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惨劇の予兆

 丁度シスターベロニカの話が一段落した時のこと。

 外から何台ものパトカーのサイレンが聞こえる。

 教会から五十メートルほど先にある、県道の大きな交差点の方からだ。続いて数台の救急車がパトカーを追った。

 これだけの騒ぎになっているということは、きっと大物が出たに違いない。さっきあんなに遙香が自分を帰したくなかったのは、何かを感じ取っていたからかもしれない。部屋の空気が、ピンと張り詰める。

 内線電話が鳴った。即座に受話器を取ったシスターベロニカが、応対をしている。さっきのパトカーとやはり関係があるのだろうか。

「用意しろ、C装備だ。緑地公園で二人食われた」

(C装備、だって? やはりそんな大物が……)

 俺の背筋に冷たいものが流れた。

 C装備とは、先日のカエルのように図体の大きな異界獣と戦うための標準的な装備だ。といっても、直接戦うのではなく、自分を囮にし、狙撃ポイントに敵を誘導するためのものだ。機動性と防御を考慮した装備となっている。この方法だと俺以外に、狙撃手と補助役で通常二名用意するのだが……。

「補充要員は?」

「大丈夫だ。着任している。さあ、着替えてこい」

 そう言って、シスターベロニカは俺の背中を軽く叩いた。


     ◇


 フル装備の俺、シスターベロニカ、そしてシスターアンジェリカの三人で到着した時には、現場は想像以上の大騒ぎで、さながら刑事ドラマのワンシーンのようだ。

 シスターアンジェリカは俺と同じくらいの年で、ちょっと背が低く、元気のよさそうなタイプ。日焼けしてるのか、シスターの格好がちょっとに合ってない。

 彼女はハンターの支援役なので、こうして時々一緒に仕事をしていて、知らない間柄でもなかった。


     ◇


 今夜の現場は、この地方都市の端に位置する山際の大きな緑地公園だ。サイクリングコース、テニスコートなどのスポーツ施設や、ボート遊びの出来る大きめの池がある。資料によると、休日ともなれば近隣の街から行楽客が訪れるという。

 公園に通じる道という道はパトカーで封鎖され、つぎつぎにバリケードが設置されている。だが、このあいだの照明障壁で使ったような背の高い鋼板ではなく、車を止めるようなバリケードを置いているのは何故なんだろう?

 俺達は公園入り口脇にある駐車場に車を止めると、早速仕事の準備を始めた。俺は助手席から外に出ると、そこここに張り巡らされている黄色いテープを眺めた。

 普段は警察の世話にならずに単独で狩りをするか、道路封鎖、鋼板による封鎖などを使い分けて異界獣の駆除作業を行っているのだが、こうして露骨に黄色いテープをベタベタ張り巡らせた現場に遭遇するのは、俺にとっては珍しいことだった。

 何故なら、異界獣はテープを見ても立ち止まってなどくれないからだ。

 以前、二人でテレビの刑事ドラマを見ていたとき、シスターベロニカが言った。

「このテープを発明したのは日本人だと聞いたが、すばらしい発想だな」と。

 俺はてっきりこのテープは外人が考えたものだとばかり思っていた。どちらかというと、海外ドラマで目にすることが多いから。

 今夜の俺は、この黄色いテープ見て、ふとそんなことを思い出していた。

 俺たちが仕事の準備をしていると、向こうから刑事たちが小声で話してるのが聞こえてくる。

 当人たちは聞こえてないつもりだろうけど、俺にははっきり聞こえる。


『教団はこんな子供まで使って、そろそろヤキが回ったのか』

『女と子供だけ送り込んできて、本当にアレを始末出来るんだろうか』


 ……とか、ナメた台詞が飛んで来る。

(クソッ、勝手なこと言いやがって)

