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混沌の廃病院

 ……決めたんだ。もう遥香とは会わない。

 俺は学校にも行かない。一日も早く遥香のこと、忘れる努力する。

 遥香のために。俺のために。


     ◇


 俺は遙香と竹野を見送り、ひとしきり落ち込んだ後、なんとか立ち直ると、駆除作業の準備をし始めた。だが先日の戦闘で、下半身の装備品を、アンモナイトに一切合切溶かされて使えなくなってしまった。仕方ないので、予備の戦闘服やベルト、ポーチ類をクロゼットの段ボールから引っ張り出した。

「ちっ……、気乗りしねえなあ……」

 俺はぶつくさ言いながら、予備の編み上げブーツを取り出した。

「ったく、ヒモ結ぶのがイヤだから、ワンタッチで履ける奴を買ったのに。しゃーない、また後で注文しようっと」

 コンコン、とノック音。返事をするとドアがちょっとだけ開いた。

「ショウくん、食べられそうだったら夕飯……あら、もう仕事して平気なの?」

 シスターが俺を見て驚いている。なんせ昏睡状態から目覚めて、まだ一日しか経っていないのだから。

「一週間も休んじゃったし……遅れたぶんを挽回しないと。食事、頂きます」

「じゃ、用意するからすぐ食堂にいらっしゃいね」

 シスターはにっこり笑って言った。

 ドアが閉じ、足音が向こうに消えた後、俺は足首をくるくる回してみた。

「やっぱりか……」

 微妙に思うように動かない。全力でいくのはまだムリっぽい。悔しいけど、ここはなるべく動かずに仕事が出来る装備をチョイスするしかないか……。メシ食った後で考えよう。

 俺は身支度を中断して食堂に向かった。


     ◇


「あ、間違えましたー…………」

 俺はそっと食堂のドアを閉めた。

「あ~あ~、ごめんごめん、です。ショウくんさん、まだ当分お部屋でおかゆかと思ってたから、ちょっと羽伸ばしちゃってて~」

 シスターアンジェリカが、閉まりかけたドアの端をガッシと両手で掴み、一気に全開した。

 中は、女子会の真っ最中だったのだ。

 俺、入れない。

 つかメンズ俺だけだし。

 食堂中央のテーブルは、甘甘な花柄テーブルクロスや山盛りスイーツ、イタメシ、ヌーベルキュイジーヌ、サングリアのボウルには自分への見舞いにもらったと思しき高級フルーツの細切れがプカプカ浮かんでいる。

 これを女子会と言わずして何という。

 フルーツを食っちゃったことをとやかく言うつもりはないけども、マジで自分の入る隙間がミジンコどころか微粒子レベルで存在しないんだけど、これってどうしたらいいの。ねえ。

