『よくあるよくある。あははひゃはひゃひゃ……』
電話口の先輩が爆笑している。
どうやら、店長がバイトをハグするのは日常茶飯事のようだった。
「だ、だって、すごい抱き合ってたんですよ? 笑い事じゃないですよ」
『そんなこと、ある訳ないでしょ。いくら店長がソッチな人だからって』
「です、よねえ……」
思わず店の外に飛び出してしまった美貴は、非番の先輩に電話していた。
あまりの光景にパニックを起こしてしまったのだが。
確かに、落ち着いてみれば、あれはただのハグだったのだと分かる。
(でも、よかった。和也がアチラの趣味に転向したんじゃなくって)
先輩との電話を切ると、美貴は行くアテもなく海辺のガードレールに寄りかかって、ぼーっと海を見ていた。
潮騒を聞いていると、少しづつ心が落ち着いてきた。
「いきなり飛び出して、怒ってるよね、和也と店長……」
今日はバイトが少なくて、自分がいないと厨房が回らないのは理解していた。
だけど、今から戻るのも抵抗がある――。
「どうしよう……。先輩に頼るのもアレだしなあ……」
スマホを手に、再び先輩に電話をしようかどうしようか、と考えあぐねていた。
でも、ヨリを戻す手伝いをしてくれるって約束もしているわけで。その一環として、あるいはサービスとして、手伝ってもらえれば、と思った。
美貴はもう一度、先輩に電話をかけた。
「ごめんなさい、先輩。あの……一緒に店まで行ってもらえませんか?」
『一人で帰るのがこわいんだね、ミーちゃん』
「まあ……」
『今どこなの?』
「えっと――」
場所を伝えると、善処すると言って彼は電話を切った。
先輩が一緒に店に行ってくれることになり、美貴は安堵した。
「せっかくの休みだったのに申し訳なかったかな。でも護符代の一部と思えばいいわけだし」
罪悪感を護符で帳消しにしつつ、美貴は先輩の到着を待っていた。
それから数分後――。
ふと背後でバイクの停まる音がした。
振り返ると先輩ではなくて和也がいた。乗っていたのはピザ屋のデリバリーバイクではなく、普通のバイクだった。
「和也……?」
「探したぞ、このバカ! 早く後に乗れ」
ガードレール越しに、和也が美貴の頭をヘルメットでゴツンと叩いた。
和也がわざわざ私物のバイクで美貴を拾いに来たのは、デリバリーバイクでは二人乗りが出来ないからだろう。
「いたっっ!」
「今日のシフト、分かってんだろ? 厨房にお前がいないと困るんだよ」
「…………」
「いいから戻ってこい。別に怒ってないから」
「……うん」
美貴は無言でガードレールを跨ぎ、渡されたヘルメットを被ると、バイクの座席に跨がって和也の腰に手を回した。
「アホかお前は。少し考えりゃ分かるだろ。俺がホモじゃないことくらい」
「……だってぇ……」
「信じられないか? ……って俺が言うセリフじゃなかったな。すまない」
「なんで和也なの」
「あ? ああ、先輩からここにお前がいるって連絡が来たから」
「だからなんで」
「急に腹が痛くなったから代わりに行ってくれってさ。……さすがにウソだろ」
「だよね……」
……そっか。先輩が気を利かせてくれたのね。
「あ、あのね、別に本気で先輩と付き合ってるわけじゃないんだけどね」
「だったら迷惑かけんなよ、先輩だってヒマじゃねえんだぞ」
「だってあんたが――、ううん、なんでもない……」
和也が少し黙り込んでから、口を開いた。
「俺、そろそろ限界だわ」
「……え?」
和也は、美貴の方へと振り返った。
「だから、手、かせよ」
和也はシャツのポケットから何かを取り出した。
彼は照れながら、美貴の指に誕生石のリングを嵌めた。
「これで俺に売約済み……ってことにしてくれないか? 安物だけど……」
美貴は大きく目を見開いた。
望んでいたこととはいえ、あまりにも唐突すぎる彼の急変に、美貴は戸惑った。
先輩は一体どんな魔法を使ったのだろうか?
それともこれは護符の効果……?
「……どうしたの、急に」
「俺、二号店の店長やることになった。正社員なんだ。これでお前のこと面倒見てやれる。指輪は、後でちゃんとしたの買ってやる。だから……」
「私、これでいい。……いや、これがいい。ありがとう、そして、おめでとう和也」
和也はへへっ、と照れ笑いをした。
「俺、お前と一緒じゃないと生きてる実感がないんだ。抜け殻みたいだったこの三年間で、それがよく分かった……」
相変わらず、独り言のように呟く。聞き耳を立てていないと、波の音とエンジン音にかき消されてしまいそうだった。
「俺は、……お前と一緒に生きていきたい。色々と苦労かけるかもしれないけど、頼む。俺と結婚してくれないか?」
――これだ。このまっすぐで真摯な眼差し。これこそ、私の大好きな――
「十年前、あの神社で和也がプロポーズしたとき、ちゃんとOKしたじゃない。それに、結婚式だって……」
「お、覚えていたのか?」
「ううん、忘れてた。でも、思い出した。ウサギの護符と一緒に寝てたら、夢に神サマが出て来て」
「そっか。当たりを引いたからかな……」
「え? 何の事?」
「俺、多分あの神サマに会ったんだと思う」
「もしかして、銀髪の……?」
「多分、な」
和也は不敵な笑みを浮かべ、今度は、優しくついばむように軽いキスをした。