 腹に据えかねた俺は一人の中年刑事に近づいた。

 どう見てもヤクザという風体だ。近づいた俺を睨んでいる。

「おじさん、こういうの飼うの趣味なの?」

 俺はナイフをヒュッ、と刑事の肩口に突き出した。

 びっくりした刑事は、目を剥いて二、三歩後ずさった。

「何すんだ!」

 刑事は、反射的に腰の拳銃に手をやった。それを脇にいた他の刑事たちが必死に制止している。彼等は俺が何をしたのか、すぐ分かったからだ。

「そろそろテープの外に出た方がいいんじゃないんスかね」

 俺はナイフに貫かれたソレ、野球のボール大の化け物を刑事たちに見せつけた後、ナイフをビュッと振り、赤黒い化け物の死体を払い落とし地面に叩きつけた。

 グシャっと音を立てて死体は爆ぜ、赤とも紫ともつかない体液と内臓を撒き散らしたが、目のようなものはまだグリグリと蠢いて周囲を伺っていた。

 それを見た刑事たちは、あからさまに顔を引きつらせたりリバースしたり、よく分からない捨て台詞を吐いてバタバタと去っていった。

「あははははははは。帰って寝てろ、臆病者め!」

 俺は逃げていく刑事たちに罵声を浴びせてやった。

 すこしスッキリしたので、侮辱した件は忘れてやろう、と思った。

 元々、たいして害のない種類だったから、ホントはすぐに殺さなくても大丈夫だったのだけど、ムカついたので少々怖がらせてやった。

(なんなんだろうね、ああいう大人って)

「コラコラ、素人をからかうもんじゃないぞ、ですよ、ショウくんさん」

 シスターアンジェリカに頭をコツンと叩かれた。

 夜の公園内に、放送が流れる。

 緊迫した空気の中、ゆっくりと発音する女性の声が、広大な園内に鳴り響く。

 残っている来園者は、至急退避しろという旨だ。

 猟奇殺人犯が凶器を振り回して犠牲者が出ているというものだが、当然ながら(いれば)犯人も放送を聞くのだから、逆に危険では……という疑問を抱く、勘の良い市民もあるだろう。

「もう残ってる奴はいないんじゃないのか?」

 俺はシスターベロニカに尋ねた。

「いても聞こえはせんだろうな。まあ、最後通告のようなものだ」

「向こうで納体袋ボディバッグが陸自のトラックに積まれていくのを見ましたよ」と、アンジェリカ。

「無理に回収するなと言ってあるのだが……。ミイラ取りがミイラになるだけだ」

 シスターベロニカはフン、と鼻を鳴らすと、パトカーが多数停まっている方をチラと見た。その中に二、三台ほど、こっそり自衛隊のトラックが混ざっている。どうやらアレに死体を積んでいるのだろう。

 しかし、彼等が表立って行動することはない。迷彩服の彼等を見れば、住民が必要以上に騒いだり、左翼活動家やマスコミに叩かれるのが関の山。それに彼等の装備では異界獣を倒すことは出来ない。せっかく出動しても、教団の足を引っぱったり、死人が出たり、とロクでもないことに。

