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偽りの恋人

「どうかした?」

 遙香がいぶかしげに声をかける。

「なにが」

「そんな難しい顔して。もしかして、おなか気持ち悪くなっちゃった?」

「いやいや、それ関係ないから。なんでもない。うん、大丈夫」

「ホントに?」

「ちょっと……考え事してただけだよ。気にするな」

「ならいいけど……」

 数歩進んだところで立ち止まり、チラと遙香の横顔を見る。

 喉が詰まって苦しくなる。


 外側に跳ね返ったクセっ毛、強い意志を感じる瞳。

 さっきぬぐってやったばかりの、ふっくらとした赤い唇。

 年相応に張りがあって瑞々しい肌。


 教団のシスター連中が全員霞んで見える。

 彼女の全てが愛しくて欲しくてたまらない。

 理由なんか分からない。

 ――でも、決して手に入れてはいけない。


『こんな思いをするのなら、いっそあの時……』


 イヤな後悔が脳裏を過ぎる。

 そんな選択肢など、はじめからなかったというのに。

 彼女を見殺しにするなんて選択肢は。


「ねえ、化け物退治してるとき、なんであんな黒ずくめの格好で飛び回ってたの?」

「……へ? あ、ああ……」

 俺は遙香の声で、空想から現実に意識を引き戻された。

 パトカーがサイレンを鳴らしながら脇を通り過ぎていったが、つい今し方までぜんぜん気づかなかった。いつもなら過敏に反応するのに。

「あれはね、仕事着なんだ。目立たないように黒いんだよ」

「目立っちゃいけないの? もー写真撮りにくかったんだからぁ」

 肩を落とし、ぷすーっとため息をつく遙香。

「いけないに決まってんでしょ。騒ぎになっちゃうじゃん」

「でもカッコよかった! 今度ちゃんと見せてよ!」

「そ、そうか? あ、暑苦しいだけだよ、あんな重たい服」

 彼女のいう黒ずくめとは、教団から俺たちハンターに支給されている対異界獣用の特殊装備のことだ。

 魔道と科学のコラボレーションで製作されているソレ、牧師の衣装を模したケープ付きのロングコートには、聖別された糸で多重防壁魔道陣の刺繍が施してあり、ケブラー素材の生地と相まって大概の刃物や拳銃程度では傷を付けることすら不可能だ。ボディスーツに至っては、複合素材の軽装甲やハイテク機器が取り付けられている。武器を含めて異界獣をほふるために必要な装備品は多く、トータルでは重量も相当なものになる。

「最初ね、忍者かと思ったんだ」

「ニ、ニンジャ? ああ……飛び回ってたからか。ま、あのクッソ重い装備であんなこと出来るの俺くらいだけどね」

 俺は照れ隠しに頭をかいた。仕事の時間は主に夜間とはいえ、気温の高い季節には汗でびっしょりになってしまう。初夏を迎えた近頃では、いい加減コートを脱ぎたくて仕方がないのが本音。

「仕事でアレを倒してる……んだよね。バイト、なの?」

「んー……」

 俺は腕組みをして、しばし考えこんだ。これ以上秘密を知られたくはない。でも、彼女のご機嫌を損ねるのも考えものだ。

 まいったなあ、と頭をかきながら、

「君が見たとおり、あの化け物を掃除してたんだよ。それが俺ん家の仕事」

「家の仕事? 家って?」

「ほら、あそこ。この先にある教会だよ。聖紺碧女神教団の教会」

 俺は交差点の遠く先を指さした。片側三車線の大きな交差点に差し掛かると、信号が赤に変わった。敷きたてのアスファルトがスベスベで美しい。その向こう側、信号を渡って五十メートルほど歩いた場所に、俺の指さした教会がある。

「え? え? 教会なのに、化け物退治とかするの?」

「するの。エクソシストとか知らない?」

「え……あれって霊なの?」

 急に遙香の顔が青ざめた。

「だったら、……どうする?」

 俺はニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。

「い、いやああああああ――ッ」

 遙香は頭を抱えて悲鳴を上げると、近くで信号待ちをしていた歩行者がぎょっとして一斉に俺たちを見た。

「あ、あわわ、ちがうちがう、ウソウソウソウソだよ! 霊とかじゃないから!」

 俺は両の手のひらをブンブン振って、自分でついた嘘を必死に否定した。

 女子高生の悲鳴の真相が分かったのか、俺の全身に突き刺さっていた通行人の視線が、はらはらと呆れがちに落ちていく。

 つまらないことを言って冤罪逮捕されたらシャレにもならない。

(ホッ……)

