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天使の課外活動

 軟禁三日目。早朝。


 今朝は自分の方が先に起きた。

 家の前をパトカーがサイレンを鳴らしながら通過していったからだ。

 正直言って、補充の人が心配だ。

 まだ俺が駆除していない地域はそこそこあったし、この町に出現した大型異界獣は、群を抜いてヤバいのばっかだ。

 新種までいた。あの電気を喰らうやつだ。

 幸い、俺とシスターベロニカが戦った際のデータは教団に送られているだろうから、他の職員にもフィードバックはされるだろう。だが、人の身でヤツとやり合うのは大仕事だ。

 アンモナイトにしたってそうだ。釣り役が過去何人も喰われている。未だヤツが残っていたら、それはそれで厄介なことには違いない。

 別に自惚れてるわけじゃない。だけど、目の前で死んでいった同胞をたくさん見てきた。だから、ヤバイ獣から俺がやらなきゃ、死ぬヤツが増える。

 貧乏くじだなんて思ったことはない。しんどいと思ったことならある。だけど、ここが俺の居場所だから、そこにいる仲間は、死なせたくない。

 ……あっちがどう思ってるか知らねえけどさ。俺人間じゃないし。

 俺以外の人外が、教団で腫れ物扱いされているのを知らないわけじゃない。

 恐らく俺も死なない化け物、とでも思われてるかもしれない。

 だけど、遥香は違う。

 俺の正体、分かってても、好きでいてくれる。

 だったら。


 あーあ。

 なんか急に、教団のために戦うのばからしくなってきちゃったな。勝利様は戦わなくても誰かが獣と戦ってくれるんだもんなー。俺、要らないじゃん。

 このままハルカのヒモになろうかな。

 なーんて。やっぱ俺も働かないとかな。

 技術を生かして、タケノコんちで取り立てのバイトでも……。


 んー………………やっぱイヤだな。


     ◇


 二日目の晩は、ほぼハルカ先生によるデジカメの講習会で終わった。

 ……というか、昼間整理して出て来た不要品を、ネットオークションに出品するための撮影を強制的に手伝わされた格好だったが。

 俺にとってのネットオークションは、本部にいる時たまに買い手として利用する程度で、自分が何かを出品することはなかった。

 俺が買うものといえば、仕事で使用する軍装品関係が多い。官給品は使いにくい、と小遣いであれこれ買うのだ。

 先日アンモナイトに食われ、使い物にならなくなったブーツも、オークションで購入したものだ。入手が面倒なうえに愛用していた物だったから、獣への怒りもひとしおである。

「おはよう、今朝は早いんだねショウくん」

 まだ眠そうな顔をした遙香が、二階から降りてきた。

 UMA柄のパジャマの図柄が、可愛いというよりも少々痛々しい。デフォルメ具合を加減すれば、男児用特撮怪獣パジャマぐらいにはなれたのに、と残念である。

 ダイニングテーブルの上には、昨晩夕食と共に、朝食用にと教会から差し入れられたフランスパンや粗挽きソーセージ、葉野菜類、それと俺が自分で焼いた目玉焼きなどが並んでいた。

「おはよ。朝飯用意しといたよ」

「やだあ、奥さんみたい」

「だって俺、一文字家の主夫になるんだろ? で、紅茶とコーヒーどっちがいい?」

「んじゃコーヒーで」

「はいよ」

 キッチンのカウンター越しにやりとりする俺。普段遙香が使っているのだろう、花柄のエプロンを着けて、やかんに水を入れ、コンロにかけている。こんな日常が送れるなら、きっと楽しいだろうな。幸せってこういうのなのかな、なんて思ったり。でも、そんなぬるま湯のような生活を自分が送れるのだろうか。サイレンを聞くと玄関に飛び出すくらいには戦場が染みついた俺に。

「……で、今日は何すんの?」

「梱包よ」

「梱包?」

「今朝オークションをチェックしたら、かなり入札があったから、先に梱包しとくのよ。全部代引きに設定してあるから、落札者が決定したら送るだけ」

「へ~。俺買う側しかやったことないや」

「お父さんがよくやってたから。出品目的で取材先で買ってきたグッズとかをね」

「ああー……」

 そうやって取材費の足しにしてるわけか。


 食事を終えると、遙香の宣言どおり荷物の梱包作業が始まった。とはいえ、専門的な知識や技術が必要なものでもなく、人手だけあれば済むような作業だ。

 俺が商品をビニールに入れたり、緩衝材のプチプチでくるんだりしている横で、遙香がお礼状をしこしこ書いている。大したことをしているわけではないが、遙香がいることを除いても、俺にとっては楽しい時間だった。手馴れてるわね、なんて遥香に言われたけど、それもそのはず、毎年クリスマスにもなれば、教会で大量の梱包作業を行っているのだから。