 結局、末席にちょこんと座らされた俺は、お子様ランチのメガ版のようなディナーを提供され、女子会にむりやり連れてこられた小学生みたくなっている。

 ま、メシの味には全く不満はないし、プリンもあるからいいんだけど。

 ああ、サングリアはアルコールが入ってるから、浮き実のフルーツだけしか食わせてくれなかったのが唯一の不満。


 炭水化物的な意味で高カロリーをしこたま摂取した俺は、微妙に胸焼けしつつ、今夜の打ち合わせのためにシスターベロニカの部屋を訪れた。

 室内にはシスターアンジェリカの姿もあり、相変わらず雑然とした作業机の上で大きな紙――町の地図を広げていた。

「今日はどこ掃除するんです?」

 俺は二人に尋ねた。

「足は大丈夫か、ですか? ショウくんさん」

 アンジェリカが不安そうに俺を見る。

「あーもう平気平気」

 俺はその場で、ポンポンと軽く跳びはねてみせた。

 エンジェルスマイルを造ってみたけど、着地の度に足首とかアキレス腱とかがビシビシ痛くて、見えないように太股をギュっとつねって耐えた。

 やせ我慢は柄じゃないんだけど。

「どうせ休めと言っても聞かないだろう。これにでも座っていろ」

 シスターベロニカが俺にパイプ椅子を勧めた。

「では、改めて本日のブリーフィングを行う」


     ◇


「というわけで、やってきました。『廃・病・院』キャアァァ――ッ!」

「なに言ってるんですか、ショウくんさん」

「いや、だって……」

 ……もう帰りたい。ホンットにヤバいんだって。

 今夜の仕事場は、教会から車で少々、町外れにある廃病院だ。

 現場にやってきた教団スタッフは三名。シスターベロニカと俺は突入班、アンジェリカは通信とバックアップ担当だ。

 幽霊が霊障がとかいうレベルじゃなくて、ガチで化け物の巣になっている。あいつらは、こんな陰鬱でジメジメした所が大好きなんだ。

(何でこんな病院ほったらかしにしてんだ? 取り壊さない奴の気が知れないぞ)

 さっきブリーフィングで聞いた話では、この病院内には小物ばかりが大量に巣くっているそうだ。丸ごと焼き払ってしまえればラクなんだけど……

 工事用の仮囲いで封鎖されているのが、せめてもの救い。廃墟マニアだの、心霊スポットマニアだのが、いたずら半分に中に入りでもすれば、たちまち餌食になって、何もかも食い尽くされる。飢えたピラニアのいる川にジャブジャブ入っていくようなもの。ハンターだって武装しなきゃ同じ運命だ。

 俺が工具で仮囲いの一部を器用に外して中に入ると、敷地内は雑草だらけだった。アスファルトの敷いてある所ですら、あちこちひび割れて草だの木だのが生えている。

(自然すげー……)

 駐車場の隅には、まだ囲いのなかった頃に放置され、ぎりぎり原型を留めている朽ちかけた乗用車や、不法投棄された家電などの粗大ゴミの山などがあった。

「管理者がいないと、人って何でもするんだな。こういうのどこでも多いんだぜ。まったくひどい話さ……」

 こういった廃墟のように、隠れる場所が多くて、昼間も暗い場所に異界獣が棲みつく。ものが廃墟だから、その内部や周辺地域も荒れていることが多い。ときには、トラック何台分もの廃棄物が捨てられていて、駆除の前にゴミをどかさなければならない時もあった。その度に肉体労働をするハメになるのは、おおむね俺である。

 病院の外観を見ると、ツタが這っていたり、スプレーで落書きしてあったり、窓が割られていたり、となかなかロックな佇まいである。ときどき、その破れた窓のはじっこから、異界獣たちがチラチラこっちを見てるのが分かる。

 ここに来て、また緑地公園の時のようなヘマをしたら……と、少し恐くなったが、あいつらの顔を見たら恐怖は吹き飛んだ。

 そう、いつもどおりに駆除すればいい。何も問題なんかない。

 そう思ったら急に冷静になれた。

 ……待ってろよ。お前ら全員血祭りに上げてやっからな。


     ◇


 俺が雑草だらけの病院敷地内をぶらぶらしている間に、シスターアンジェリカは指揮所の用意をしていた。と言ってもキャンプ用テーブルの上に無線機や救命キットなどが置いてあるだけだが。

 さらに彼女の足元には、予備の弾薬、武器、こまごました物を入れたコンテナが幾つか。おちゃめなステッカーがペタペタ貼ってあるから、きっと彼女の私物なのだろう。

「貴様は仕事に来たのか、心霊スポットに遊びに来たのかどっちだ」

 ふいに、尻をライフルの銃床でドつかれる。ぶらぶらしていたら、シスターベロニカに怒られてしまった。

 病院は、病床のあった二棟それぞれA棟、B棟と呼称と、脇にあったボイラー室、調理室と倉庫などは中途半端に解体され、ほぼ屋根と柱だけになっている。

 俺は一旦A棟屋上に上がり、下へ下へと殲滅していく。シスターベロニカはB棟の下から上へと殲滅していくことになった。

(こんなお化け屋敷で別行動は恐いけど、そう大きな建物でもないから……多分大丈夫だよね)

