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何もかもが同じという恐怖

 昼休み、俺はちょっと出遅れて学食に行った。

 すると遙香が信じられない量の昼食を取っていてドン引きした。

 親子丼、ネギトロ丼、カレーうどん、焼き肉定食。

 炭水化物過多なメニューの皿が、テーブルいっぱいに並んでいる。

 周囲の生徒は見慣れているのか、誰も気に留める者はいない。

(……あ、ハンバーガーをタッパーに詰めてるぞ。まさか夕食にする気か?)

「ショウくん、遅いよ。もうA定食なくなっちゃうよ?」

 遙香はもぐもぐしながら言う。

「う、うん……」

 呆気にとられていた俺は、慌てて配膳カウンターに向かった。

 俺はコロッケカレー特盛りを持って、遙香のいるテーブルに戻ってきた。

「なあ、家で食事作ってないのか?」

 彼はコロッケにソースをかけながら遙香に訊ねた。

「うん。節約しないと。お父さんがこの学校に入れてくれて良かったよ。タダで食べられる学食なんて、他にはないもの」

 スプーンでふわとろの親子丼をかきこみながら、遙香は言った。

「え? ちょっと待って。学食ってどこでもタダじゃないのか?」

「え? まさか。そんなハズないじゃない。あ、でも……」

 遥香はスプーンを咥えながら思案した。

「でも?」

「この学園は、ショウくんのいる教会と同じ経営でしょ?。で、全国各地に同じ系列の学校があるから、そこならきっとタダかもしれないわよ」

「本当に、本当に他の学校じゃメシはタダじゃないんだな?」

「あ、当たり前じゃない。学校ごとに違うわよ。普通は有料だし、購買だけのとこもあるし、みんなお弁当なところだってあるわよ。……ねえ、どうしたの?」

 俺は血相を変えて席を立つと、後からやってきたタケノコを捕まえて、同じ質問をぶつけた。一緒にいたタケノコの友達にも訊いた。

 ――でも、返ってきた答えは、全く同じだった。

『どういう……ことなんだ?』

 これまで俺は一切疑問を抱いてこなかった。

 それが当たり前だと思っていたから。しかし、本当は自分の常識ってヤツは、世間の常識とは全く違うんじゃないか……。そんな気が沸々としてきた。

 遙香の家で見た写真もそうだ。

 自分には全く身に覚えがないのに、彼女は知っている。

『もしかしたら、俺は異常かもしれない』

 些細な掛け違いかもしれない。だが、大きな掛け違いだったら?

 小さなほころびから、色々なものが信じられなくなってくる。

 足元が急にゆらゆらし始めた。

 だがそんなのは気のせいだと分かってる。

 自分以外、誰もゆらゆらしてなどいない。

 ゆらゆらしているのは、自分の中の確たる記憶――

『俺って、一体?』

 ――ガンッ! 俺の頭上に、いきなりゲンコツが降ってきた。

「ぎゃッ!」

 殴ったのは遙香だった。

「なにやってんのよ! はやく食べちゃいなさい。昼休み終わっちゃうでしょ!」

「はーい」

 言われてみれば、どこの学食も固定メニューは全く同じだ。

 そうか。そうなんだ。

 自分は全国の学校のメニューが同じだと思い込んでいたんだ。

 でも違う。同じ系列の学校だから同じなんだ。

 同じ、系列? 同じ?

(同じ系列という事すら、俺は気付いていなかったのか!)

 これってどういうことなんだ? すぐいなくなるから気にしてなかったのか? いやそれだけじゃないだろう。

 普通なら気付くはずだ。

 フィクションの中の学校ですら、多種多様なのだから。

 自分はそれを知識として知っていたはずなのに、現実では皆同じだと誤認していた。

 ――それは、何故?

 自分には分からないことが多すぎる。

 あえて意図的に伏せられていたのか。ただ気にせずにいただけなのか。

 それとも教団は何かの都合で自分を騙していたのか。

 頭が本気でパンクしそうだ。

「ねえ、具合でも悪いの? それとも……ケガのせい?」

 いつまで経っても食事に手をつけない俺に、遙香が声をかけた。

 心配そうに俺を見つめている。

「ケガはもう、大丈夫。痛みはなくなったから。どっちかというと……頭、かな」

「頭……ねえ。あの……もしかして、昔のこと、とか関係ある?」

「昔……あ……子供の頃のことか!」

 俺の中で、複雑な何かが一本の線でつながりかけた。

 でも、思うように思考が繋がってくれない。

 すごくもどかしい……。

(あ……。そういえば)

 俺の脳裏にハルカの家にあった地図が浮かんだ。

 あれがきっと鍵になる。そう思った。

 放課後ちょっと付き合ってと遙香に言われ、俺は居残りすることになった。

 彼女が職員室にどこかの鍵を取りに行ってるあいだ、人気のない教室で、ぼーっと校庭を眺めていた。

「あそこに体育倉庫があって、あそこにサッカーのゴール、あっちに野球場があって、その向こうに陸上のトラックと屋内プール。そして、剣道場……」

 誰に言うでもなく、独り口に出しながら、ひとつひとつ指さしていく。

 自分は、この学校に来るのは初めてなのに、校内の全ての施設の位置を把握している……。でもそれは、おかしなことなのか?


