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天使の休日

 だが、ママのお仕置きはなかった。

 俺はまっすぐ病院に連れて行かれてしまったんだ。

 どうやら俺は、壊れてしまったらしい……。

 まあ、そうだろうな。



     ◇◇◇



 俺は廃病院から戻って、その日の晩のうちに教団直営の病院に入院し、翌朝に脳を始めとする検査を受けた。その後、俺と保護者のシスターベロニカは、診察室で主治医からの説明を受けることになった。俺の頭はいろいろ酷使し過ぎて傷だらけだそうな。

 横に座ってぼんやり話を聞いていた俺は、狩りを休めと言われてひどく項垂れていた。しかし、あんな不始末をやらかしては、イヤだとも言えない。言われたとおり、病院で大人しく療養するしかないだろう、と諦めていた。

「この後、僕はお母さんとお話があるから、勝利君は病室に戻っていてください」

「はーい……」

 気の抜けた返事をすると、俺はスリッパをぺたぺた鳴らしながら自分の病室へと戻った。


 遅れて病室に戻ったシスターベロニカが、俺に語りかける。

「そんなに落ち込むことはないだろう? 具合が良くなったらまた仕事に戻ればいいだけじゃないか」

「だって……」

 俺が診察を受けている間に遙香が見舞いに来たようだ。花瓶に花が生けられ、テーブルの上にメッセージカードが置かれていた。だが、俺はそれを手に取って見る気にはなれなかった。どうせ、よりを戻したいと書いてあるに決まっている、と。

「ところで、昨夜のことだが……覚えているか?」

「ああ。忘れるわけないよ……」

 ちら、と母の腕を見る。

 シスターベロニカの左腕は、新品の義手で普段どおりに戻っていた。

「腕のことではなく、その前だ」

「前?」

「何故、錯乱していたのか、だ。作業途中からお前は無線に応答しなくなり、呼吸が荒くなったり、うめいたり、うわごとのように何かをぶつぶつ言ったり、叫んだりわめいたり。あの場所で、一体何があった」

 俺は口ごもった。

 遙香のことを考えて、考えて考えて、痛みに苦しんで、そして壊れて狂って、なぜかハイになって、そして暴れて――――。

 こんな恥ずかしい本当のことなんて、どうして母親に言えようか。

「………………」

「私が優しいうちに吐かないと、分かってるな?」

 シスターベロニカは、俺の顎をつい、と持ち上げて、射るような目で見た。

 彼女の青い瞳が、冗談を許さない空気を醸し出している。

「……ごめんなさい……」

 俺は不覚にも、ぽろぽろと涙を零した。

 子供の頃から厳しく躾けられているので、シスターベロニカには逆らえないのだ。

 ヘビに睨まれたカエルの如く、身動きの出来ないまま、洗いざらい白状せざるを得なかった。

 考えてみて欲しい。

 思春期の男子が、惚れた腫れたを保護者の前で吐き出すなんて、どれだけの苦痛だったかを。部屋のエロ本が暴かれるより千倍恥ずかしい。

 ……ところが、彼女の反応は俺の予想と違っていた。

「誰がお前にキラーマシンになれと命じた? 私はそんな事を言った覚えはないぞ」

「……はい? いやでも、俺の仕事は害獣駆除でしょう? 何か問題でも……」

「このバカチンが!」

 言うと同時に、俺は頭をゲンコツで殴られた。

 シスターベロニカ、今時日本人でも言わないような怒り方をする。

「いたいっ。なんでぇ……」

「お前は今まで通り、そこそこ仕事をして、そこそこに遊んでいてくれれば良かったのだ。それに、私はお前に異性交遊を禁じた覚えはないぞ?」

「え? え? そんなダラダラした生活で良かったの? 聞いてないよ」

 恨めしげにシスターベロニカを見ると、彼女は申し訳なさそうな顔で言った。

「特に言う必要がないと思っていたし、今まで支障も出ていなかったからな」

「ま、まあ……確かにそうだけど……。俺もずっと不自由なかったし」

 俺が遙香に再会するまでは、確かに俺の仕事にも生活にも、全く支障がなかった。冗談抜きで、全く不満も一切なく、それなりに生活してきたのは間違いない。

 だが――。

「良く聞け。お前は記憶障害が原因で、メンタルがとうふで不安定なのだ」

 俺にとっての記憶障害とは、機械を使って地形を覚えると、トコロテン式に別のことを忘れてしまう例の症状である。

「メンタルが弱い? この俺が? まさか~」

「冗談ではない。お前にそう自覚させぬよう、我々が配慮していたのだ」

「配慮、ねえ……」

「我々は、お前にストレスを与えぬよう、余計な情報を見聞きさせぬよう気を遣い、メンタルを良好な状態で維持してきた。多大な犠牲を払ってな」

「……………………」

 多大な犠牲。まあ、そうだろうな。

「なのにお前ときたら、勝手にJKに熱を上げて、勝手に自分を追い込んで、勝手に病んで、勝手に恋人を泣かせて、勝手に親を心配させて、どれだけ周りに迷惑をかけたと思ってるんだ、バカモノめ」