 作業が一段落する頃には、即決で落札者が決まった商品もあったので、遙香は宅配業者に家へ集荷に来るよう依頼した。

 さすがに教団の黒服がうろついていては不審がられてしまうので、一旦彼等をリビングに上げて、遙香だけが玄関で応対して無事出荷が終わった。

「みなさん終わりましたよー……って、くつろいでるし」

 遙香が荷物の世話や宅配業者の対応をしている間、みなダイニングに腰掛け、俺を含めた全員でお茶菓子を楽しんでいた。

 テーブルの端や椅子に自動小銃を立てかけている様を見た遙香は、ちょっと自分のカレシをナメ過ぎてるんじゃないの、と軽くムっとしていた。

 勝利なら、こんな至近距離に武器があったら、すぐ制圧してしまう筈、と。

「いやー……勝利様にお茶を入れて頂ける機会なんてなかなか貴重ですから……」

「なんかすみません~」

 見張りの任務を忘れ、すっかりご機嫌になっている教団兵たち。

「おかわりあるから言ってくれよな」

「あんたたち、たるんでるわよ」

「まあまあ、お前も座ってクッキー食えよ。昨日教会で焼いたやつだぞ。今お茶入れてやっから」

 俺がキッチンへ行こうとすると、遥香が、急に腑抜けられるのも、なんだかなあ……、と複雑な顔で言っていた。


 監禁三日目。夕方。

 晩飯は教会で食べなさいと連絡が来たので、一文字家での滞在は食事前までとなった。

 というわけで、遙香が記念撮影をしたいと言い出した。室内を片付け、幕を張り、照明を焚いて、さてどうするのかと思ったら……。


「ショウくん、じゃ、脱いで」

「はい??????」

「はーやーく」

「ちょ、まさか、俺のヌード撮るんか!?」

 俺は自分の体を抱き締めて、怯える小動物のような目で遙香を見た。

 三脚を立て、でかいカメラを据えた遙香は、獲物を狙うハンターの目をしていた。

 ――あの晩のように。

「違うわよ。服着てたら、キミ翼を出せないでしょ?」

「え。まあ、これだと専用の穴あいてないから破けるけど……。見たいの?」

「当たり前でしょ。はーやーく。上だけでいいから脱いで」

「じゃ、ちょっとまって」

 俺は台所に行くと、キッチンペーパー数枚と濡れタオル、そして、ほうきとちりとりを持ってきた。

「これ、どうするの?」

「すぐ分かるよ」

 Tシャツを脱ぎ、自分の周囲を見回すと、俺はう~~んと、いきみはじめた。

「ううう……ぅぅ……」

「え? え? ……大丈夫?」

 不安そうに見守る遙香。

「――くッ」

 数秒後、部屋は舞い散る羽根、そして俺の広げた大きな翼で満たされた。

「うわあ…………きれい……」

 PV撮影のように舞う、純白の羽根を呆然と見つめる遙香。

 室内が撮影用照明で照らされているので、羽根自身の放つ燐光は見えない。

「な? ほうきとちりとり要るだろ?」

「バカぁッ、こんな時になに言ってんのよ! ……たく、ムードのないやつ……」

「……なに怒ってんだ。それより、あとこれ」 

 俺はキッチンペーパーと濡れタオルを差し出した。

「床が汚れる前に、背中を拭いてくれ」

「背中?」

 くるりと背中を向けると、翼の生え際から青く血の筋が流れているはず。

 遙香は息をのんだ。

「うそ……痛くないの?」

「痛いに決まってんだろ。皮膚破ってんだから。ほら早く拭いてよ」

「う……」

 遙香は無言で俺の背中を拭き始めた。

「別に怒ったりしてないから気にするな」

「知らなかった……ごめんなさい……」

「お前のお願いなんだから、聞くに決まってんだろ? それにすぐ治るんだから、気にすることないって。な?」

「うん……」

「それよか、散らばった羽根掃除しろよ。リクエストしたのハルカなんだから」