 本来国民の守護者たる彼等ではあるが、彼等の出番は、あくまで人間、もしくは巨大怪獣が相手の場合に限られる。

 ……というわけで、こと異界獣相手の戦場では、こうした裏方の仕事か、さもなくば街全体が被害を受け、災害レベルになってからになる。

 いつでも割を食うのは、何も知らない一般市民、という話だ。

 今宵の作業分担は、俺が索敵、シスターアンジェリカは通信担当兼シスターベロニカの助手、シスターベロニカは武器の用意と狙撃手だ。

 敵は人間を丸呑みにするほどのデカブツだ。俺が囮になって狙撃ポイントまで誘い出し、シスターベロニカが狙撃するという、いつもの作戦だ。

 ワンマンアーミーの多島勝利ならばタイマン出来ないこともないが、いちいち命を張っていては身が保たない。俺が情緒不安定な今はなおのこと。


 俺は被害者の死体 (多分グチャグチャバラバラ)が転がっている現場を目指し、単独で人気のない暗い公園に侵入した。

 今夜の獲物は大物だ。雑魚の相手をする余裕はない。

 点々と散らばるクソムシどもを無視して、俺は公園の奥へ奥へと走って行った。

 草の蒸れた匂いと、池からのちょっと生臭い臭い、何かの花の甘い薫り……初夏の公園らしい香りの中に、明らかにいてはいけないヤツの臭いが混じる。

 俺はその臭いを追っていった。

 目指した現場からはズレるが、敵だって移動ぐらいする。

 ヤツの臭いを追っていくと、アンモニアの臭いが漂ってきた。

 新手かと一瞬思ったが、ただの公衆便所だった。

 しかし、そういう臭いを好む者も異界獣の中にはいる。俺は危ないヤツが潜んでいないか、念のため確認をしに行った。

 住民の避難はほぼ済んでいるはずだから、手前の女子便所から遠慮なく入ることにした。次々にドアを蹴り飛ばしていくと、大きめな個室のドアが閉まっている。

 ……ごそごそと気配がする。三体……か。

 俺は隣の個室に入り、洋式便器を足場にしてパーテーションの上のスキマから銃をお見舞いしてやろうと、身を乗り出した。


「あ!」

「ぃあ!」

「ぅあ!」


「……あ”。じゃねえよ。なにやってんの、お前ら」

 中にいたのは、タケノコとハルカんちに来たチンピラ二名だ。

 いくら広めの個室といっても、大人の男が三人も入っていたら息苦しいにも程がある。

「とにかく出ろ。ここは危ない」

 俺は顎をしゃくって、退出を促した。

 個室の外に全員出てくると、チンピラ二名は雑誌やDVDの詰まった紙袋をひい、ふう……四つほど下げている。

 背表紙の色から判断するとエロいブツのようだ。

 いいなあ、なんて内心思っていると、タケノコが半泣きで話しかけてきた。

「兄貴ぃ……出られなくなっちゃったんだよぉ……」

「何でよ? 公園の出口、ここから真っ直ぐじゃんか」

「じつはですねえ……」

 こないだ小便を漏らさなかった方のチンピラが口を開いた。

 聞けばこの紙袋の中身には、非合法な本が混ざっているという。ネットで知り合った人とこの公園内で取引をしたのだが、荷物を受け取った後すぐ公園が封鎖されてしまい、出られそうな場所には地元警察が。そして、前々から睨まれている自分達は確実に職質を受け、ブツが見つかってしまう、と。

「それで、警官がいなくなるまでここに隠れてたってワケか。アホくさ……。んじゃ、俺が外に連れていってやるからついて来い。逃げないとお前等、死ぬから」

「「「……死ぬ?」」」

「放送聞いてないのか? いま緑地公園内に猟奇殺人犯がいるんだよ。さっき園内ででカップルが惨殺されたんだ。死体はバラバラのグッチャグチャだ。見境ないヤツだからな、遅かれ早かれバラバラにされちゃうけど、どうする?」

「「「連れてって下さい! 兄貴!」」」

「お安い御用だ。そのかわり――」

 結局エロ本五冊で手を打って、俺は彼等を警察に見つからないように植え込みの隙間から外に出してやった。

 ――手間のかかる連中だが、まあいいさ。こっちもビジネスだから。

 タケノコ一行を脱出させた俺は、急いで戻り捜索を再開した。

「よかった、まだ臭いは消えていないぞ」

 さきほどから追っていた臭いを辿っていくと、立派な花壇広場に出た。円形に花が植えてあり、柵の周囲にベンチが点々と配置されている。市民の憩いの場なのか、とても居心地の良さそうな場所だ。こんな所を遥香と一緒に歩いたら……なんて一瞬思ったが、俺は頭をブンブン振って遥香の妄想を追い出した。

 警戒しつつ花壇を回り込んでいくと、小さい異界獣が一つのベンチにわんさか集まっている。なんだろうと思って見て見ると……

 ヤバイ!

 誰か寝てる!

 つか食われてんじゃないのか?

 俺は慌てて駆け寄った。

 そいつがまだ生きてるかどうかわからないが――。

「あれ?」

 それは、この仕事を何年もやってきて初めて見る光景だった。

 ベンチに横たわった男性の周りを囲むように、手乗りサイズの小さな異界獣が群がり、ぴょこぴょこ撥ねている。そいつらは時折男性に飛びつこうとするけれど、バリヤーのようなものにぶつかったように、ポンと跳ね返ってしまう。だからなのか、寝てる人は全くの無傷だった。気持ち良さそうに眠っているのが、かえって腹立たしい。教団のテクノロジーでも、現状でここまで奴らに効果のあるバリヤーは開発されていない。一体どういう仕組みなのだろう?

 俺は、群がる獣の中から一匹掴み上げ、むぎゅーっと握った。その瞬間、プギャ――ッと耳障りな鳴き声を発し、じっとりと冷たく湿り始めた夜の公園に響き渡った。鳴き声を聞きつけた同族が集まる気配に、ぞわっと肌が粟立つ感覚を覚える。俺は握った異界獣を、すぐさま遠くの芝生に放り投げた。傍らで眠った男性にまとわりついていた異界獣たちは、一斉に投げ飛ばされた哀れな同胞を追いかけて、潮が引くように去っていった。

「やれやれ……。さてと」

 邪魔者は片付いたので、呑気に寝てるその男に声を掛けてみた。

「あのー、こんなとこで寝てると危ないですよ?」

 俺の呼びかけで目を覚まし、むくりと起き上がったのは、長身痩躯の三十代くらいの男。

「ふわぁ~……、あれ? 多島君じゃないか。……って、もう夜か」

「……誰」

 本気で見覚えがない。

「やだなあ、君の担任じゃないか。それはそうと、その様子だと狩りの最中だね。この辺で沸いたのかい? 例のアレ」

 言われてみれば、確かに担任の先生だった。

 にしても……なぜ事情を?