「は? は? え? 俺が全部わるいの? なんで? ホワイ?」

「ま、まあ、こちらにも非はあるが……。だが思い込みが激しいにも程がある」

「だってぇ……」

(いや、あの設定なら誰でも病むってば!)

「一体、何をどうしたら、お前の居場所がなくなるんだ。狩りをする前からお前は教団にいたではないか。狩りが出来ようと出来まいと、お前は教団の子供、居場所に変わりはない。それに……」

 シスターベロニカは、口ごもった。

 普段はっきりした物言いの人物がめずらしい。

「それに?」

「……万が一、教団に居場所が無くなったら、お前の居場所くらい私が作ってやる」

 シスターベロニカは少し恥ずかしそうに言った。

「なに、照れてるの」

「……べつに」

 彼女はぷい、と向こうを向いてしまった。

 俺はベッドを回り込んで顔を覗き込んでやった。

 ――真っ赤だった。

「ど、どうしたの?」

 シスターベロニカは無言で俺を見つめた。

 そして十秒ほどして、口を開いた。

「まさか、女を捨てたこの私が、よりによって天使の親になるとは……。どういう冗談なのか、全くもって今だに信じ難い」

「イヤ……ですか。人の子じゃないのは」

「やはり忘れているのか。お前を引き取った時の事を。イヤなら最初から養子にしてないだろうに」

 シスターベロニカは、少し残念そうに言った。

 俺は、はにかむことしか出来なかった。

「遙香だけではない。私も見ているのだよ。幼い頃の、翼を広げたお前の姿を」

 そう言って、シスターベロニカは俺をベッドから軽々と抱き上げ、高く掲げた。

 成長した現在でも、シスターベロニカの身長は俺よりずっと高い。

「あの日、ブラザーが私に言った。教団の宝を貴女に託します、と。私は、とんでもないものを預かってしまった、と責任の重さにおののいた。物陰からお前の姿を見て、こんなにも神々しく、可愛らしい生き物が本当にいるのか、と我が目を疑った。ブラザーは私の心を察したのか、あの翼は造り物ではありませんよ、と囁いたが、そんなものは見れば分かる。なぜなら、お前は己の翼で羽ばたいてみせたからだ。そして私は、翼を広げたお前をこんな風に抱き上げた。淡く光る真っ白な翼に風を受けて、お前はとても嬉しそうだった。その時の笑顔が今でも忘れられない」

 シスターベロニカは、興奮気味にそこまで一気に語ると、息子をベッドの上に降ろした。そして俺は、そんな大切なことを忘れてしまった自分が、とても情けなく、悲しかった。

「宝……って、聞いてないよそんなの……」

 自分はなんてバカなのか。居場所がなくなるのが恐いから、必死に遙香のことを忘れようとして、必死に狩りをしてたんだ。なのに、無くなる心配がないのなら、そんなことで発狂する必要なかったんだ。

「ごめんなさい……覚えてなくて」

「構わんさ。何度でも語って聞かせてやる。お前は私の宝だ。お前を心から愛している。忘れずに、お前の長期記憶脳に焼き付けろ」

「……はい。母さん」

「人前ではやめてくれよ。恥ずかしいから……」

 俺は思わず両手を差し伸べていた。

 指先に触れるシスターベロニカの亜麻色の髪は柔らかく、繊細だった。

 そして、彼女の白い頬を撫でた。

 ――今度こそ、忘れるものか。

 俺達は抱き合った。子供の頃のように。

 しばらくして、シスターベロニカは、ひどくバツが悪そうに俺を戒めから解くと、ポケットから何かを出してきた。

「ほら、書いておいたぞ。学校に持っていきなさい」

 シスターベロニカが、写真部の入部届を俺の前に差し出した。

 細かく折りたたんだシワも、アイロンでもかけたみたいに綺麗に伸されている。

「でも俺、入部する気ないし……」

「しろ」

「……え?」

「お前は今日から当分のあいだこの街で休暇を取れ。仕事の方は心配するな。補充要員の手配もしてある」

「でも、アンジェリカが精一杯だったんじゃ……」

「お前は重傷なんだから、要るものは要るんだ。無理にでも寄越してもらうまでだ。それに、仕事をしたり、ガールフレンドと会わないことでお前のメンタルがダメになるくらいなら、いっそ遊んでいてくれた方が、我々にとっても都合がいい。だから休むんだ。いいな?」