「…………ごめん」

 遙香は俺の背中にすがって、すすり泣きを始めた。

「だーかーらー、大丈夫だって言ってんじゃん。さっさと写真撮れよ」

「ごめん……痛いことさせて……」

「だいたい、お前のためにコレ出すの、三度目なんだぞ。今さらだろ?」

「でも……」

「はーやーくー。メシの時間になっちゃうから、さっさと撮影しろよ」

 遙香はぎゅっと俺の腰に抱きついた。

「……ったく。俺、痛みには強いからこのぐらい大丈夫なんだよ」

「そうじゃない。私がショウくんを傷つけたのがイヤなの。……だって三度目なんだよ?」

「……そう、だったかな。あんときゃ骨折だったけど、今日のはかすり傷だ。それに、もーぼちぼち血が止まってきてんだろ?」

「あ、ほんとだ」

 ――ちゅっ。

 遙香が俺の肌にキスをした。

「な、なにしてるの、ハルカさん」

「私の、だよね?」

「うん。……そうだよ。俺は君のだ。キミはオレの?」

「ショウくんの、だよ」

 たまらなく胸が熱くなった。

 俺は遙香の手をほどいて振り返ると、彼女を抱き締め、翼で包んだ。

「あの時みたい」

「ああ」

「ん……」

 遙香は俺の胸に頬ずりした。

「ホントはこれやって欲しかったんでしょ、ハルちゃん」

「うふ。バレたか。でも写真も撮りたかったのはホントだよ?」

「わかってる。メシの時間になっちゃうから、ほら」

「うん。でも、あと1分だけ……」

「じゃ、5分な。ひんぱんに出し入れするもんでもないから……」

「ありがと……」

「ハルカ。俺こそ、ありがとう。許してくれて」

 俺は遙香の髪を撫でながら、幸せなひとときを過ごしていた。


 監禁三日目。夜。

 実質的には、俺らが一文字家を出た時点で監禁は終了している。

 ぶっちゃけ、来てよかった。

 俺は、遥香に、みんなに、救われた。


 だから。


     ◇


「それでは、我々が責任を持って遙香様をお送り致しますので!」

「ああ、頼んだぞ。ハルカに何かあったら殺すからな」

「はッ!」

 俺は、教会で夕食を終えた遙香を、玄関先で見送っている最中だった。

 まだ外出を許されていない俺の代わりに、先ほどまで一文字家の庭で警備をしていた教団兵が、遙香を自宅までエスコートすることになった。

 ――何かあったら。

 この言葉が、決り文句や気のせいならどれほど良かっただろう。

 じゃあね、と手を振って帰って行く遙香の背を見つめながら、俺はほぞをかんでいた。本心では、自分で護りたいと思っていた。一匹残らずこの街の獣を駆逐したい、と。

 はあ、と大きなため息をつき、自室に戻ろうと振り返ると、そこにはシスターアンジェリカが佇んでいた。

「いつからいたのさ」

「十五秒ほど前から、ですかね」

 日頃やや険のあるアンジェが、この夜は神妙な顔をしている。

「俺になんか用?」

「姐さんは以前から、教団のハンターへの処遇について少々疑問を抱いていました。でも、ショウくんさん、貴方への扱いは常軌を逸しています」

「……だろうな。で?」

「貴方は卒業まで、この街にいてください」

「……は?」

「もう狩りをする必要はないのです。ただの学生として、彼女さんと過ごすのです」

「ちょ、いきなり何だよ」

「卒業しても、この教会の一般職もしくはゲート監視員として過ごせばいいのです。彼女さんと所帯を持つのも夢ではありません」

「だから、一体何の話なんだよ、シスターアンジェリカ」

「これは、姐さんの意志だ、です」

「シスターベロニカの……」

「私も姐さんも、この教会のスタッフと教団関係者、そしていまこの街に来ている武装スタッフも、今のショウくんさんを本部に返す気はありません。――全てを知ったからです」

