「ただいま……」
教会の脇にある居住棟の玄関を開け、力なく帰宅を告げると、数人のシスターが俺を待ち構えていた。たったあれだけの道程なのに、教会に着いたら疲労感がどっと出て来た。それに加えてこの彼女たちときたら、余計にぐったりせざるを得ない。
「ショウくんおかえりなさーい!」
「今日はごちそうよ! 昨日から仕込んでたんだから全部食べてね!」
「明日は私の番なんだから! やっとショウくんが来てくれたんだものー」
「ねえさっきの可愛い子、彼女なの? もう彼女作ってショウくんたらモテモテねえ」
(うああ、やめてえ……脳に刺さるぅぅ)
全員がハイテンションで
こうやってシスターたちが俺をもてなすのは珍しいことではない。俺が教団本部から各地の教会に派遣されると、初めはどこでもこんな風に
異界獣の駆除作業で街にやってきたハンターを手厚く接待するのは、教団の昔からの習いであり、命がけの任務に当たる俺等への、教団からのせめてもの心遣いなのである。プロだって、奴らに食いつかれて手足を失ったりすることもあるのだから。
――俺の師、シスターベロニカのように。
◇
俺は後ろ手に自室のドアを閉めると、即座にカギをかけた。初夏でだいぶ日が延びたといっても、部屋の中はもう青く染まっている。
俺は明かりも点けず、スクールバッグを床に放り出してベッドに倒れ込んだ。
「もう……何なんだよ……あの子。知らないよ……そんなん……」
俺は、うーんと唸りながら、ベッドの上で身もだえた。いろんな気持ちが互いに腕を引っ張り合って、思うように気持ちが整理出来ない。そもそも、こんなに複数の気持ちが入り乱れるなんて経験は初めてだった。必死に彼女のことや、事故のことを思いだそうとしても、絡まった気持ちのままでは記憶の糸をたぐることもままならない。
「はあ………………」
自分の知らないことを他人が知ってるというのは、時に恐ろしい。遙香のことを思うと、いろんな意味で頭がおかしくなりそうだった。それでも必死に考えを整理しようと試みた。
彼女の家を訪問して一つ分かったのは、月刊都市伝説マガジンには厳然とした教団レーティングが存在しており、少なくとも遙香の撮影した化け物や自分の写真を掲載することはないという事だ。
「それは平気だとしても……うーん……」
自分はいずれこの街から出ていく身だ。このまま彼女を無視して切り捨てても構わないし、場合によっては異界獣のせいにして処分することも出来る。だがそんな
彼女の言が正しければ、自分は二度も彼女を救っていることになる。恐くなってロクに話を聞かなかったけど、想像するに、おてんばな遙香が施設の庭の木に登り、それを助けるために自分も昇ってしまい、二人分の体重を支えきれなくなって枝が折れ、彼女をかばって重傷を負った……というところだろう。
自分でシミュレートしてみても、そんなこと、にわかに信じがたい。そこまで大事になっているのなら、覚えていないわけがないんだから。
幼少期の事は、育ての親であるシスターベロニカに聞けば分かるかもしれない。でも遙香に正体を諸々知られてしまったことや、遙香の父親の安否、ひいては彼女自身の安全なども考えると、おちおち尋ねることも出来ない。そんなことに比べたら、今後困窮するであろう一文字家の家計など些末な問題である。
「俺としたことが、よりにもよってそんな子に惚れるとは……情けない。っていうか、これってまさかの幼馴染み? んんんぁあああ~~~~もぉおおおお~~~~」
ぶつぶつ言いながら、ごろりと転がると。
「ぎゃッ!」
床に顔から落ちてしまった。
「ぐ……ぐぐぐぐ……」
鼻の頭を押さえながら、仰向けになり、
「くそぉもおぉぉ~~~~~~~」
と、わめきながらジタバタ踵で床を叩き、頭を振る。
俺はのっそりと身を起こすと、制服を脱ぎ始めた。
「……事故のことくらいなら、聞いても大丈夫かな……」
今のままでは何の進展もないのは間違いない。
せめて少しでも情報が得られれば。
もやもやしつつ、夜の仕事に備えて俺は戦闘服のインナーに袖を通した。
◇
「うっわー……どうしたんスかコレ」
ごちそうを見慣れている俺でも、これにはちょっと引いた。着替えを済ませ、仕事前の腹ごしらえにと食堂にやってきた俺が目にしたものは、でっかいテーブルの上に、でっかい皿、そしてその上には――
「パンガシウスの丸焼きよ! ベトナムから取り寄せるの大変だったんだから」
シスターの一人が腰に手を当ててドヤ顔で言い放った。
(昨日から仕込んでたって、コイツのことなの? つか食えるの?)