 俺は装備品を再度チェックすると、愛用のワイヤーフックで一気に屋上に上がった。風が吹き、俺はふと風上に視線を泳がせた。

 数瞬、俺は町の夜景に目を奪われた。

 ……あのあたりに遥香の家が……

「バカバカバカバカバカバカバカバカバカ俺のバカ! 考えたらダメだ!」

 俺は歯を食いしばった。


 ――遥香を想う気持ちに支配されたら、俺は戦えない。

 戦えなくなったら、教団から追われて野垂れ死ぬしかないんだ。

 狩りの出来ない狩人は、ただのゴミだから。

 ゴミゴミゴミ、ゴミだから。


「でもッ! 俺はッッ!」

 階下にひしめく化け物――『異界獣』――を、一匹残らず殲滅して、町を守る。

 無論、遥香も。だから、

『――勝利、用意はいいか? 始めるぞ』

 シスターベロニカからの通信だ。

「準備OK、状況を開始します」

 俺は額の上から暗視ゴーグルを下げ、屋上から夜の廃病院に侵入した。俺が屋上から階段を降りていくと、屋内は床が濡れていた。雨でも降り込んだのだろう。湿気でいろんな臭いがより強調されている気がする。無論、連中の臭いも。

 足場に注意しながら階段を降りて最上階に到着すると、早速連中の歓迎が始まった。破れた窓から廊下に差し込んでいた月明かりが一瞬消えた、と思ったのは、小さな敵の群体が、急に開口部に集まって塞いだからだった。

 敵の侵入に備え、少しでも住処を暗くしたかったのだろうか? 異界獣の生態は、彼等との戦いが始まって一世紀経つも、未だ分からないことばかりだ。

「最初に狩られたいのは、どいつだ?」

 返事なんか来るわけない。だから、手短な奴に弾をブチ込む。着弾した場所から青い燐光が炎のように周囲に広がり、廊下の一角を丸く抉り取った。

「かかって来いよ! 食えるもんならなあッ!」

 俺はもう一丁の銃を腰から抜き、二丁同時、両手で乱射した。サブマシンガンに異界獣用の特殊弾を詰め込んだものだ。どこを撃っても何かしらいる状態で、ぶっちゃけボーナスステージ。トマト祭みたいに小さい連中が次々爆ぜていく。

 狭い空間に満ちる、連中の臓物が発した濃厚な臭気に俺は咽せた。廊下には敵の臭いが満ちて、普段頼りにしている自慢の鼻が役に立たない。だが自分は連中の巣に飛び込んだのだ。奴らにとってこちらは餌。あとは勝手に襲ってくるのを片っ端から始末していけばいい。

 群れを組んだ細かい獣たちをざっくり倒すと、今度は奥から中型犬くらいの大きさの敵が壁を這い寄ってきた。近い生物で言うと……ヤモリだろうか。ベタベタと、数匹やって来た。

「あはは、不公平だよなぁ。俺はお前等を食えないんだから。どうせ来るなら美味い奴を寄越してくれよ? なあ?」

 俺は銃の弾倉を入れ替え、壁を這う巨大ヤモリ共を粉砕した。この程度の奴なら、教団の一般ハンターですら、ほとんど敵にもならない。一方的な虐殺だ。

 しかし、放っておけば共食いを繰り返し、どんどん大きく強くなっていってしまう。小さく無害なものですら、生かしておくわけにはいかない。

 それ故に、教団の隠語として、異界獣退治のことを『駆除』というわけだ。

 腹の皮が爆ぜると、中身は水ふうせんのようなプクプクした内蔵で満ちていた。色はよくわからないが、異界獣の常として、多分カラフルだろう。

 ……内臓なんて外から見えないのに、何で極彩色なんだ?