「ちょっと待って、何勝手なことしてんだよ。ハルカんちに閉じ込めてる間に、おまえら何してくれてたんだよ、おい」

「伝えましたよ。では」

「ちょ、……」

 アンジェは言いたいことだけ言うと、その場から立ち去っていった。

「なんなんだよ……それ」


 事の真偽を確認しようと、俺はシスターベロニカの部屋を訪れたが不在だった。

 娯楽室を兼ねた食堂に行ってシスターたちに尋ねると、補充の兵と共に異界獣掃討任務に出ているとのこと。

 肩を落として自室に戻ろうと思ったとき、ふとズボンのポケットに遙香からもらったデジカメが入っているのを思い出した。

「あのさ……写真撮っても、いい?」

「「「「は――――い♥」」」」


     ◇


 空が白み始めた頃、教会の駐車場に車が戻ってきた。

 車を降りた連中が、バタバタ物音を立てている。

 俺は一睡もせず、シスターベロニカの帰りを待っていた。

 遙香や、一般職シスターたちを撮った写真を眺めながら。

 俺はデジカメをベッドの上に放り出すと、仕事から戻ったシスターベロニカを出迎えるため、自室を後にした。

「おかえり」

 俺は、駐車場で車から装備品を降ろしているシスターベロニカに、背後から声を掛けた。

「起こしたか。済まない」

「いや……。ケガ人、多いな」

「来たばかりで不慣れな者が多いからな」

「……俺のせいで」

「持て」

 シスターベロニカが、弾薬の入ったコンテナを息子に差し出した。

「あ、はい……」

 二人でコンテナを抱えて倉庫に行くと、床のそこらに点々と血痕が付いている。

 ――いや、気付かなかっただけで、駐車場からそれは続いていたのだ。ただ、倉庫の照明で血痕がはっきりと見えただけだった。

「俺、……こんな……」

「自惚れるな、と言っても仕方のないことだとは分かっている。だが、慣れろ。護られることに」

「慣れろ、か……」

「済まない……。知らなかったとはいえ、私は教団の片棒を担いでお前をこんな体に……」

 そこまで言うと、シスターベロニカは唇を噛んだ。

「気にすんなよ。たまたまハルカと再会したせいで、ちょっと心のバランスを崩しただけだ。またすぐに戦えるようになるよ」

「お前はちっとも分かってない! 少し元気になった程度で治ったと思うなよ。想像以上にお前の体は相当ガタがきているんだ。医者が言葉を失うほどにな! これ以上脳に負荷をかけたり、重傷を負ったら……本当に壊れてしまう」

「……ごめん」

 シスターベロニカは荷物を放り出すと、俺を抱き締めた。

「頼む……頼むから、もう……戦わないでくれ、愛しい息子よ。お前はお前自身の人生を歩め。そのために私は何でもしよう。それが、私の罪滅ぼしだ」

「あんたは悪くないよ。教団に雇われただけなんだ。それより、こんなことをいつまでも続けて大丈夫だと思ってるの? アンジェにまであんなこと言って、周りも巻き込んで、俺はそんなの望んでいない――」

「では彼女はどうするんだ」

「それは……」

 プランなんてあるわけがない。そもそも今だって病み上がり、建設的に何かを考えられるほど回復してはいないのだ。

 シスターベロニカは俺を解放すると、両肩に手を置き、俺の顔をのぞき込んだ。

「とにかく、我々はこの現場の仕事を終わらせる。その後は私も休暇を取ろう。この街の近くには、いい温泉があるという。そこへ行ってみたい」

「うん……温泉好きだもんな、母さんは」

 もともとシスターベロニカは日本びいきで、米国軍人時代にも度々旅行に訪れていた。もちろん温泉も大好物である。

「とにかく、お前には休養が必要だ。学校に行って、女の子と遊んで、ぶらぶらしていろ。それが任務だと思え。いいな?」

「ちぇ……。わかったよ」

「よし、じゃあ朝飯にしよう。腹が減ったぞ」

「俺、寝不足で気持ち悪い……」

「ではスープでも飲んでいろ」

 俺の肩を抱いてシスターベロニカが倉庫を出る頃には、朝の太陽が空を赤く染めていた。


 普通の生活ってなんだろう?

 普通の生活ってどんなだろう?