「ま、まあ。ていうか、ここで何してる? なんでアンタはアレに食われないんだ。どんな秘密兵器を使ってる? 同業者なんだろ。どこの組織だ? 何で学校にいるんだ?」

「いっぺんに聞かないでくれよ。順番に説明するから。えーっと、僕はここに教材用の植物を採取に来た。で、疲れてついうたた寝をしていたんだ。僕が魔物に食われないのは、僕がここの土地神だからだよ」

「と、土地神?」

「無論、秘密兵器も仕掛けも何もないし、同業者でもない。同類ではあるけどね。情けない話だが、僕はあいつらに食われはしないが、倒す力もない。本来なら僕がこの町を守らなければならないのに、教団にお任せしっぱなしで申し訳なく思っているんだ」

「はあ……」

 俺は、先生の言ってることも、先生自身のことも飲み込むのにちょっと時間がかかってしまった。なぜなら、神なんて初めて見たのだから。

 ……いるんだ、土地神なんて。

 同類? ああ、人じゃないってことか。

「実はね、再開発で僕の社を取り壊されてしまってねえ、再建資金を貯めるために、学園で教師のバイトをしているんだ」

「た、たいへんですね……」

 ずいぶんと世知辛い理由で教師やってたんだな。兎に角、短期間とはいえ、己の担任教師の惨殺死体を見たくはない。事情を説明し、先生には速やかに家に帰ってもらった。いくら土地神教師がちっこいのには無敵でも、デカイのに食われない保証などないんだから。

『こちらアンジェリカ、まだ現着しませんか? ショウくんさん、どうぞ』

「少しトラブルがあった。これから向かう」

 いいかげん現場に到着しない俺を心配して、シスターアンジェリカから通信が入った。必要以上に彼女がイライラしていると思ったら、俺がタケノコや担任教師に構っていた間、警察官が三、四人ほど食われたという。

 シスターアンジェリカとシスターベロニカの二人で始末したようだが、他にもかなり凶悪な奴がいるはずだ。急がなければ……。


 俺は気を取り直して、再び獲物の臭いを追いはじめた。辿っていくと、始めに聞いていた惨殺現場に着いてしまった。

 血の臭いと奴らの臭い、そして酸のような……いろんなものが混ざり合って吐き気を催しそうだ……。

 そこは、サイクリング道の起点になっている場所で、オシャレなレンガを敷いたちょっとしたスペースに、水飲み場とかベンチとかが設置されている。きっとこの二人は、ここで夕暮れのひととき、イチャついていたんだろう。

 ――そう、被害者は若い男女だ。遺留品のラケットとスポーツバッグから見て、近くのテニスコートに来ていたと思われる。

 地面にはおびただしい量の血と、食い散らかされた内蔵の破片や千切れた皮膚、食べにくい腱などが少々。でもこれは、食べこぼしと言っていい程度の量だ。

 若い男女だとすぐに分かったのは、首から上がそっくりそのまま、焼き魚でも食ったみたいに頭と骨だけキレイに残っていたからだ。

 ただし、手足はもぎ取られていたけれど。

 でも、それは幸いなことだと思う。

 あいつらに食われた死体で顔を遺族に見せられるようなものは稀で、納体袋ボディバッグを開いた途端、安置所に悲鳴が満ちるのが常だ。そういった被害者の葬式を自分たちの教会で執り行うことも多く、俺も葬祭スタッフとして参列する。

 ……だから、顔だけでも綺麗なまま残っていたってことは、遺族にとって幸いだ、って思うんだ。最後の最後まで、お別れを言えるから。

「ん、これは……」

 なんてこった。食い足りなかったのか……。

 ヤツは他の化け物までむさぼり食っていた。サイクリング道の先の方に、点々と残骸が落ちている。ああもう、最悪だ。こんな大喰らいに出くわすなんて。

 奴らは、喰えば喰うほど強くなる。頼むからこれ以上喰わないでくれよ。

 俺はシスターアンジェリカに一報を入れた後、装備品の中から発光ペイント弾と銃を取りだした。この光を頼りにシスターベロニカが狙撃をする。自分の役目は、敵に夜光塗料をブっかけて、シスターベロニカの射線におびき出すことだ。