     ◇


 俺一人の手で町中にはびこる異界獣をくまなく駆除するためには、詳細な地形情報の記憶が不可欠になる。

 ビルの高さ、屋根の幅、電柱の位置に全ての道路。

 それらが克明に頭に入っていればこそ、全力で街中を飛び回り、人類の敵たる異界獣を殲滅してこられたのだ。

 文字通り情報を頭に入れるのだが、教団開発部の研究所で埋め込まれたインプラント端末とデータチップによるものだ。

 俺にとってどの町の地形情報も、ただの地面の上の箱、起伏にしか過ぎなかったし、仕事が終われば不要になる情報でもあった。

 次の街に行けば、新しい情報が入力され、古い情報は上書きされるのだから。


     ◇


「なあ、タケノコぉ」

 物思いに耽るのに飽きた俺は、居残りでプリントをやってるタケノコに声をかけた。

 昼休みの一件で彼の遙香への気持ちは理解したものの、なぜ昨日昇降口で見せたような悪態をつくのかが理解出来なかった。

 念のため当人に聞いてはみたものの、脅すなら本格的にやろうと思ったから……などと、やはり理解に苦しむ答えが返ってきた。

 DQNの考えは、やっぱり休むに似たりなのである。

「なんスか、兄貴」

 彼は眉間に皺を寄せたまま、首の角度だけ動かしてこちらを見ている。

 あまりに苦悶の表情をしているので、ほっといたら脳が溶けて鼻からダダ漏れてしまいそうだ。

 俺が一文字家の前で退治したチンピラから、多島はとてもコワイ稼業の人だと聞いて以来、タケノコの態度は舎弟モードにシフトしたらしい。

 素性を聞いてもなお、こうして普通に口をきいているあたり、鈍感なのかDQNだからなのか、とにかく臆さないのはさすが金貸しの息子と思える。

 で、将来金勘定をしなければならないはずの御曹司が、数学のプリントに苦戦を強いられているというわけだ。

「ひょっとしたらだけど、学校の施設って、みんな違うのか? たとえば体育館とか陸上トラックとかプールとかの場所……とか」

「なに言ってんスか、当たり前……って、そういや昼間もヘンなこと言ってましたね、兄貴」

 俺はこれまで、学校というものは、全て同じ規格で作られていると信じて疑わなかった。他の学校に関しては、ただの地形情報としてのみ頭に入っているから、何の施設かは一切知らないまま仕事をしてきた。

 だから、転校する学校全てが同じつくりでも、違和感を覚えることがなかった。

「もしかして、組の仕事が忙しくてシャバに出たことないんスか?」

「ん、まあ、そんなとこかな。あちこち点々としてるから……」

 とりあえずそういう設定ということで、このままビビってもらった方が都合よい。

 タケノコは再びプリントと格闘しはじめた。

 そんなタケノコのことを少し考えたら、不思議と気分がクールダウンしてきた。

 俺はまた物思いにふけった。


 揺れる心をいくら気合いでどうにかしようとしても、失敗を確実に防ぐことは難しいし、昨夜のような強敵がまた現れるかもしれない。

 異界獣の来訪を防げないように、新種の出現もこちら側の人間には防ぎようがない。あれらは全て、あちらの都合でこちらにやって来ているのだ。

 だがこの数年、新種の出現はなかった。

 それ故にみな油断もした。

 しかし新種は現れてしまったのだ。一匹現れれば、また現れるかもしれない。

 一種類現れれば、違う種類が現れるかもしれない。


 ――だから、今度は本当に死ぬかもしれない。


「なあ、竹野」

「なんスか、改まって」

「もしも俺に何かあったら、ハルカの力になってやってくんないかな。あんな脅迫なんかしないで誠意を持って接してやれば、彼女にはなってくれなくても、嫌われることはないと思うんだ……」