「ホ、ホントに? 写真撮っても霊障とかない?」

「ないってば。っていうか、ハルカさんソレ気にしてたの?」

 遙香は軽く頷くと、肩をすぼめてちいさくなってしまった。

 砕石を積んだ大型トラックが数台、通りを並んで走っていく。きっと町外れの河川敷に行くのだろう。たしか地形データによれは、護岸工事をしているはずだ。こんな車が頻繁に通るんじゃ、この綺麗な道路はいくらも経たないうちにガサガサ、ベコベコになってしまうだろう。もったいない。

「だって父さんが、あれはお化けじゃない、本当にいる生物だって言ってたもん」

「そりゃいるけどさ。でも、人がたくさん喰われて殺されてるんだぞ? それは怖くなかったのか? ヤバいのはどっちも一緒だと思うんだけどなあ」

 俺は両の手を頭の後ろで組み、のけぞりがちに答える。

「ば! 化け物はちゃんといるから平気だもん! お、おおおお化けは……ちょっと」

「ヘンなやつだな。フフッ」

(案外可愛いところもあるんだ)

「あっ、バカにしてえ!」

「してないよ。ほら、行こう」

 横断歩道の信号が青に変わった。俺はむくれる遙香の手を引いて、とおりゃんせの響き渡る横断歩道を渡り始めた。向こう側まで距離あるので、さっさと渡らないと信号が変わってしまう。遙香の手を掴んだとき、ピクリと彼女の動揺が伝わった。

(……ん? ま、いっか)

 この時はたいして気にも留めず、歩いていった。

「ねえ、ちゃんと教えてよ。どうして教会がアレの退治をしてるの?」

「うーん……企業秘密なんだよな」

「いまさら企業秘密もないでしょ、教えなさいよ。じゃないと写真を――」

「あ――――ッ、ソレはダメ! ダメダメダメ! 絶対ダメ! やめておねがい!」

「じゃあ白状しなさい」

 俺をにらむ遙香。

「……つっても、俺、家の仕事手伝ってるだけだから、正直わかんないんだよ」

 遙香は、いぶかしげな表情で首をかしげた。

「だから家ってどういうことよ。だって教会なんでしょ?」

「あんま人に言うなよ」と、最初にクギを刺して話しはじめた。

「俺は赤ん坊の頃、教団本部の前に捨てられていた。拾われてそのまま流れで教団の施設で育った。俺にとって教団は家だ。成長した俺は素質を買われ、教団の本当の仕事である化け物退治をやってる。子供が家の仕事を手伝うのは普通だろ? たとえば寿司屋の息子だったら、仕入れや仕込みの手伝いとか出前をするのに疑問なんか抱くか?」

「……うん」

 まだ腑に落ちないという顔をしている。

「分かった?」

「まあ……」

 彼女は望む答えが引き出せなかったのだろう。

 煮え切らない返事。

 だが聞いた相手が悪い。

 俺自身、教団の活動については本当に詳しくないのだから。

「ところでさ、何で化け物退治をしていることがバレたら困るの? キミは別に悪いことしてるわけじゃないんでしょ?」

 遙香は話を切り替えて、俺へのインタビューを続行した。

 彼女の興味は、異界獣に負わされた怪我やキスのことよりも、俺や教団という組織そのものに向かっている。

「参ったなあ……」

「はやくう~」

「お前なあ。お父さんの影響でそういうの平気なのかもしれないけど、あんなのが町にわんさかいるって知れ渡ったら一般ピープルがパニックになっちゃうだろ?」

「それはそうだけど……都市伝説レベルなら、知ってる人もいるよ。私だって学校で話を聞いたから写真を撮りに行ったんだもん」

「だーかーらー、まだ都市伝説レベルだから、パニックになってないんだってば」

 彼女は、ぐぬぬ……って顔をしている。

「でもしょうがないじゃんか。大昔なら妖怪だー、で済んだろうけど、今なら警察呼べとか、自衛隊呼べーって騒ぎになっちゃうんだから。だいたいこの街でだって、ここ最近で何人死んだ? ソレ知らないわけじゃないだろ?」