     ◇◇◇



 朝食後、俺は写真撮影のため早めに教会を出た。デジカメをもらった手前、ある程度は撮影しないとまずかろう、と義務感を覚えていたからだ。

 学校へ向かう道の最初の交差点。工事したてでスベスベしているアスファルト。すぐボコボコになってしまうだろうから残す。

 路肩の紫陽花。見ごろはまだだから緑色。色鮮やかになる前にいなくなるかもだから残す。

 遠くに大きい橋の支柱が見える。歩道橋に上って、橋の全景を収めた。あの柱の上にのぼったら見晴らしがよさそうだ。

 面白い写真が撮れるかなと思い、高速道路にかかる陸橋の手すりに足をかけて逆さにぶら下がって一枚。よくよく考えたらカメラを逆さにすればいいだけだった。

 コンビニの駐車場にたむろしてる鳩を撮った。車に轢かれないか少し心配になったが、その程度で轢かれるようでは街で生きていけないだろう。

 ちょうど旅客機が飛んできたので撮影。思ったよりちっさくしか撮れなかった。こういうのは空港にでも行ったときに撮るべきだ。

 ごみ集積場にカラスが集まってたので撮った。本当は追い払った方が良かった?

 近所の人が大きい犬を散歩させてたので撮らせてもらった。

 そろそろ登校する生徒が増えてきたので、このくらいでいいだろう。


 ……面白くもなんともない写真。こんなの遥香に見せても……なあ。

 ま、学校に行ったら遥香の写真でも撮るか。


     ◇


「……んでさ、何でアンジェがついてくんのさ?」

 放課後、ファーストフード店の前で俺は毒づいた。

「いいじゃありませんか、みなさんの飲食代は教団で負担するんですから」

 一緒にいた遙香と竹野が顔を見合わせた。

「やっぱあれっすか。兄貴のボディーガードとか……」

「察しがいいですね竹野君、その通りです。彼はまだ先日の鉄砲玉から受けた傷が癒えておりません。学校外では私がお守りせよと姐さんより仰せつかっております」

(半分合ってて半分間違ってる……)

 ドヤ顔のアンジェを見て、うんざりした。

「……とかなんとか言って、期間限定のシェイクが飲みたかっただけじゃないのか? きのう食堂のテレビで見てたの俺知ってんぞ」

「はぁ? 何言ってんだコラ、ショウくんさん?」

 思わぬ身内の暴露に、俺を睨むアンジェ。

「んだコラ、ママンに言いつけるぞアンジェ」

「は、はわわぁぁぁッ」

 彼女が敬愛する、シスターベロニカの存在をチラつかされ、アンジェは狼狽した。

「そ、それだけは、それだけはあぁぁ」

 二人の漫才を傍観していた遙香がしびれを切らした。

「ねー早く入ろうよー。席埋まっちゃうよ?」

「俺、地下の席押さえときますよ。えっと俺の注文はこれで。ドリンクはコーラ」

 タケノコはポケットからクシャクシャのクーポン券を出した。

「はい、お預かりします竹野さん」

 アンジェは仰々しくタケノコのクーポンを受け取った。


     ◇


 アンジェとタケノコ、そしてハルカ。

 三人が、ドリンクやポテトを脇にどけ、俺がデジカメで撮影した写真を見て談笑している。もちろんこいつらも被写体だ。

 とても楽しそうだった。アンジェまでも。

 それを俺は、向かいの席からぼーっと眺めていた。

 ――これが、普通ってこと?