 バカに言って通じるかどうか分からないが、試しに言ってみた。

「兄貴……。ま、任せてください!」

 タケノコは、ガタッ、と椅子を鳴らして立ち上がり、直立して言った。

「い、いい命に換えても、ハルカを守って見せます!」

「だが、俺の目の黒いウチに指一本触れてみろ。……殺すぞ」

 俺はアブナイ稼業の人らしく、低い声で凄んでみせた。

 なかなか遙香が戻って来ないので、俺はひまつぶしにタケノコのプリントを手伝ってやった。こんなウルトラ簡単なのが解けないなんて、一体どうやってこの学校に……。


(ああ……そういうことか)


 俺はなんとなく察した。


 ――万一教団クビになったら、ヤクザになるのも悪くないかなあ、と思ったけど、最近はヤクザも肩身が狭いので、シスターベロニカみたいに外国で傭兵とかするのもカッコイイかなあ――


     ◇


 タケノコも帰宅してしまい、話し相手もなくなって暇をもてあました俺は、万一の際の身の振り方をぼんやり考えていた。

 そして、いいかげん待つのに飽きたころ、遙香が教室に戻ってきた。

「おまたせおまたせぇ~~」

「お待たされだよ。ったく鍵取りに行くだけでどんだけかかってんの」

「だってぇ、緊急職員会議で先生がいなかったんだもん。しょうがないじゃない」

「そっか。じゃ、しゃあねえな」

「んじゃ、いきましょ」

 遙香に連れられていった先は、部活棟だった。

 もちろんその位置は把握している。

 だが、さすがにここだけは学校ごとに違う気がした。

 いくら部の配列がある程度同じだったとしても、廊下に積み上げられている荷物や壁のポスターまでは、さすがに同じにはならない。


(よかった……。ここは、違う場所なんだ)


 自分が存在しているのは、あくまでも現実であってゲームのサーバー内なんかじゃない。だから、箱が同じでも中身の人間は全部違う。

 細かいところまで一緒にはならない。

 この事実を目の当たりにして、とてもホっとした。

 急に自分のいた場所が異常な空間だと認識してしまったら、気がおかしくなりそうに思うのは、当たり前じゃないか。

 俺すごく恐かった。ホントに恐かった。

 なんでこんな恐ろしいことに今まで気付かなかったのか……。

 その事実そのものが、恐ろしかった。


 俺と遙香が部活棟の雑然とした廊下を歩き、到着したのは文化部ブロックにある写真部だ。どうやらここが目的地らしい。

 この学校に都市伝説部とかオカルト部がないのなら、彼女にとって次の候補は、多分ここなのだろう。

 遙香に続いて部屋の中に入ると、現像液のツンとした臭気が鼻に刺さる。

 部室内は、スチール製の棚に詰まった大量のアルバム、印画紙のダンボール箱や現像用の薬品の瓶、ガラス戸つきの棚に飾られたトロフィー、壁の上の方には額装された賞状が何枚も飾られている。

 そして、窓際の流しの所には、干物のようにヒモから吊された大量の現像済みのフィルム。部屋の隅には暗幕で囲った簡易現像室もあって、いかにも一昔前の写真部ってカンジだ。

「やっぱり不思議? ……よね。今どき写真は、みんなデジタルだもんね。アナログにこだわるのは顧問のポリシーでもあるし、部の伝統でもあるし、ってところかな」

「ねえ、他には部員いないの?」

 手短な椅子に腰掛けて彼女に訊いた。

 俺は、室内が蒸し暑いのでブレザーを脱ぎ、椅子の背もたれに掛けた。

 脇のホルスターが丸見えだが、急に人が入って来ることもなさそうだから、問題はないだろう。

「私以外はみんな受験だから、実質ひとり」

 そう言うと、遙香は窓をかたっぱしから全開にして換気を始めた。

 少し酸っぱくて蒸された空気は徐々に排出され、室温も下がっていく。

 そして彼女は、流し台の端に掛けてあった雑巾を濡らして、白くほこりの積もった会議テーブルの上を水拭きしはじめた。

「そっか……大変だな」

 俺は、雑巾がけをしてゆらゆらと揺れる遙香の髪を、なんとなく眺めていた。

 それだけで、少し不安や恐怖が薄くなっていく気がした。

「大変だな、じゃないわよ。貴方も入るのよ」

「へ?」

 遙香が何を言っているのか、一瞬理解出来なかった。

 遙香は雑巾を流し台に放り込むと、脇の事務机の引き出しから入部届の用紙とボールペンを取り出し、今しがた水拭きをしたばかりの会議テーブルの上を、自分のブレザーの袖口でごしごし拭うと、俺の正面に向けて紙とペンを置いた。

