美貴は、先輩のことを始めのうちこそは警戒していたが、付き合ってみると意外に紳士で、少し驚かされた。
無論遊び人だから女の子の扱いは手慣れたものだったけれど、あまりアバンチュールを楽しもう、という風には全く見えなかった。
少なくとも美貴の目からは。
◇
「ミーちゃんのこと、遊びで口説いたと思ってた?」
何度目かのデートでカフェに行ったとき、先輩が美貴に訊いた。
いつの間にか、ミーちゃんという愛称を付けられていた。
「う~ん、どうなんだろ……」
美貴はグラスの氷をストローでカラカラと鳴らし、はぐらかした。
「確かにさ、僕は湘南に来るたくさんの女の子たちと遊んでるよ。けどね、そんな中から、本気になれる僕だけの女の子を探してるんだ。つまりナンパは出会いなんだ」
「はぁ……」
同じ事を何人に話したのだろう。
淀みなく一気に語る彼は、役者のようだった。
「それがミーちゃんだったらいいなって思ったから、何度もアタックしたんだよ」
先輩は優しく微笑み、グラスの結露で濡れた美貴の手を取って、真っ直ぐな視線を送る。
普通なら、ここでグっとくるのかな、と美貴は思った。
「でも、当て馬はそろそろヤメたいんだ、僕」
「……え?」
先輩は急に真顔になった。
「ミーちゃんとカズ、ホントは親戚なんかじゃないでしょ」
彼は、二人の関係をズバリ言い当てた。
「…………どう……して、」
「そのくらい分かるさ。ダテに何年も湘南でナンパしてないよ。いっつもお互いチラ見して意識しまくりだし、そもそもあいつの親戚だったら、同じ職場に来るわけがないし、来られるわけがない」
あの親子を見捨てた、冷たい親類達。
確かに、彼の言うとおりかもしれない、と美貴は思った。
「ミーちゃんさ、何か事情あるんでしょ? 僕で出来ることなら力になるからさ」
先輩は腕組みをしながら、ゆるい笑みと共に保護者的な視線を投げかけてくる。
「ごめんなさい、先輩。実はね……」
美貴は、和也との一部始終を先輩に話した。
そして和也の忘れ物、氷ノ山神社の兎の護符をテーブルの上に置いた。
「こ、これはっっっ!」
先輩が急に色めき立った。
身を乗り出して白ウサギをガン見している。
ムリもない。この男ほどのナンパ師ならば喉から手が出るほど欲しい、超絶レアアイテムなのだから。
湘南界隈で密かに語り継がれる、ものすごい効果のある縁結びのお守り。だけど入手難易度もけた違いに高く、本物を見たことのある人は少ない……。ゆえに都市伝説と化しているのだが。
「和也がうちに落としていったんです。返しても受け取ってくれないし……。アイツがどういうつもりなのか、私分からなくって……」
「大丈夫、希望はある。――もしもだよ、ミーちゃんがカズとヨリを戻せたら、そいつを僕に譲ってくれないか?」
先輩は本気だ。そう顔に書いてある。
もしかしたら、とてつもなく心強い味方を得たのかもしれない、と美貴は思った。
「ほ、本当に元に戻れるなら、喜んで!」
「よし、商談成立!」
二人はぎゅっと握手を交わした。
◇
美貴のおかげで、和也はこの頃寝不足だった。
心労だろう。 夏場の寝不足はダイレクトに体力を削ってくる。
体力には自信のある和也でも、さすがに朝がかなりキツい。
……まったく、いい加減頭にくるぜ。どんだけ俺を苦しめれば気が済むんだよ、ったく。先輩も先輩だ。自分が当て馬だと分かっていながら、涼しい顔して相手をしている。早晩俺の後釜に納まるつもりなんだろうが……。
――断じて却下だ!
……あぁ、親戚だなんて言わなけりゃ良かった。大体あのお守り、ちっとも効果ないじゃないか。ウルトラモテモテグッズじゃなかったのかよ?
店には男が何人もいるわけだし、俺が言うのもなんだけど、あいつのルックスならいくらでも寄ってくるはずだ。だが、結局食いついたのは女に見境いのない先輩ただ一匹。自分で引き取れりゃ苦労はないが、睨みをきかせ続けるにも限度がある。ああもう、クソッタレ!
出勤前、店の外で物思いに耽りながらの一服のあと、和也は裏口から店内に入った。まだ薄暗い店内を歩き事務室へと向かう。シフト表によれば今日の早番は自分と店長と美貴のはず。
正直、気が重い。
……あーあ、どっかに金落ちてねぇかなぁ……。
この際安定した仕事でもいい。そう、定職さえあれば、なんとか美貴を……。
ん? 何の募集告知だ?
和也は店の掲示板を食い入るように見た。
「茅ヶ崎二号店新規オープンに伴う新規スタッフ及び、店長候補募集のお知らせ、だと……?」
【店長として正式採用後、社員登用。社会保険、福利厚生、各種手当あり、社員寮入居可(家族寮あり)、社員融資制度あり】
「……こ、これだ!」
和也はダッシュで事務室に行き、呑気にやすりで爪を磨いている店長を捕まえた。
「て、店長! に、ににに二号店って?」
「あらカズちゃん、おはよぉ~。なぁに、店長さんやりたいのぉ~?」
「はい! ほ、他に立候補者いないですか?」
「うふふ、いないわよぉ~。んじゃ、カズちゃんで決定ねん♥」
店長は語尾にハートをくっつけながら言うと、バチッ、とキモいウィンクを至近距離から発射してきた。普段は全力で回避する和也だが、この時ばかりは全力で受け止めてやった!
「よっしゃーッ!」
ガッツポーズを取る和也。そして彼は、太い腕を広げて迎える店長のブ厚い胸に飛び込んで、熱い熱い抱擁を交わした!
『これで美貴と所帯が持てるッッ!』和也は歓喜に満ちていた。
――ガチャリ。
その時、事務所のドアが開いた。
「…………あ。ごめん」
目を点にした美貴が、そっとドアを閉めようとしている。
違う!
断じて違うぞ!
俺は男に目覚めてなんかいないんだぁぁぁぁ!
和也は心の中でシャウトした。
そして、和也はあわてて店長を振り払うと、閉まりかけたドアに手を掛けた。
「美貴、誤解だ!」
「ごめんね、なんか勘違いしてて。……どうか店長とお幸せにッ」
美貴は泣きながら店を出て行ってしまった。
『どうしてこうなった?』和也は頭を抱えた。
「おい美貴、今日は厨房の人数少ないんだ。頼むから仕事してってくれよ……」