 でも何故か、自分はそこに入っちゃいけない気がしている。

 入ろうと思えば入れる。だけど、その振る舞いはシミュレーション、脳内エミュレータで作り上げた、擬似的な若者の行動でしかない。

 そんな嘘をまとってまで彼等に混ざろうとするのは、己の倫理に照らしても不誠実だという回答が出てくる。


 サシで遊ぶのには慣れている。

 休暇中は、シスターベロニカと親子水入らず、温泉や観光地などで過ごしているのだから。

 だけど、複数での楽しみ方がいまひとつ分からない。

 どう立ち回ればいいのか分からない。

 俺が複数に対応出来るのは、相手が異界獣の時だけだから。

「これから勉強しないと、かな……」

 ぽつりとつぶやいた。

「なんか言った? ショウくん」

「なんでもないよ、ハルカ」


     ◇


 夕食の時間に遅れると厨房係に怒られるので、適当に切り上げてファーストフード店を後にした俺たちは、途中の道でタケノコと別れ、遙香を家まで送り届けた。

 一文字家から教会へ戻る途中、俺は遥香のを残して写真を全部消した。やっぱこんなの、俺の写真じゃないし。

 それから、俺はアンジェに話しかけた。

「なあ、メシの後、俺とデートしない?」

「はぇぇぁッ?!」

「俺、夜の街で写真を撮影したいんだ」

「しゃ、写真ですか……」

「俺が残すべき写真、そして――俺だけが撮れる写真だ」

「お帰り、勝利。今日はいいことでもあったか?」

 アンジェリカと揃って帰宅した俺は、廊下でTシャツにパンツ一枚のシスターベロニカと鉢合わせた。

「ただいま、今起きたのか。別になんもねえよ」

「姐さん、おはようございます。今日は下校時にご学友の皆さんとファーストフード店に立ち寄った、です」

「あのシェークが飲みたかったのか?」

 アンジェリカは顔を真っ赤にして、

「あ、あ、姐さんまでッ! うわああん……」

 アンジェは手で顔を覆って、廊下をバタバタと駆けていった。

 俺とシスターベロニカは顔を見合わせ、吹きだした。

「あいつ、Lサイズ三杯おかわりしてたよ」

「なんとまあ……そんなに飲んだのか。あといくらもせずに夕食なのに」

「アンジェだってこんな仕事してりゃあ、おやつぐらい好きに飲み食いしたくもなるだろうさ」

「ん? お前たち、仲悪かったんじゃないのか?」

「悪いよ。三角関係みたいだから」

「なんだそりゃ」

「俺もよく知らん」

 シスターベロニカはお手上げポーズを取ると、スリッパをペタペタ鳴らしながら洗面所へと歩いていった。


     ◇


「よくお許しが出ましたねえ……」

「アンジェのおかげだよ」

 俺とシスターアンジェリカは、軽めの武装で夜の街に繰り出した。

 自発的に、仕事以外の事をやりたいという俺の要望、そしてアンジェの後押しが、俺の撮影散歩を可能にした。

「ねえ、なんで応援してくれたのさ」

「それは……姐さんの喜ぶ顔が見たかったからだ、です」

「アンジェと母さん、どんな関係なの?」

 彼女はうつむき、数瞬おいてポツリと言った。

「……今は、言いたくない、です」

「そか。じゃ、聞かない」

「ども。……で、何を撮影するんですか」

 俺はちらと暗がりに視線を投げた。

「自分の歩いてきた場所の記録。……やっぱ俺、知らないものは撮れないよ」

「そうですか。……了解しました。全力で援護します。それは私も同じですから」

「同じ?」

「貴方と同じように、闇を歩き、陽の元では己を偽る」

 アンジェはニヤリと笑った。

「バレてたか。食えねえ女だな、あんた」

「行きましょ。サイレンが呼んでる」

 俺は彼女の肩をポンと叩いた。

「おう。頼むぜ、相棒」

 アンジェは黙って頷いた。


     ◇


「あんた……言い残すことはあるか」

 夜の街で、下半身を食いちぎられた瀕死の市民を見つけた。

 高速道路の高架下、人気の無い資材置き場に彼はいた。

「……」

 もう、声を発することも出来ないようだ。

 気の毒な被害者に引導を渡すため、俺は銃で心臓を射抜いてやった。顔はキレイなまま残してやりたかったから。

 息を引き取ったあと、俺は被害者の目蓋を手のひらで閉じた。

「遺族には見せられねえな……」

 そう口では言いながら、俺は死体をカメラに納めた。

 俺は、被害者の顔は写さないよう注意して撮影した。

「これも撮るんですか」

「そうだ。これも俺の日常だから」

「……遺体処理の依頼をしておきます」

「ああ、頼むよアンジェ」

「ん、誰だ!」

 俺は何者かの気配を察知し、振り返った。

「お勤めご苦労様です、多島君」

 暗がりから、声に聞き覚えのある男性が現れた。

「あ、なんだ先生か」

「こんばんは。ちょっとコンビニに行った帰りに、嫌な気配を感じたもんだから来てみたら、君たちがいたってわけだ」

「すまない、もう遅かったよ……。食ったやつはどっか行っちまった」

「そうか……。この人、看取ってくれたんだろう? お礼を言うよ。はい、これお二人でどうぞ」

 教師はコンビニ袋の中から板チョコを二枚取り出すと、俺に手渡した。

「まあ……あ、ども。ゴチなります」

「自分の領域も守れないなんて、ホント、土地神やってるのイヤになっちゃうよ~。こんなこと教団の方に言うのはなんだけど……。それじゃ、お邪魔したらいけないから僕は行くよ。二人とも、気をつけてね。バイバイ」

