後年、教団内で『
あの時のことを、俺はよく覚えていない。猛烈な頭痛を薬で抑えて無我夢中で戦った。そして誰かと一緒に敵にミサイルをブチ込んで……どうにか倒せたらしい。
傷だらけになった俺は本部に移送され一か月ほど入院してて、その間は意識がなかった。だから、あの頃のことはぼんやりとしか記憶にないんだ。
……大事なことを忘れてる気がするんだが。
◇◇◇
高校卒業後の春。
兵器開発部での献血のあと、教団本部の自室で昼寝を楽しんでいた俺は、内線電話の呼び出し音で目を覚ました。
「あ……あい……。多島。どちら様で」
相手は教団の事務方、要件は機関誌の取材だという。
言われるまま身支度をし、礼服に着替えて、取材場所へと向かった。
あの一件以降は本部で楽な仕事ばかり回されて現場に出ることも少なくなった俺は、正直なところ退屈していた。まあ、今日の取材は暇つぶしくらいにはなるだろう。
シスターベロニカと有志の活躍により、教団兵器開発部の俺への虐待行為が明るみに出たおかげで、俺の待遇はずいぶんと向上した。
胸糞悪い兵器開発部の連中とは一応の和解を見て、俺も負担のない程度には教団に貢献することになった。どのみち教団の世話になってんのはお互い様なのでな。
そんで献血の件だけど、俺様とて武器弾薬不足を嘆いていた一人だから、その材料の提供に不平を言う資格はなかろうよ。
ちなみに産みの親とはまだ面会してないし、する気もない。俺の親はシスターベロニカ、いやビクトリアただ一人だから。
◇
指定された場所は、教団職員が日頃使っているカフェテリアだった。はんぱな時間のせいで、利用者はまばらだ。レジの横には、コンビニで売ってた異界獣グッズがたくさん入荷していた。俺があの街に赴任する前はなかったんだけど。
「お待たせしました……って、なんだ呼んだのアンジェかよ」
「ちがうちがう、広報課の仕事だって聞いてない? ショウくんさんに用事あんのこちらの記者さんだよ」
シスターアンジェリカが、連れのシスターを手のひらで指し示した。
「じゃあ私はこれで。お仕事がんばってね、お二人とも」
アンジェは事務棟へと去って行った。
確かに、アンジェに記者さんと言われただけあって、そのシスターは大きな一眼レフカメラを首からぶら下げている。年は俺と同じくらいだろう。一見元気良さそうな容姿なのにツンと澄ましてるのが小憎らしい。
「どうも」
俺はぺこりと頭を下げた。
「初めまして。今日は、カフェテリアに入荷した新作ホットデリの宣伝のため、こちらにお呼びいたしました。ご協力、よろしくお願いします」
彼女はそこまで一気に言うと、頭を深く下げた。テーブルにはトレーに載った新作ホットデリが鎮座していた。教団のアイドル(唾棄)の俺様には、こういう広告塔のお仕事はひんぱんに来るのだけど、いつもの広報の人はどうしたんだろうか。
「初めまして、多島勝利です」
「はい、よく存じています」
「でしょうね。あは、広報課の人に俺、なに言ってんだ。すみません。で、いつもの広報さんは?」
「カフェテリア関係の担当が今月から私に替わりまして。今後ともどうぞよろしくお願い致します。では、早速作業を始めちゃいましょう。召し上がってるときの写真を数枚頂いて、あと軽くご感想を頂ければOKです」
「了解。……ところで、あなたと俺、どっかで会ったことありませんか?」
「いいえ。今日初めまして、ですよ」
――初めて? いや、でも、どっかで……。
「あなたのお名前は?」
「シスターハルカです。この春、新卒で教団に就職いたしました新人です。よろしくお願いします」
「そう、ですか。こちらこそ、よろしく」
どことなく、聞き覚えのある名前なのに、思い出せない。
諦めて皿の上のブツを見ると、グルグルとかたつむりの殻のように巻かれた物体が、アメリカンドッグの串に刺さっている。その物体は白い皮に覆われ、表面には虹色のストライプがプリントされている。
一見すると、食ってはいけないブツのようにも思えるが、教団が自信を持ってオススメするのだから、きっと、たぶん、おそらく、これは食べ物なのだろう。立ち上る匂いだけなら、香ばしく焼かれたソーセージのソレである。
広報課のシスターは、その怪しげなグルグルを一本手に取ると、俺に向かって差し出した。
「さあ、どうぞ」
……あれ? おかしいな……。