 殺す相手のことなんか、考えてもしょうがない。

 悪いクセなんだ。一方的に虐殺してるからさ、たいくつで、つまんないことを考えながらいつも作業してるんだ。

 だから、つい……。

 俺は集中するのがニガテなのさ。だからダメなんだ……。

「ぎゃッ!」

 俺の足に何かが噛みついた。反射的に振り払って床に叩き落とし、思いっきり踏み砕いた。奴は、ぱんっ、と軽い音をたてて爆ぜた。病院の床がきっと極彩色に染まっていることだろう。何かのゲームみたいに。

「なにすんだ! ったくもう! 足はダメなんだよ!」

 復活したての両足は、フレッシュなせいか痛みに敏感で困る。

 ……ほら、余計なこと考えてたから噛みつかれちゃったじゃないか。

「四階の除染終了しました。これより三階に移動します」

 俺はアンジェリカに作業報告をした。

『了解です。さっきの悲鳴はなに、ですか?』

「ちょっと囓られただけです。問題ありません」

『了解。……気をつけて』

 アンジェリカの声に戸惑いが見え隠れする。先日あんなことがあったばかりの俺を心配している、というよりも不安視しているのだろう。俺が負傷したため急遽教団本部に応援を要請しているが、万年人手不足の教団だからシスターアンジェリカを送り込むのが精一杯で、彼女の他にはまだ増える気配がない。しかし、人手がないないと言っていても、異界獣の被害は容赦なく増えていく。だからこそ、教団は死ににくい俺を馬車馬のように使い倒してきたのだ。

 ゴミだらけの階段を、慎重に降りていく。こういうのは下りの方が危ない。

 パキッ、と何かガラス容器みたいなものを踏んだ。

 ――注射器だった。

 やっぱな。こんなものを放置するなんて……。

 三階に降りたところで、外からサイレンが。こっちに来たのか? と思って枠だけになった窓から下を覗き込んだが、通過しただけだった。まったく、紛らわしい。

「あ…………」

 ヤバイ、と思って窓にくるりと背を向けた。夜景が目に飛び込んできたからだ。雑念に心を乗っ取られる前に、景色を視界から遠ざけた。

 その瞬間、奇声を上げて天井から降ってきた獣に、俺は感謝した。こいつらの相手をしていれば、多少は気が紛れる。

 片っ端から異形の化け物を屠りながら、ひたすら廊下を進んでいった。あいかわらず小物ばかり、大きくても柴犬くらいまで。ところどころで酷い異臭がするのは、共食いのせいだ。この習性だけは本当にいただけない。

 廊下のこちらからあちらに到着するまでに、マガジンを二つ使い切った。小部屋の中も掃除するので、いくらあっても足りない。火炎放射器が欲しくなる。

 動く気配を感じれば、すぐに銃弾をブチ込む。

 影が横切れば、すぐにブチ込む。

 とにかく殺す。殺す。

 一瞬で殺さなければならない。

 死んだことに気付かないくらい早く。

 ハンパな痛めつけ方をすれば逃げてしまうから、確実に仕留めていく。

 そんなちっちゃいの、追いかけるの大変だろ?

 殺しても殺しても、じゃんじゃん沸いてくる。

 あいつらも、遥香の幻影も。

 だから俺もじゃんじゃん殺す。

 とにかく殺す。あいつらも、遥香の幻影も。

 ――でも、どうしても遥香の面影が消えてくれない。

 俺が傷付けた女の子が。

 クソッ、クソ、クソッ。

 俺は闇の中、階段を駆け降りた。


「三階の駆除終了しました。これより二階に移動します」

 俺は、病室内を全て処理し、ナースステーション、処置室、倉庫も全て開け、反対側の階段までやってきた。振り返れば、そこには極彩色のフロアが広がっている。

 だが連中の体液や臓物は闇夜に隠され、月明かりの差し込む廊下だけが、彩度の低いまだら模様を可視化させていた。先日の雨で、屋内はかなり湿気を帯びている。

『了解です。弾薬はまだ大丈夫、ですか』

「はい、なくなったら、その時は他の得物で続行します。問題ありません」

『了解です。あまり道路側の窓でハデなことをしないで下さい。近隣から通報されますので』

 チッ……。

「了解。努力します」

 する気なんかない。奴らを全部殺せば文句ないだろ。

 そうさ。皆殺しにして、さっさと次の町に行かなきゃ。


 さっきっから、頭が割れるように痛い。病棟に入ってから、どんどん痛くなってきている。まだ仕事をするには早かったんだろうか? それとも風邪でもひいたかな……。反吐が出るような奴らの臭気だけど、それで頭痛になったことはない。