「そ、そんな急にムチャクチャなあ……」

「いいからママの言うことを聞いて、おとなしく乳繰り合っていろ!」

「……はい」

 これは従う他はなさそうだ。


     ◇


 ――にしても。仕事より俺の精神衛生の方が大事って、今さらだよな。

 それに……。今さら、遥香となんて。今さら……だよな。


 入院三日目。朝。


 本部から、よくわからない薬が届く。気分は落ち着くけど、なんだかすこしぼーっとする。こんなの、脳に効くのかな……。

 遥香からの手紙、読めずに放置してる間に、あいつが見舞いに来た。

 どんな顔すればいいのかわからないから寝たふりしてた。

 手紙の封が切られてないのを見て、あいつは黙って持ち帰った。

 背後でクシャッと音がした。

 やっぱり、悪いことしたのかも、と胸が痛んだ。そしたら同時に、頭もズキッと痛んだから、これはやっぱりいけないことだったんだ、って、思った。

 俺、遥香と一緒にいていいのか、まだわからない。

 わからないから、来て欲しくなかった。

 頭がしゃっきりしてたら、きっとあいつのこと、追い返してたかもしれない。

 そしたら、病室で泣かれてしまうだろう。

 だから、今はぼーっとしてて、よかった。

 あまり返事が出来ないのも、

 顔を見られないのも、

 ぜんぶ、

 具合とか、薬とかのせいに出来るから。

 もう少し面倒事を先延ばしに出来るから。

 いま全てをハッキリさせると、多分また、俺が壊れるかもしれない。

 だから。


     ◇


 入院四日目。朝。


 朝食後、退院となった。

 薬をたんまり持たされる。うんざり。


「お世話になりました、先生」

「っしたー」

 俺はシスターベロニカ共々、主治医の新見に頭を下げると、病院の玄関先に横付けした教会のワンボックス車に乗り込んだ。運転席にはアンジェリカが座っていた。二人が乗り込むとすぐ、車は発進した。

「寄りたい場所はあるか?」

「別に……。コンビニならすぐ近くだし、いいよ別に」

「本当にいいのか? 休みは長いぞ」

(なんなんだ? ……まあ、心配してるのかな)

「大丈夫だから。近所ぐらい一人で行けるし」

「わかった。アンジェリカ」

「あい、姐さん」

 アンジェリカはタイヤを鳴らし、急にハンドルを切った。

 俺は後部座席で、左から右へと振り回された。

「ちょ、なにしてんだアンジェ! 危ねえだろ! つか教会あっちじゃ」

 俺は背中越しに怒鳴りつけた。

「いいんだ、こっちで」とシスターベロニカ。

「はあ?」

 アンジェリカは『姐さん』の命なのか、無言で運転している。先ほどから、ずいぶんと乱暴な運転である。

 その後数分で車は停止した。

「ちょ、ここ――ハルカんちじゃん!! 何企んでんだよ、二人とも!」

 ガラッと後部座席のドアをベロニカが開けると、身をかがめながら車外へと出た。そして、息子に手を差し伸べ、降車を促した。

「さあ、降りろ。薬は忘れるなよ、勝利」

「降りないー、俺降りないからー」

 反対側のドアも開き、アンジェリカの蹴りが飛んできた。

「降りろ! ショウくんさん! 姐さんに手間かけさせんじゃねえ、ですよ!」

 片方からは手を引っぱられ、もう片方からは蹴りを食らい、俺は渋々車外へと出た。

「はい、降りましたよ。っていうか病人にする行為? ソレ」

 ぶつくさ毒づいていると、いつのまにかアンジェリカが一文字家の呼び鈴を押し、インターホンに話しかけている。明らかに自分と遙香を面会させる気だ。

「やめろ! 俺そういう気ないから! つか走って帰るから、呼ぶなよ! どうせアレだろ、ハルカに頼まれたんだろ! ふざくんな! 勝手なことしやがって!」

「頼んだのは我々だ」

 言うなり、シスターベロニカは俺を肩に担ぎ上げた。

「わっ、やめっ、降ろして」

 じたばたと暴れる。

「大人しくしろ!」

 スパーンッ! 俺はママに尻を叩かれた。何年ぶりだ?