 パン屑ならぬ、死体屑と臭いを追って、俺は全力で走った。

「ちょ……とまてよ……」

 街灯を七本通過した先、カーブを曲がりきった所にそれはいた。

 俺も良く知っている種類の化け物だ。

 コードネームは『アンモナイト』

 体高約二m、黒が多い異界獣の中では例外的に体色が白っぽくて、エビのように背をぐぐっと丸めた異形の物体。頭は魚か、は虫類のように尖っていて、口が四つに裂けている。

 二足歩行の足は太く、カエルに似ているが、表面がウナギのようにヌルヌルしており、前脚の代わりにニョロニョロした触手がたくさん生えている。触手は一、二mは軽く伸びて、敵の体を簡単に貫く武器になっている。

 ――というのは教団資料の情報だが、今の奴は白い全身を、返り血で真っ赤に染めて立っている。

 それにしたって憶測だ。

 灯りに照らし出された側面は返り血で真っ赤に染まり、影になっている部分は真っ黒で何も見えない。

 でも血の臭いはプンプンする。さっきの二人の臭いがする。

 だからきっと全身だ。

 それと、化け物の体液の臭いと奴のくさい息の臭いも。

 ぼんやりと佇んでいたアンモナイトは、ふいに、くっと頭をこっちに向けた。

 何かが奴の口元でぷらん、とゆれた。

 触手ではなく、あきらかに咥えてるもの。

 それがブラブラとうごめいている。


 ――くっ、俺の知らない新種なのか? マズイな……敵のデータがないなんて。


 俺は接近される前に、すかさずペイント弾を敵に三発撃ち込んだ。

 全弾命中。満腹なのか、反応は鈍い。

 ぶるん……。

 奴がぐるっと上体を俺の方に回すと、口元に咥えた何かが大きく揺れた。

 とがった口を四つに裂いてキシャ――――ッ、と奇声を上げたとき、その何かはぼとり、と落ちた。

 地面に叩きつけられ、グキャッと鳴いたソレは、頭部以外が剥き身で、死に損なった犬だった。

 体表の被毛はすっかり失せ、赤く筋肉が露出して全身から血を流している。恐らく噛みつかれた際だろう、肋骨が折れ、数本が外に突き出していた。

 素人目でも、助からないと分かるほどの無残な姿だった。

(可愛そうに……)

 俺は、犬の頭を銃で撃ち抜いた。

 慈悲の射殺だ。

 楽に死ねるよう、ペイント弾ではなく実弾の入った銃で。

 実弾――教団で製造された化け物用の特殊弾は、一撃で犬の頭部を粉砕し、辺りに青白い炎を撒き散らした。

 俺は、荼毘の炎に照らし出されたアンモナイトの全身を見た。

 やはり想像通りの血みどろ。だいたいは赤く、たまに紫とか青のまだら模様だ。赤は人の血、そして紫や青は、共食いの結果だろう。

 ダンッ、と力強く地面を蹴って、アンモナイトがふいに飛びかかってきた。

(よし、来い! 鬼ごっこのスタートだぜ!)

 俺は狙撃ポイントへ、アンモナイトのエスコートを開始した。

「こちら勝利。釣り、開始します!」

『オーケイ、です。気をつけて』

 アンジェリカの声に緊張が走る。

 俺は、頭に叩き込んだ地形データを頼りに、師匠シスターベロニカの待つ狙撃ポイントまで一直線に走った。柵を跳び越え、林を突っ切り、花壇を踏み潰し、正確無比に疾走する。

 ――俺は過去と引き替えに、こいつらを狩っているんだ。

 そう思うと、俺は急に怒りがこみ上げてきた。

「ちくしょうちくしょうちくしょうッ、何で俺だけ! 俺だけぇッ!」

『どうされましたか? トラブルですか?』

 驚いたアンジェリカが呼びかけた。

「なんでもねえよ――ッ!」

 俺は絶叫した。

 ……ごめん、ただの八つ当たりだ。ごめん、アンジェ。

『勝利、大丈夫だ。いつも通りやればいい。後は私に任せろ』

 シスターベロニカが通信に割り込んで来た。錯乱した息子を落ち着かせようと、ゆっくり語りかけた。

「了解……です」

 いつものように。

 そう。

 いつものようにやればいい。


 でも、今夜の俺は、いつもの俺じゃなかった。

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