 痛い……痛いよ、ハルカ――

 俺はサブマシンガンの弾倉を入れ替え、頬に流れる何かを拭った。明るい場所ならば、きっと異界獣の体液と見紛うだろう、俺の青い血液を。

 ……そういえば、さっき何かに引っかかれたっけか。もうそいつ死んでるけど。別にいいや。

 もう、死ぬ奴のことなんかどうでもいい。

 獣がどこに沸こうと関係ない。

 いなくなるまで掃除するだけだから。

 俺は掃除屋。それ以上でも、それ以下でもない。


【あの子を見殺しにした方がよかったの?】


 ――そういうことになるよね。

 だって俺が俺でいられなくなっちまうんだから。

 胸に強い圧迫と痛み。

 急に空気が薄くなった気がする。

 苦しい――。風邪ってこんな急に悪化するものなのか?

『ショウくんさん、あの、大丈夫――』

 アンジェリカが何かを言ってる。何だろう? うるさいな……ちゃんと狩るよ。文句ないだろ? 余計頭が痛くなる。うるさい。うるさいうるさい。

 頭と胸に激しい痛み。頭蓋骨が押し潰され、脳が爆ぜてしまいそうだ。階下に降りる途中、同時に襲ってきた苦しみに、俺は踊り場で膝をついた。

「ぐはッ……、ここで……ここで倒れるわけには……」

 ――そうか。これは。

 あいつを思うから痛いのか。あいつを。

 それなら――『遥香を完全に忘れてやる』


【あいつはもう、俺の中にはいない】


 そう、心にインプットした。

 あいつにどう思われようと、勘違いされようと、もうどうでもいいんだ。

 あいつと俺は、関係ない。関係なんかないんだ。

 ――俺とアイツは関係ない。だって俺は、ただの通りすがりだから。


【俺はただの通りすがりの異界獣ハンターだ】


「あ……治った」

 そう思ったら、今までの不調がウソのようにスッキリした。

 トントンと、残りの階段を降りていく。

 さあ、次のステージだ。

 とても気分がいい。

 なんだ、簡単だった。そっか。そうなんだ。

 そうだ、何も考えちゃいけないんだ。

 そうすれば、こんなに気分よく仕事が出来る。

 みんなと楽しく生活していける。

 何も考えるな。

 考えるな。考えるな。考えるな。

 考えるな。考えるな。考えたら負けだ。考えたら終わりだ。

「あ――――――はは、はは、はははははははははははははは!」

 爽快だった。

 奴らを惨殺する速度が上がっていく。

 まさに瞬殺だ。

 そう、お前等は俺に殺されるためにいるんだ。

 そして俺は、お前等を殺すためにいる。

 だから、大人しく俺に殺されろ!

 抵抗なんかするな!


 死ね!

 死ね!

 死ね!


「あはははははははは、何も知らない。何も考えない。だから、だから俺は強い!」

『どうしました! 勝利君! どうしました! 返事して下さい!』

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! ジャマするなあああッ!」

 俺は素早くマガジンを入れ替えると、悠然と廊下を歩き、床、壁、天井に張り付いた異界獣を次々に惨殺していった。俺の歩く後に、奴らの残骸、体液、暗い廊下に一気に溢れ、ジャングルの極彩色の臭い花のように、辺り一面咲き乱れる。気付いたらもう、廊下の反対側だ。

 もっと殺さないと。もっと。もっと。

 俺は一気に階段を飛び降りて、最後のフロア、一階に向かった。

 地上階のせいか、一層ジメジメしている。あたりが急に暗くなった。いや、暗くなったんじゃない。仮囲いで、ただでさえ少ない明かりが入らなくなっていたのだ。月明かりも、街灯の明かりもあまり届かない。俺はスコープの感度を上げた。