「ひいッ!」

 一文字家のドアが開いた。呆れた遙香が開口一番、

「おはようございま……!? ショウくん、どうしたの!」

「おはよう、遙香君。約束どおり愚息を連れて来た。よろしく頼む」

「た、助けてぇ~……」

 シスターベロニカの肩の上で、俺は力なく足をふらふらさせている。

「ダメだ。貴様はこの連休、一文字家で預かってもらうことになった。観念しろ」

「ど、どうぞ」

 遙香は少々引き気味に、シスターベロニカ一行を自宅に招き入れた。

 ドサッ。バタン。

 シスターベロニカは、俺を玄関に放り込むと、間髪入れずにドアを閉めた。

「いっててて……、ちょっと何すんだよ! 俺は帰るぞ!」

 ガチャガチャ……。

 俺はドアノブを動かすが、ドアは開かない。

「ムダよ」

 背後から冷ややかな声で言う遙香。

「そういう、契約なの」

「契約もヘチマもあるか! 俺は帰る!」

 二度ほど体当たりをし、三度目のアタック直前、ドアが開いた。

 そこには、玄関先に倒れ込んだ俺へと銃を向けるアンジェリカがいた。

「人様んちのドア、壊すな、ですよショウくんさん。さ、戻って」

 這ってでも逃げようとする俺の視界に、門の外から自動小銃を向けるシスターベロニカの姿を認めた俺は、地面に這いつくばったまま、バックでゆっくりと家の中に戻った。

 ――ガチャリ。

 俺が屋内に戻ると、遙香はドアを厳重に施錠した。二重鍵だけでなく、チェーンまでかけてある。

「なあ、契約ってなんだよ」

 廊下に座り込み、不貞腐れ気味に遙香に尋ねた。

「連休中の三日間、ショウくんを預かるのと交換条件で、お父さんを探してもらうの。ぶっちゃけ、もう半分ぐらいは足取りが掴めているらしいわ。教団のネットワークってすごい。それと――」

「それと?」

「キミのリハビリ。傷んでるんでしょ? 脳味噌」

「あ、ああ……」

 俺は己の額に手を当てた。

「なんでハルカんちにいるとリハビリになるんだよ」

「さあ。とにかく、連休明けまでは、うちから一歩も外に出られないから。間違っても出ていこうなんて思わないことね。ロクなことにならないわよ」

 心なしか、言葉の端々にトゲを感じる。

「んなことあるか」

 俺はぶつくさ言いながら立ち上がると、勝手知ったる一階リビングに入っていった。サッシを開けて庭に脱出してやる。

「やめた方がいいわよ。センサー貼ってあるらしいから」

 ビイイイイイイイイイッ――!

「……って、間に合わなかったか」

 リビングで喉元にナイフを突きつけられている俺と、突きつけている教団兵士たちの前に遥香がやってきた。

「だから言ったのに」

「……クソッタレ」

 遙香の姿を認めると、兵士たちはリビングの窓辺を手早く掃除し、静かに庭へと出て行った。

 庭に出て行った教団兵士が、外側からガタガタと一階の雨戸という雨戸を閉めている。俺に逃げられないようにするためだろう。

 遙香は薄暗くなったリビングに灯りを点けた。

 いま明かりが差し込んでいるのは、キッチンの窓や、リビングに隣接した一文字氏の書斎にある、格子のはまった窓からだけである。

 不貞腐れた俺は、リビングの床の上にあぐらをかき、さっき自分が開けた窓の前で、ガラス越しに雨戸と、その内側に張った蜘蛛の巣とその主を、ぼんやりと眺めていた。俺の気分はまるで、虜囚りょしゅうだ。

