、ラナベルは手短に挨拶を終えて再び壁の花となった。

 今日の晩餐会は厳格な食事の場ではなく、貴族同士の交流を主とした立食形式のラフなものだ。

 主催に挨拶を済ませ、招待していただいた義理を果たした今、この会場に残ってやることもない。

 適当に時間をやり過ごして帰ろう。とりあえずグラス一杯飲み干す程度の時間で良いかと、ラナベルは給仕に頼んで再びライングラスを一つ手にした。



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