「む……。アレがいる。イヤだな……」

 耳障りな声が聞こえてくる。キィキィと金属を引っ掻くような不快な音。そいつは飛行型の異界獣だ。こちらの世界でいうコウモリに近い形状をしている。何度か首や耳を囓られたことがある。人間より細菌に強い自分でも、こいつだけはすぐ傷口が膿むから嫌いだ。

「クソッ、堕としてやるッ」

 俺は両手の銃を太股の大型ホルスターに突っ込むと、腰の後ろから電磁ウイップを二本取り出した。こいつは最近完成した、教団開発部ご自慢の新作だ。ウイップの表面は金属製のツメをいっぱいつなぎ合わせたような形状で、一つ一つに返しがついている凶悪な武器だ。拡大したサメのウロコにも似ている。

 ウイップに敵が接触するとジジッと焼けて落ちる。とにかく、まるで自分専用にあつらえたように、すごく手に馴染む。しなり方もとても気分がいい。いつまででも獣を粉砕出来る気がする。奴らにヒットして、肉が弾ける感触が伝わると、言葉に出来ないような爽快感が体の芯から沸き上がる。

 ……もっと早く使えばよかった。

「もっと楽しませろよッ! ほら! ほら! ほら!」

 俺は壁や床を削りながら、奴らを追い詰めていった。ウイップの風を切る音が、奴らの耳障りな鳴き声をかき消してくれる。時折パリンと天井の蛍光灯が爆ぜる音がする。シャリシャリした炸裂音は耳に涼しくて気持ちいい。


 もっと、もっと壊したい。

 破裂させたい。

 殺したい。

 壊したい。

 殺したい。


 片っ端から粉砕しながら歩く自分は、まるで広大な麦畑を走る刈り取りマシーンだ。――そう、俺たちは、あいつらの命を刈り取る死神だ。

 黒装束の死神だ。刈って、狩って……


「クソッ、おしまいかよ!」

 俺は、とうとう一階の端まで来てしまった。異界獣の返り血を全身に浴びてもまだ、狩り足りないようだ。

 俺はバァン、と大きな音をたてて、A棟一階端、非常口の金属ドアを蹴り破った。蝶つがいが錆び付いていたのか、ドアは軽々と向こう側に吹っ飛んだ。俺がドアから頭を出して外を伺うと、そこは隣接したB棟との間にあるスキマだった。連絡通路と思しき敷石は雑草に埋まり、そこここにドラムカンやパレットが雑然と置いてある。恐らく、廃業にあたり処理する金もなく、放置されたものだろう。


 何かがガサリと音を立てた。

 枯れた雑草を踏んだような音。質量のある敵がいる。

 ――大きい。

 俺はウイップを腰の後ろに収納し、銃に持ち替えた。

 感じたことのない、寒気と高揚感のダブル責めに俺は酔った。

 ――敵を確認しなければ。数も不明なんだから。

 しかし……早く、早くこいつを仕留めたい。

 俺は初めての強い欲求に、抗うことは出来なかった。

 ガサリ……

「そこかぁッ!」

 俺はドアから飛び出し、獲物に向かって銃を発砲した。

「撃つな!」

 だが、俺が引き金を引いたと同時に叫び声がした。


 ――え?


 何かに当たって砕ける音と、女の子の悲鳴。

 そして四散した青白い炎に照らし出されたのは――――


「シスター……ベロニカ。……ハルカ……なんで……」

 腕を木っ端微塵にされたシスターベロニカと、その背後には――遥香!