「……知ってる」

「それにハルカさんも知ってのとおり、曲がりなりにも俺らは武装している。公安や駆除地域の所轄警察や公衆衛生担当者には、教団から一応話は通してあるけども、表沙汰になると困るんだ。世間にはうるさい連中も多いから、報道管制も常時敷いている。俺の仕事はそういうグレーゾーンのもんなの」

「うん……でも」

 媚びるような目で、俺を見上げる遙香。

 ドキっとしてしまう……。

「な、なに」

 遙香は満面の笑みで言った。

「ちょっとくらい写真売ってもいい?」

「お――ま――え――な――!!」

「うひひ」

「俺がお前の恋人になったら、あの件は黙っててくれるって約束したろ?」

「私も生活かかってるし……ちょっとだけ。ダメぇ?」

 と手を合わせる遥香。

「ダメに決まってんだろ!! 俺を殺す気か!!」

「そ、そんなにシスターって恐いの?」

「アマゾネス、いやメスゴリラと言っていいだろう……」

 遙香は震え上がった。

「にしても困ったなあ……。事情はだいたい分かったけど、当座はバイトとかじゃダメなのか? 働く所、いくらでもあるだろ?」

「高校生だと難しいのよ? 写真を売らないと、まとまったお金にならないし……」

「そっか……俺がなんとかできればよかったんだけど」

 うーん、と揃って頭を垂れる俺たちだった。


 しばらく二人で歩いていると、だんだん彼女に慣れてきたせいか、俺は先ほどまでの胸の苦しさを忘れていた。

 まるで、昔からこんな風に過ごしていたような……。

 だから、きっと……自分は恋に落ちたのか。

 その証拠に、というと変だけど、彼女の態度もつい数日前に出会ったばかりとは思えない。遙香は、人見知りは多分しないのだろう、悪く言えば、馴れ馴れしいとさえ感じてしまう。

 ――もちろん、嬉しいのだけど。

 それにしても参った。とにかく彼女の生活が心配だ。

 きっと頼れる親戚もいないんだろう、父親が失踪してから半年もほったらかしなのだから。何とか助けてやりたい。

 でも、自分に何が出来る? 金だって、小遣い程度しか持っていない。

 交差点から、うーん……と慣れない金のことを考えながら歩いているうちに、俺の仮住まいである、この街の教会まで来てしまった。

 この教会、ドラマの結婚式に出てくるような立派なものではなく、おざなりな礼拝堂を備えた、最低限教会の体を成してる施設である。異界獣の監視や、ハンターの前線基地とするのが本来の役割だ。そして礼拝堂の裏側は関係者の住居になっており、数人のシスターが常駐している。教団本部から派遣された俺とシスターベロニカの部屋も、同じ居住区域に用意されている。

 教会の前に到着してもまだ、俺たちは手を繋いだままだった。

 お互いそれに気付いたのは、

「キャーッ、ショウくんもう彼女出来たの!? いやぁ~ん、お赤飯炊かなきゃ!」

 と、柵の向こう側にいた庭掃除中のシスターに冷やかされた後だった。

「ふぇ、あ、いや、あの」

 俺は慌てて遙香の手を振りほどく。

 ――ガスッ!

 遙香の肘鉄が脇腹に刺さる。

「そ、そう……です」

 俺は消え入りそうな声で肯定した。

 俺はひどくこっぱずかしい思いをしつつ、

「彼女を家に送るから」

 と言ってシスターに自分のカバンを預け、そそくさと教会を後にした。

(ひええ……きっと後ですっごく冷やかされるに決まっている……)

 遙香の家は教会のさらに向こうにある。

 俺は脇腹をさすりながら、遙香の後をついていった。

「なにもシスターに言わなくてもいいじゃんか」

「ね、念には念を、よ。ったく分かってないわね」

「そういうもん? 意味わかんね……」

 ぶつぶつ言いながら歩いていると、再び遙香の交渉が始まった。

「だからあ、ショウくん以外、バケモノの写真だけなら、どう?」

「どう、っつわれてもなあ……。異界獣の情報そのものだって報道管制の対象になってるんだぜ?」

「前にお父さんの撮った写真、いくつも本に載ってるのに?」

「うーん……。その本、俺に見せてくれる?」

「いいわよ」

(家にバックナンバーくらいあるはずだ。それを見てから判断しても遅くはないだろう。うん、そうしよう)


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