「ショウくんさ」

 遥香が背後から声をかけてくる。

「何」

「キミも言いたいこと山ほどあるだろうけど、こっちの言いたいことも聞いてくれるかな」

「……聞くかどうかは置いといて、ここはお前んちだろ。勝手にしゃべればいいじゃないか」

 遥香にというより、独り言のように呟いた。

「あくまでも、そういう態度取るわけね」

 聞えよがしに大きなため息をつく遥香。百人が百人、死ぬほどうんざりしてると感じるような声音で。

「どうして?」

「何が」

「つい何日か前まで私達、好き合ってたじゃない。どうして急に捨てたの?」

「家庭の事情で……」

「お母さんは、息子と付き合ってくださいって私に言ったよ!」

「うう……なんてことを」

「家の事情クリアしてるじゃん!」

「怒鳴らないでくれ……頭に響く……」

 こめかみがズキズキして頭を抱え込んだ。

「悪いけど十年も探した相手が目の前にいて、黙ってられるほど私は大人しい女じゃないの。キミの複雑な境遇に同情もしてます。でもね!」

 そこらに置いてあるペットボトルのキャップを乱暴に開けて、遥香はなにかを飲み下した。

「二度も私を救って、忘れて、殺しかけて、そして愛し合った相手に、関わるなと一方的に言われて出来るわけないでしょう?」

「それはそっちの都合だろ。こっちにも事情あるって分っててまたそれ俺に言うの」

 俺とあいつの間に、しばらく沈黙が続いた。

「――私のこと遠ざけたの、ホントは私のこと心配してくれてたからでしょ。前もそうだったじゃない。お母さんも、もう戦わなくていいって言ってたじゃない」

「……」

「怒ってないよ。だから、もどっておいでよ。ショウくん」

「……」

「ショウくんが具合悪くなった原因、多分私にもあるんでしょ。いまは病気治すことだけ考えようよ。ね?」

「頼むからほっといてくれ!」

「ご、ごめんなさい……追い詰めちゃったかな……」

 俺のキツい物言いに、さすがの彼女も唇が震える。

 余裕がなくて、好きな子をカジュアルに傷つけてしまう自分が本当にイヤだ。どんなに突き放しても、突き放しても、歩み寄ろうとしてくれる、愛しい彼女を傷つけるポンコツな自分が。

「いや、あの……俺も、ごめん」

 俺は大きくため息をつくと、くるりとその場で遥香の方へ向きを変えた。

 おそらく俺はひどく苦しそうな表情をしているだろう。だからうつむいて彼女と目を合わせなかった。そんなん好きな女に見せたい顔じゃないし。

 遥香も俺の前に座った。

「あのさ、俺……すごく普通じゃないっていうか……、今まで普通の人には理解しにくい生活してたから、だから……いろいろうまくいかないっていうか……」

「うん」

「極端に狭い環境だったというか……」

「うん」

「というか、そこしか、教団しかなかったんだ。居場所が」

「うん」

「普段あまり意識しないように周囲が気を遣っててさ、俺が生体兵器だってこと」

「ッ……」

 遥香は膝上の両の拳を握りしめた。

 恋人の口から聞くには、あまりに酷い言葉だろうさ。

 生体兵器、だなんて。

「俺はべつに……誇りを持って仕事をしてたし、こないだお前が言ったように、多少は楽しんで仕事してる時もあったよ。――他に楽しみもないしさ」

「そう……」

「こんな身の上じゃ外に友達を作ることも出来ないしさ、おれ教団の広告塔にもなってるから、教団内じゃ気安く近寄ってくる同年代の奴もいない。正直、シスターベロニカ以外に信用出来る人間は一人もいない」

「……」

「それでも、今までなんとかやってこれたんだ。実はものすごく危ういバランスの上でだったけども」

「私、のせいで、それが……」

「ああ。お前のせいでな」

「ッ――」

 俺は落ちる前髪の隙間から遥香の顔をちらと覗いた。

 彼女は唇を歪め、祈るように両の手のひらで口元をふさいでいた。大きな瞳が涙を湛えている。そんな顔、させたくもないのに……。

「……でも、それを責める気はないよ」

「ショウくん……」

 遥香は少しだけほっとしたように見えた。

「俺、脳がちょっと壊れてて、今までごまかして仕事してたんだけど、お前のこと思い出せなかったりとか、自分の記憶とか教団がいろいろおかしいのに気づいてしまって……それで……冷静に行動できなくなって、怪我したり死にそうになったりしてて……」

 そして俺は大きなため息をついた。

「それで、ホントに申し訳ないと思ってるんだけど、俺にとってハルカは……あの……すごく言いづらいんだけど……かなり迷惑な存在になっちゃったんだ……」

「私のこと、嫌いになった?」

「そっちこそ、なんで嫌いにならなかったんだよ。あれだけのことされといて、おかしいだろ?」

「ちゃんと答えてよ。質問に質問で返すとかないから」

「ごめん…………。ハルカのこと嫌いになるわけないじゃん。……だから俺、壊れたのに……」

 嫌でも肩が震えてしまう。

「……ごめんね、ショウくん」

 ううん、と俺は頭を振った。

「俺、教団に居場所がなくなるのが恐かった。お前と出会って、俺、何もかもうまくいかなくなって、どうしようもなくなって、ヤケになって、お前のことホントに忘れようと思って、それでおかしくなって、もう……」