 彼女が放課後に付き合え、と俺に言った理由が、部員不足で困っていた写真部への勧誘だったのだと気付いたのは、間の抜けた返事をしてから数瞬経ってからのことだった。

「はい、これに名前書いて」

 彼女は氏名欄を指さした。

「あ、……ごめん。俺、部活は入れない。力になってあげたいけど……ごめん」

「名義だけでもいいよ。忙しいんでしょ?」

 俺はうつむき、膝の上で両手を組んだ。

 力を入れすぎて、指先が白くなっていく。

「そうじゃないんだ。俺…………」

 その先の言葉が、どうしても出ない。

「……どうしたの?」

 俺の様子がどこかおかしい。

 そう感じた遙香は、俺の隣に腰掛け、不安げに顔を覗き込んだ。

 そして、俺の握りしめた拳にそっと手を載せてきた。

 遙香の手のひらが、やわらかい。

 さっき水を扱ってたせいで、指先がすこしひんやりする。


 ――ダメだ。


 やっぱり、言えないよ……すぐいなくなるなんて。

 そんなこと、自覚するだけでも胸が苦しくなってくる。

「い、いい、今まで部活とか入ったことないし……。あ、でもシスターに聞いてみるから……返事、後でいいかな」

 その場しのぎの言い訳をし、入部届を畳んでシャツのポケットにねじこんだ。

 数ヶ月、あるいは数週間もしたら、自分はこの町を出て行く。

 その変えようのない事実を、俺は遙香に告げることが出来なかった。


 ――やっぱりここでも、自分は本当のことが言えない卑怯者だ。


『ハルカを殺したのは、俺だ』と、ずっと言えずにいるのだから。


 俺は深呼吸し、罪悪感を必死に飲み込んだ。

「ああ、忘れてた、今日はウチの教会のこども会なんだよ」

「こども会? あっ、むかし行ったことある」

「でさ、スコーンとかクッキーとかたくさん焼いてるからさ、もらいに来ないか?」

「え、いいの? 子供じゃないのに……」

「朝あんだけメシ食っといて、遠慮もあるかよ。ほら、行こう!」

 俺は強引に遥香を連れて帰ることにした。ここで色々追求されても面倒だし、このまま学校内にいるのが不気味に思えたから。



     ◇◇◇



 遙香を連れて教会に戻ってくると、門の前には、こども会開催の看板が立っていた。礼拝堂の方からは、アニメの主題歌が漏れ聞こえてくる。

 ちらと時計を見ると、もうイベントは始まっているようだ。

「ほんじゃ、お菓子もらってくるから。ハルカさんはここで待っててくれ」

「うん、ありがと」

 俺は遙香を教会の外に待たせると、門を開けて敷地の中に入っていった。

 まっすぐ食堂に行くと、そこはこども会のバックヤードと化していた。

 近隣の子供たちをもてなすための大量のドリンクやお菓子、軽食がバットに入ってテーブルいっぱいに並んでおり、室内はいろんな食べ物の匂いが充満していた。

 床にはいくつもの大きな段ボール箱が置かれ、中にはお土産の包みが詰まっている。

 毎度のことながら、教団の地元住民へのバラ撒きは度が過ぎるのでは、と思わなくもないのだが、異界獣の沸くゲートを始末出来ない自分達の不甲斐なさを考えれば、迷惑料としては少なすぎるくらいだ。

「ショウくんおかえりなさい。おやつの補充大変なのよ。手伝ってくれる?」

 シスターの一人が声を掛けてきた。

「もちろん。その前に、ちょっとお菓子を分けてもらえますか?」

「自分用かしら? あとでお部屋に届けるわよ」

「いや、と、友達にちょっと……」

 俺が口ごもると、シスターは意味深な笑いを浮かべ、

「ああ、彼女さんね? いいわよ。待ってて。包んであげるから」と言った。

 数分後、俺はコンビニ袋いっぱいのお土産を持って、遙香の元に戻ろうと廊下を歩いていると、ふと窓から彼女が見えた。

 ガラス越しに様子をうかがうと、何だかぼーっとしている。

「うーん……やっぱり、思い出せない。写真が本物だとすれば、あいつと俺はガキの頃に会っているのは確かなんだろうけど、お互いずいぶん育ってるからなあ。正直に全然覚えてないよ、って言うべきかどうか、ちょっと悩むなあ。でも……、俺が忘れてるって知ったら、あいつ悲しむかな」


 ――やはり言うべきじゃないのかもしれない。いつか思い出せればいいのだが。


「おーい、お待たせ。いっぱいもらってきたよ」

 今はこども会会場となっている礼拝堂のドアを開け、俺は遙香に声をかけた。そして、お菓子のいっぱい詰まったコンビニ袋を頭の上に掲げて見せた。

 遙香はニッコリ笑って俺に手を振った。

 こども会の喧噪と遙香の笑顔。

 俺は一瞬何かを思い出せそうな気がしたが……やっぱり、ダメだった。

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