確かにそこには、不気味で巨大なナマズが、デデンと横たわっていらっしゃる。
近年ではウナギの代替とされたこともあったけど、結局あまり普及しなかった。
それにしても、全長一メートルくらいはありそうなのだが、一体どうやって調理したのだろうか。全体にまぶした香草とバターの香りが、油の乗った魚の匂いと混ざり合っている。
「えーっと………………デカイっスねコレ」
やっとそれだけコメントする俺。ボキャ貧なの直したい。
「あんまり大きすぎると調理できないから、これでもまだ小さい方なのよ?」
(これでも小さい……のか)
給仕用猫ロボットがわずかな駆動音を立てて、俺の背後を通り過ぎていった。
一名を除き、他のシスターたちは給仕だの次の料理の準備だので忙しそうに働いている。ハンターが赴任している時は、彼女たちの食事は後回しにされるのが教団の習いだった。
その一名とは――
「さっさと食え、勝利。美味いぞ」
俺がドン引いているのを横目に、切り分けた巨大ナマズに梅肉ソースをブッかけてガツガツ食っている白人の大女がいる。
彼女の名はシスターベロニカ。
俺の育ての親であり、戦闘術を叩き込んだ師匠であり、そしてつい先ほど俺の部屋のドアを蹴り飛ばした張本人である。
彼女も一応シスターのような格好をしてはいるものの、その装束は周囲の
俺は、師匠にこれ以上怒られるのが恐いので、とっとと席に着いた。すると、切り身になったパンガシウスが目の前に置かれた。ホントに旨いの? と伺うような眼差しで彼女を見ると、フォークでブっ刺した身を無言で俺の口元に突き出してきた。
「ん」
早く食え、と顎で促される。シスターベロニカの無言の圧力は計り知れない。
「ぁぅ……」
他人がいない場所ならまだしも、他のシスターたちがいる前でこれは恥ずかしい。一応は幼少期から義理の親子な関係だから『あ~ん』というシチュエーションは数限り無く発生しているが、さすがに高校生にもなって、人前でママから『あ~ん』はしんどい。そうこうしていると、周囲のシスターの視線に当たり判定が増えてきた。
(ヤバイ、このまま拒否っていても、かえって機嫌を損ねてしまうぞ……)
「はぐッ!」
意を決して食らいつく。
(ふぉ、ふぉおお??)
ぷりぷりの白身にジューシーな肉汁、そして香草とバターの芳醇な香りが口いっぱいに広がった。
「フンッ」
シスターベロニカは満足そうに鼻を鳴らすと、食事を再開した。
――で。食ってみたら案外イケた。
やっぱ見た目で食わず嫌いしたらいけないなー、と思った。
(少し残して遥香にも食わせてやろう。さっきは悪いことしちゃったし……)
俺はシスターに頼んで、切り身を少々取っておいてもらうことにした。
俺の師匠兼保護者であるシスターベロニカは、金髪ロングのマッチョな白人大女で、身長は二メートル近い。年齢不詳、一言で言えば美人なメスゴリラだ。
元はどこかの国の凄腕の軍人だったのを教団がスカウトしたのだが、まさか闘う相手が人間じゃないとは思わず、契約に至るまでずいぶんモメたらしい。
そして彼女は異界獣との戦いで左手、左足を失い、義肢を得た。
もう、十年以上昔の話になる。
だが彼女の予想に反して、教団は彼女との契約を打ち切らず、まだ幼かった俺の教育係としてのポジションを提供し、今は直接異界獣とは戦わず、武器の開発や俺のバックアップ、狙撃などをやっている。
――シスターベロニカは鬼厳しいが、本当にすごい人だ。
俺はまだまだ彼女の足元にも及ばない。ただの軽業師だよ。