「……うん」

 遥香はそっと俺の手を握った。

 俺は拒まなかった。

「それに、知らなかったとはいえ、十年もの間お前んちにすごい迷惑かけたし、お前のこと二度も殺しかけたし……もう、一緒にいたらいけないって……。だから、あの晩も言ったけどさ……、俺もう本当に限界で。どうしようもなくて。本気で、迷惑だったんだよ。もう病院にも来て欲しくなかった」

「ごめん…………」

「どうしてほっといてくれなかったんだよ。お前だってひどい目に遭ったじゃんか」

「――勝手なこと言わないでよ」

「分かってるよ、自分が無責任だってことぐらい」

 遥香は小さく頷いて、握った手に力を込めた。

「ずるいよ……一人で勝手になんでも決めて……」

 俺を責める声が、細く、震える。

 俺は握った遥香の手に、反対の手をそっと重ねた。

 触れあうことがあんなに嬉しかったのに、今ではすごく苦しい。

「………………あのさ。いま俺、どうしようもないくらい、いろいろぐちゃぐちゃでさ。その……いきなり医者や親に当分休めとか言われても、どうしたらいいのか分からないんだ。どうしたら元に戻れるのか、目処が全く立ってない」

「うん……」

「そんでさ……心の平静を取り戻そうとすると、どうしてもお前が……。ハルカが、お前を好きな気持ちが俺の心をかき乱すんだ。その度に、頭と胸が痛くなって……薬飲まないとダメで……でも飲むとぼんやりして……だから、昨日お前が見舞いに来たとき、何も言えなかったから寝たふりしてた。すごく具合い悪くて、手紙も読めなかった……ごめんよ」

「……ごめんなさい、私……」

 遥香は、手前勝手に怒りを募らせていたことを反省したのかもしれない。 

 俺は彼女と目を合わせることも出来ず、しばらく床を眺めていたけど、顔を上げて遥香を見た。

 彼女の頬を、大粒の涙が濡らし、顎先から胸元に滴り落ちていた。

 俺も唇をへの字に曲げて、泣きそうなのを必死にこらえた。

「だから俺、すごく苦しいんだよ。つらいんだよ。痛いんだ。医者や親に、いきなり休めだなんて言われて心の支えがなくなって、どうやって生きたらいいか分からない。パトカーのサイレンが聞こえると、装備品担いで現場に出なきゃって焦るんだ。狩らなきゃ教団に居場所がなくなる、そう思い込んでたから。俺……こんなんだから、自分のことで精一杯で、治るまでお前と付き合ってる余裕ないんだ。大事にしてやれる余裕がないんだ。お前のこと好きだから、また傷付けたくないから……だから……ごめん……」

 俺は、差し込むような痛みで、胸を押さえてうずくまった。

「ショウくん、だいじょうぶ?」

「……いたい……よ、ハル……ぅ」

「ん……だいじょぶ、だいじょぶだよ……ショウくん」

 遥香は膝立ちになり、俺の頭を胸にうずめて抱いてくれた。

 俺が小さくうめくたび、遥香は俺の髪を静かに撫で付けた。

「あの時も、いたいよ、いたいよって言ってたよね。園庭から担架で運ばれてった時のこと、今でもたまに夢に見てるよ」

「俺の代わりに、……覚えててくれたんだな」

「かもね」

 俺は遥香の胸に顔をうずめたまま、彼女の腰に腕を回した。

「ありがと……。少し、楽になった」

「お薬飲む?」

 遥香が言った。

 俺は、うん、と頷いた。

「俺、どっか間違ってたのかな……」

「……え?」

「お前のこと、忘れようとすると苦しくなる。今までずっと忘れてたのに」

「もう忘れないようにってことじゃない?」

「そう……なのかな……」

「そうだよ」

「俺、教団以外に居場所がない。そう思ってた。俺が育った場所だから。……だけど、シスターベロニカは、たとえ狩りが出来なくなっても、お前の居場所ぐらい私が作ってやる、って言ってたんだ……でも……」