 ひらひらと手を振って、長身痩躯の担任教師は再び闇の中に消えていった。

「あれが……先生?」

 警戒を解いたアンジェが尋ねた。

「そ。俺の担任で、ここいらの土地神なんだと。お社を再開発で壊されちまって、再建費用を稼ぐために、教団に頼んで雇ってもらったって言ってた」

 俺はもらった板チョコを一枚、アンジェに差し出した。

 彼女は受け取りながら微妙な顔で言った。

「神様の世界も世知辛いんですねえ……」

「俺もそう思う」

 二人そろってため息をついた。

 獣の気配をまったり追いつつ、二人で夜の街を徘徊していると、日付が変わったあたりで教会からアンジェに連絡が入った。

 丑三つ時になる前に、そろそろ引き上げろということだ。迷信はともかくとして、夜の力が満ちるのか、真夜中の獣はとても元気だ。

 俺の体のことを考えれば、面倒に巻き込ませるわけにはいかないと、アンジェは渋る俺をを引っぱって教会に帰った。


     ◇


「ただいまー」

 俺たちが教会に戻ると、食堂の方から物音がする。

 覗いてみると、見慣れぬ中年男性のハンターが、シスターと話をしていた。会話から察するに、彼の名は村上というらしい。

 あれから結構な数の補充人員がこの街に来ているが、一体どっから集めてきたのやら。ウチのママが本気出したってことなのかな。……で。

 さすがに教団兵=正規部隊では力不足だと思ったか、本職をやりくりして送り込んだと見える。だが。

「やあ、こんばんは、勝利君」

「こんばんは、村上さん。……負傷されたんですか」

 シスターの背中で見えなかったが、近寄ってみると、彼は傷の手当てを受けている最中だったのだ。そういえば、薬品の臭いがしていた。

「ああ、大丈夫だよ。かすり傷だから、一服したらまた現場戻るよ」

「そうですか……」

 しんみりしていると、アンジェに肘で小突かれた。

 自分を責めるな、と彼女の顔に書いてある。

「いやあ、ボクがお休みだから、おじさんお給料増えて助かるよ~」

「…え?」

「おじさんも色々物入りでね、だからボクは気にせずゆっくり休んでいるといいよ」

「はい、ありがとうございます」

 ほとんどのハンターが金のために仕事をしているのは分かっているが、それでも誰かがケガをするのは見ていてつらい。

 日頃シスターベロニカ以外と仕事をすることが余りない俺にとって、ケガをするのは己だけだから。

「教団はいいよなあ。おじさん、ここで勤めてまだ日が浅いんだけど、べっぴんさんに身の回りの世話してもらって、金までもらえる。軍隊より何倍もいいじゃない」

 うごかないで、と手当中のシスターに怒られる村上。

「でも、危ないでしょ」

「あ~。相手が人じゃない方がおじさん、気が楽なんだよ。アフリカとかもう疲れちゃったしさ」

「うう~~ん……」

 それはそれで、村上氏の前の職場はずいぶんと悩ましい所だったようだ。どちらが危ないとは、一概には言い切れない。人間、死ぬ時は死ぬ。

「ショウくんさん、お邪魔したら悪いからお部屋に戻りますよ」

 アンジェが俺の袖を、きゅっきゅと引っぱった。

「う、うん。それじゃあ村上さん、お大事に」

「はい、おやすみ。ボクもゆっくり休んで元気になれよ」

 村上は破顔しながら、俺の頭を手のひらでぽんぽんと軽く叩いた。

「ありがとう、おやすみなさい」


 廊下に出た俺は、ぽつりと呟いた。

「教団って、そんなに居心地のいい場所なのかな……」

「それは、人によりますよ」

「アンジェは?」

 彼女はしばし思案して、問いに答えた。

「会いたい人に会えたから、きっといい所なんだと思います」

「それってもしかして――」

 何かを察したのか、アンジェは、

「じゃ、今夜はこれで!」と、逃げるように自室へと去っていった。

「ふう……。ま、いいけどさ」

 アンジェを見送った俺も、己の部屋に戻っていった。


 ――今、一体何人で現場を回しているんだろう。

 あまり足りているとは思えないが……

 休めと言われても、やはり不安だった。

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