なんで……。
俺、前にもこんな……。
「おいしいですよ?」
「う、うん……」
彼女の手から、ソレを受け取った。
「い、いただきます」
俺は意を決して、己に与えられた使命を果たすことにした。
食用色素たっぷりで、ただちに健康への影響がなさそうなソレを至近距離で見てみると、不思議なことに気がついた。虹色を保ったままカリっと焼けて張り詰めている表面。ウォーターオーブンで加熱されてるのだろうか、焦げ目がほとんどついていない。
その不可思議な物体へと、俺は汚れ一つない真っ白な前歯を突き立てる。
瑞々しいわがままボディのように、肉汁と溶け出した脂肪に満ち満ちたソーセージ内部から、ぎゅっと押し戻される前歯。だが俺は、弾む若肌へと無慈悲に歯を突き立てる。プチッと音をたてて爆ぜる虹色の皮。その裂け目から、薫り高く熱々でジューシーな汁が口いっぱいに広がっていった。
ああ……至福だ。口腔内の火傷など些細な問題だ。
これは、まさに味の宝石 (以下略)
ウルトラジューシーで芳醇な味わいのこのソーセージが、あろうことか教団の新作ホットデリだなんて。確かにソレは、彼女の言うとおり、マジでおいしかった。リピート決定。それから二、三感想を聞かれて、写真を十枚ほど撮影して、作業は終わり。
「ご協力ありがとうございました。では、これで失礼します。勝利様」
「お疲れ様……でした」
何故か俺はそのまま、カフェテリアを出て行く彼女をずっと見送っていた。何かを思い出せそうなのに思い出せない。多分、彼女と俺には何か関係がある……はず。でも向こうは俺のこと知らないみたいだし……。一体……。
「ハルカ……カメラ……ハル…………」
俺は駆けだしていた。
シスターハルカはエレベーターホールにいた。
「待って!」
「どうされました? 勝利様」
どうされました? と言われて返す言葉もなかった。
けど、このまま行かせてはいけない気がした。
「あの……俺……」
「?」
咄嗟に体をまさぐって、
「と、ともだちになってくれませんか」
俺は買ったばかりのスマホを彼女に見せた。目下SNSのともだち登録者はシスターベロニカだけ。夜の仕事をしなくなったので、やっとスマホを持つ許可が下りたんだ。
「んっ」
彼女の澄まし顔が一瞬ひきつった。
「あの……初対面の方にこんなこと、失礼でしたか? SNS始めたばかりで慣れていなくて」
しょうがないのでスマホを上着のポケットに押し込んだ。きっと俺すごいしょげてたと思う。
「……」
困惑してるのか、複雑な表情で俺を見ているシスターハルカ。
「じゃあ、今日仕事終わってから食事でもどうですか? あの、何がお好きですか? 食べられないものとかありますか? えっと店あまり知らないから近場になるけども。ファミレスとかはダメですか? それかあなたの行きたいお店とかあったらそれでもいいんですが、タクシー代も俺が持つんで、どこでもかまわないし、いそがしかったらケータリングでも、……あの、えっと……その………………行かないで、くだ、さい」
俺はあたふたしながら、必死に彼女を引き留めようとがんばった――が。
「ぷ、ぷぷっ、あははははははは」
彼女は体をくの字に折って爆笑した。
「え? え?」
「やだー! もう耐えらんない! ショウくん必死すぎいいい!」
なにこれ。ちょっと。俺必死? え?
「あのー……あなた、初対面ってウソなんでしょ? どこで俺と会ったか教えてもらえませんか? シスターハルカ(怒)」
俺様、ちょっと、おこ。
笑いすぎて涙目になりながら、シスターハルカが言った。
「キミの顔、見るだけで我慢するつもりだったけど……。駅前の焼肉食べ放題、おごってくれたら教えてもいいよ?」
「……へ? そんなんでいいんですか?」
「もちろん!」
俺はその晩、彼女の正体をすぐ思い出した。
あの豪快な食いっぷりを見れば、ね。
ホントは顔を見せるつもりなかったらしいけど、俺がほぼ内勤になったもんだから、俺のママと相談して接触することにしたんだと。
彼女の覚悟も今となっては無用のもの、ってことなんだろう。にしたって……あんまりじゃないか。俺の気持ちはどうなんのさ……。
というわけで、せっかくの肉がのどを通らなかったよ。
かわいい裏切りの告白のおかげでさ。
ま、許すんだけど。
俺、牧師だからね。
(了)