「このままうちにいたっていいんだよ。ショウくん一人ぐらい私が養ってあげる」

「え? ……マジ?」

 俺は遙香の顔を見上げた。

「マジ」

 しばし思案して、俺はゆっくり口を開いた。

「んー……………………、ヒモにしてくれる?」

 彼女はいささか邪悪な笑みで応えた。

「そのかわり家事やってよね」

「主夫か。……うん。俺、料理勉強するよ」

「ニシシ……これで、ショウくんは私のものね」

「うん」

 遙香は、俺をぎゅっと抱き締めた。俺は遥香の匂いを少し楽しんでから、仲直りの口づけをした。

 ――ヒモって何すればいいのかな。

 あとでネットで調べるか。

 ……でも、俺に違う生き方なんて、出来るのかな。

 殺戮のない世界で生きるなんて。


     ◇


「どこに行かれるのですか、勝利様」

 一文字家の玄関ドアを開けた途端、鼻先に銃口が複数出現した。

 軟禁初日の晩、リビングで遙香とテレビを見ていた時、サイレンを鳴らしたパトカーが一文字家の前を通過していった。

 その瞬間、俺は弾かれるように玄関に飛び出し、急いで鍵二つとチェーンを解除して外に出ようとした。体に染みついた習性が、落ち着くことを許してくれない。

「だって……獣が……」

「それは我々の仕事、勝利様の現在の任務は休養です。どうぞお戻りを」

 闇の中から姿を現したのは、普段の俺と同じ、黒ずくめの戦闘服を纏った教団兵たちだった。


 俺は、様付けされるのには慣れているが、これが自分から他の教団関係者を遠ざける原因になっていることも自覚している。玉の輿を企む女性を除いては。

 俺は教団の広告塔――扱いとしては、教団の王子様である。

 美しい礼服を纏い、翼を広げた俺の姿は、教団の求心力を強める役目を担っていた。他の教団所属の人外ハンターとは、扱いに天と地の開きがある。

 だが、それは表向きの話だった。

 実際の俺は、他の人外とは真逆に、幼少期から度重なる人体実験、兵器開発の被験体等々、非人道的な扱いを受け続けてきたのだ。当人にそうとは悟らせずに。

 教団への依存心が強いのも一種のマインドコントロールの結果であるし、情報を与えず、他の人間からやんわりと隔離し続けてきたのは反乱を起こされぬためである。

 ただ一つ、教団の誤算は、教育係のシスターベロニカの存在だ。彼女がいたからこそ、俺は自我を失うことなく生きていくことが出来た。教団にとってシスターベロニカは諸刃の剣である、と正しく認識している者は果たしてどの程度いるのか――。


「怒られちゃった……」

「怒られちゃったね」

「うん……」

 ドアを閉め、振り返ると遙香が立っていた。

 俺に手を差し伸べている。

 俺の行動が悲しい条件反射であることを分かっているから、彼女にはもう俺をいさめることは出来なくなっていた。

「ねえ、お風呂はいろっか」

「……まさか、一緒に?」

「ふふふ」

「……ハルちゃん、顔がエロいおっさんだよ」

「いいじゃん。キミの親公認で三日間独占出来るんだから。ふふふふふ」

 遙香は邪悪な笑みを隠そうともせず、握った俺の手をぐいっと引っぱった。

(もしかして、いやもしかしなくてもヤバい子なのでは……)

 俺はナニな場所がキュっとした。


「足、ホントにキレイに治ってるんだね」

 遙香は湯船の中から、シャンプー中の俺に声をかけた。

「溶けて骨まで露出してたとは思えないだろ、フフン」

「ショウくん、ちゅごーい♥」

「だろ☆」

「これなら、どんな扱いしても大丈夫だねっ」

 俺の手が止まった。

「いまお前、すごい邪悪な顔してっだろ」

 シャンプー中なので、彼女の顔が見られない。

「やだなあ~そんな顔してるわけないじゃん」

「いや、してる」

 俺は急ぎシャワーで泡を流すと、遙香の両頬をぎゅっと掴んだ。

「ひぁややあわわわ~」

「この口かっ、ろくでもないこと言うのはっ」

 ぎゅうう~~っ。遙香のほっぺが左右に伸ばされる。

「ひははひいはぁあへふへはあひいい」

「ったく、ヒモになったらなったで、ひどい目に遭う気しかしねえぞ、このっ、一文字遙香め!!」

「うぇえええええ~~~ゆゆひへええええ」

 俺はニヤニヤしながら、しばらく遙香の顔を気が済むまでオモチャにし、それから彼女の頬を両手で包み、これまたしばらく濃厚なキスをした。

 遙香が風呂から上がる頃には、すっかりのぼせていたのは言うまでもない。


     ◇


 監禁二日目。朝。遙香のベッドで目が覚める。

 シングルだし寝づらいからリビングのソファで寝ると言っても聞かず、抱き枕代わりにされた挙げ句、遙香の寝言や歯ぎしりで寝不足になるし、寝違えて首が痛い。

 ヒモになるなら、せめてダブルベッドの設置を強く要望する。

 朝食は、昨日と同じく、教会の厨房からのデリバリーだ。

 徒歩数分、バイクで一分もかからないので、暖かいうちに食事が届く。

 普段週末は学食が使えず、食い物に困窮していた遙香は、俺のおかげで贅沢が出来るとたいそう喜んでいた。まったくもって、父親はどこまで取材に行ったのか。連絡ぐらい寄越せばいいのに。ひどい話だ。