 呆然とする俺に向かって、シスターベロニカが枯れ草を踏み、ノシノシと近づいてくる。

「バカモンッッッ!」

 シスターベロニカの怒声が廃墟に響く。

 そして俺の体が吹っ飛んだ。

 もう片方の、生身の腕で、俺は母親に殴り飛ばされた。

 ひっくり返った俺は、暗視ゴーグルを額にぐいと持ち上げて、二人を見た。薄明かりの中で、鬼の形相のシスターベロニカと、怯え切った遙香が己を見下ろしている。

「え……あの……あ、あ……ああ……」

 口の中に血の味が広がる。遥香を撃ったあの晩と同じ味が。

 そして、同じ苦しさが胸に広がる。……何も言えなかった。

 でも、おかげで自分は『正気に戻る』ことが出来た。

 ――代償は高くついたが。

「ごめん……なさい。どうしてもショウくんに会いたくて、教会で見張ってて……そしたらショウくんが車に乗ったから……ついてきちゃった……ごめんなさい……」

 遙香がひざまずき、半身を起こした俺にすがって泣き出した。俺達が乗ってた車に自転車か何かでくっついてきたんだろう。まったく……。こいつの行動力だけは一丁前だ。

「もう……全部メチャクチャだよ……何で……何で来ちゃったんだよおぉ」

「だってぇ……」

「だってじゃねえ! ああもう! 俺の決心やら苦しみやら悲しさやら全部台無しじゃんか! 俺は不器用なんだから、来ちゃだめだって何でわかんないんだよ!」

「でもぉ……会ってくれないから……」

「でもでもダメ!」

「分かってるから彼女は来たんだろ」シスターベロニカが言った。

 左の肩から下が無残なことになっている。母は義手を犠牲にして、遙香を守ったのだ。

「腕……ごめん……なさい」

 俺は自分のやらかした事の大きさに怯えた。

 ――俺、サイテーだ……。

「また新しいものに取り替えれば――」

 と、シスターベロニカが言いかけた時、

「バカヤロー!」

 シスターアンジェリカのシャウトと共に、俺の体が吹っ飛んだ。衝撃で暗視スコープも外れ、闇の中に転がっていった。

 ――ぐぼっ……。息が……。できない……。

 遥香の悲鳴が聞こえる。あいつも巻き添え食らったのか。

 くそぉ、アンジェリカめ……。

「げほっ、ぐほ……い、いてぇ……」

 アンジェリカの跳び蹴りを肋骨のあたりに喰らったようだ。一時的に呼吸が出来なくなった俺は、しこたま咽せて、地面の上で無様にのたくった。

「ショウくん!!」遙香の悲痛な声が響く。

「ぐぎゃッ!」

 そしてすかさず接近してきたアンジェリカに、間髪入れず腹を踏みつけられた。

 ――ざけんな、この女……動けねぇ……

「やめてえぇっ!」

 遙香の静止などアンジェリカの耳には入っていない。

「お前! 姐さんの腕を吹き飛ばしやがって、許さん! 許さん!」

 アンジェリカは人が変わったように、俺を憎々しげに何度も何度も踏みつけた。

「やめてぇ、ショウくんが死んじゃう!」

 遙香が這い寄り、アンジェリカを止めようとしている。

「危ない……から近づ……くんじゃねえ……」

 俺は声を絞り出した。

「アンジェ! 貴様のその汚い足を私の息子からどけろ!」

 ふっと、腹の上が軽くなった。と思ったら、アンジェリカが宙づりになって、足をブラブラさせている。喉元を押さえて苦しそうだ。ブチ切れたシスターベロニカが、アンジェリカの襟首を掴んで、宙に持ち上げていた。

 シスターベロニカは身の丈二mもある大女だ。標準的な女性の身長であるアンジェリカなど子供と大人ぐらいの差がある。

「も、申し訳ありません……姐さん……」

 苦しそうに言うアンジェリカ。シスターベロニカは、フンと鼻を鳴らすと、アンジェリカを軽々と地面に放り投げた。一体二人はどういう関係なんだろう?


     ◇


 そして若干残った仕事を早々に片付け、シスターベロニカ一行は廃病院を後にした。もちろん、遙香も一緒に。俺と遙香はベロニカにこっぴどく怒られて、これから教会でお仕置きされることになった。


 ……ヤバイ。死ねる。

 シスターベロニカのお仕置き、マジ死ねる……

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