 今日は家の掃除を手伝う約束になっている。主に父親の集めたガラクタや書籍だ。

 仮に父親が見つかっても見つからなくても、ジャマなものは整理して売却なり処分なりするつもりのようだ。

 半年も娘を放り出して家を空けてるのだから、何を捨てられても文句の言える筋合いはなさそうだな。

 中にはシスターベロニカが喜びそうなものもあるから、いらないならもらっとこうか。それとも、当人を呼んで選ばせた方がいいかな。


「ショウくーん」

 部屋の外から遙香の呼ぶ声がする。

 書斎で本の整理をしていた俺は、手を止めて隣の遙香の部屋へ行った。

 遙香は、家の大掃除ついでに自分の部屋の掃除もしていた。彼女の部屋も、父親顔負けなぐらい、雑多なもので埋め尽くされていたのだ。たとえばカメラの本、写真集、大きく引き延ばしてパネル張りされた写真等々……。

 室内には残念なくらい女の子らしい物体がなく、それを主張出来るのは、女性ものの衣類や制服と、脱ぎ捨てられた女物のパジャマぐらいのものだった。

「はいはい、なに?」

「これ、あげる」

 エプロン姿の遙香が、小さいガジェットのようなものを俺に差し出した。

「……デジタルカメラ?」

「うん。私のお古だけどあげる」

「でも……そう安いものでもないんでしょ? 悪いよ」

 そう言うと、遙香は強引に俺の手首を掴み、デジカメを握らせた。

「ショウくんさ、きのう趣味ないって言ってたでしょ。写真やればいいよ」

「写真……か」

「私はもっと大きいのとかいろいろ持ってるから、遠慮しないで」

 じっと見つめる遙香。

「えっと……俺、いつまでここにいるかわかんないけど……これ」

 俺はシスターベロニカから、写真部の入部届を持たされていたことを思い出した。

 ポケットから折りたたんだ入部届を出し、遙香に差し出した。

「なに?」

 遙香が小さく畳まれたプリントを広げると、にっこりと笑った。

 俺は照れくさくて笑った。

「親が、持ってけって。まあ、そういうことで……」

「丁度よかったじゃない。これで撮りましょ」

「そだね。教えてくれる?」

「当たり前でしょ、部長なんだから」

「じゃ、よろしくな。部長さん」

「ニシシシ……」

「笑い方が邪悪だぞ」

「いや部員増えたんでつい……」


     ◇


 荷物整理が一段落し、遅い昼食を終えると、遙香は二階の自室に籠もってしまった。いささか寝不足だったので、俺はリビングのソファーで昼寝を決め込んだ。

「ショウくーん……あれ? 寝ちゃったの」

「ん……あ、降りてきたのか」

 ニヤニヤしながら、何かしら後ろ手に隠している。

 俺はソファーに横たえた体を起こし、寝癖のついた髪を掻き上げた。

「はい、これ。ストラップがショウくんの手に合わなかったから直しておいたわよ」

「ありがとう」

 ――これは。長さ直しただけじゃないじゃん。

 ストラップそのものが純正品の平ヒモから、ネイティブアメリカンのアクセサリーパーツをあしらった、スエードの細いベルトに交換されていた。

 シルバー製の羽のモチーフ、そしてトルコ石のビーズがとてもクールだ。

「いや、これ、すごいカッコよくなってるんですけど!? なにこれ!?」

「部屋にあった、使ってないカバンとかベルトとかからパーツ毟って作ったんだよ」

「すげえな……。マジ気に入った。ありがとう、ハルカ」

「いえいえん……ウフフ」

 邪悪じゃないが、微妙に含みのある笑いをする遙香。

「……んー、またなんか企んでる」

「そりゃ、まあ、同志が増えれば嬉しいでしょう普通に」

「ホントにそういうヤツ?」

「そういうヤツ、そういうヤツ」

 ニヤニヤしながら言ってるけど、自分の彼女が喜んでいるみたいだから、まあ、いいかな。

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